元女性議員・田中美絵子が明かす国会の“セクハラ事情”
かつて“小沢ガールズ”として民主党から立候補し、衆議院議員を1期務めた田中美絵子さんが、初の著書『ロリータ少女、政治家になる』を出版。そんな彼女にインタビューを敢行し、当時の状況や自身に向けられた度重なるバッシングについて、さらに塩村文夏都議への“セクハラヤジ”についても、自身の体験に基づきながら語ってくれた。
■衆議院への立候補はまさに青天の霹靂
田中さんは、2009年の衆議院議員総選挙で石川県から民主党公認で立候補。小選挙区では落選したが、比例で復活当選。当時話題をさらった小沢ガールズの1人として“美人過ぎる国会議員”などと持てはやされた。当時を振り返り田中さんは「まさに青天の霹靂でした。もちろん、政治家になりたいという願望は既に持ってはいたんですけど、まさかこんな急に決まるとは思わなかったので…」と複雑な心境を明かす。
民主党から公認を受け、「それまで脇役だった自分が主役になった瞬間でした」という田中さんだったが、発表前に新聞メディアにすっぱ抜かれ大困難に陥った。「夜中に『明日の紙面に出ますから。もう止められません』という電話が掛かってきまして。その後も同じようなことを何回も経験するんですけど(笑)。 地元に帰ったら、両親もパニック状態になっていました。地元の自治体議員さんも、私が立候補することを全く受け入れてもらえなかったですね。ご説明にあがっても面会謝絶というか会ってももらえない状況がしばらく続きました」(田中)
■「君の仕事は議員を辞めて、結婚して子供を産むことだ」
2009年に比例で当選、2012年まで国政に携わった3年間という歳月を改めて振り返り、田中さんは「そうですね……やはり、やり残したことが多かったので、悔いの残る3年間でした。特に不妊治療の保険適応に関しては実現したかったという思いが強いです」と唇をかむ。「基本的に多数決の世界なので、あの当時はねじれ国会で、野党の協力がないと法案が何一つ通らない時代だったんです。落とし所を見つけるのに凄く時間が掛かりましたね。そこにジレンマは感じていました」(田中)
小沢ガールズとして華々しく国会デビューしながらも、過去の職歴や現役時のスキャンダル報道などで激しいバッシングを受けた。唯一の心の支えとなったのは街頭演説だったという。「もちろん街頭演説でもバッシングを受けますし、実際に今でも街頭演説に立つと誹謗中傷を受けます。でも、その中にも『田中さん、頑張って!!』って仰ってくれる方がいて、そういった生の声での励ましは凄く心の支えになりました」と回顧する。
議員時代には不当なセクハラ行為も受けた。現在、問題となっている塩村文夏都議のヤジ問題を振ると、「私の場合はもっとヒドくて、『君の仕事は今すぐ議員を辞めて、結婚して子供を産むことだ』って言われたこともあります。そう仰った方は今、大臣をやられていますけど(笑)」と告白。実際に国民に届いていないだけで、さらに過激なヤジも横行しているという。「ヤジというのは“国会の花”と呼ばれています。相手の戦闘能力を失わせる意味があり、法案の中身についてヤジを飛ばすのが通例なんです。でも、今のヤジは人格否定というか、誹謗中傷そのものですね」と憤る。
ただ今回の問題については、改善に向け変化を促すきっかけになるのでは?と期待を寄せているようだ。「保守的な男性議員さんの意識を変えないと、また同じような問題が起こると思います。非常に残念なことでしたが、今回の件をきっかけに良い方向に進んでいくのではないかと思っています」。
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