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清原和博氏、現役時代の興奮剤使用告白 「集中力がアップ」

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清原氏、現役時代の興奮剤使用告白 「集中力がアップ」

 覚醒剤取締法違反の罪で有罪判決が確定した元プロ野球選手の清原和博氏(49)が、29日に放映されたTBS系「ニュースキャスター」で、現役時代に「グリーニー」と呼ばれる興奮剤を使用していたことを告白した。現役中の覚醒剤使用は否定した。

 清原氏は「本当の名前は分からないのですが、最初は外国人選手に『興奮剤だよ』と勧められ、もらったりして使っていました。集中力がアップしました」などと語った。

 グリーニーは、緑色のカプセルに入っていたのが名前の由来とされる。大リーグでは2006年から禁止薬物に指定された。日本のプロ野球では07年から本格的にドーピング検査を導入している。

 08年限りで引退した清原氏は、覚醒剤取締法違反の罪で懲役2年6カ月執行猶予4年の有罪判決が6月に確定している。



(朝日新聞デジタル 2016年12月29日 23時55分)

関連ニュース



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(朝日新聞社提供)


「孫正義氏の企業で8000人採用、アメリカに雇用が戻ってくる」でもこれってトランプ氏の手柄?

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ドナルド・トランプ次期大統領は12月28日、フロリダでソフトバンクグループのアメリカ携帯電話会社「スプリント」など2社が「計8000人の雇用をアメリカに生み出すことになった」と語った。

トランプ氏は、フロリダにあるトランプ氏所有の「マー・ア・ラゴ・リゾート」で声明を発表し、ソフトバンクグループ社長の孫正義氏がスプリント社で5000人、そしてソフトバンクが出資を発表したベンチャー企業ワンウェブが3000人を新規雇用すると述べた。

「スプリントの幹部から電話があり、5000人もの雇用をアメリカに取り戻すと伝えられた」と、トランプ氏は述べた。「ほかの国からアメリカに戻す。そしてワンウェブという新しい会社は、3000人を雇う予定だ」

トランプ氏は「今起きていること、そして情熱、希望のおかげでスプリント・ワイアレスでの5000人もの雇用が外国からアメリカへ戻ってくる。そして、3000人の雇用がワンウェブで作られる」と述べた。しかし、今回の雇用は以前から約束されていたものの一部であり、トランプ氏が関わった証拠はない。


報道機関はすぐにトランプ氏がアメリカに仕事を取り戻したというニュース流した。12月1日に空調大手キャリア社がメキシコに会社を移転しようとした際、次期大統領が介入して800人の雇用を守ったニュースも関連づけている。



トランプ氏の勝利宣言:スプリントはアメリカに5000人もの雇用を生み出す。

CNNマネーの見出し 12月29日 木曜日 午後9時23分



トランプ氏がアメリカ労働者に さらなる8000人の雇用を発表。

FOXニュースの見出し 12月29日 木曜日 午後9時23分



スプリントは5000人もの雇用をアメリカに戻し、ワンウェブは3000人の雇用を生み出すと発表。

CNBCの見出し 12月29日 木曜日 午後9時23分



スプリントは5000人の雇用をアメリカに戻すと、ドナルド・トランプ氏が発言。

マイアミ・ヘラルドの見出し。12月29日 木曜日 午後9時23分

「スプリントともう一つの会社が8000人を雇用するそうですよ。仕事を貰いましょう」と、FOXニュースのヘザー・ナウアート氏は28日、トランプ氏の発言を受けてコメントした。「彼が500人の雇用、5万人の雇用を発表するかどうかはどうでもいいのです。大事なのは、仕事を取り戻し、明るい希望を生む手助けをすることなのです」

「これは、プロセスの一環で、進歩なのです」と、FOXニュースのキンバリー・ギルフォイル氏は付け加えた。

MSNBCのピーター・アレクサンダー氏は、トランプ氏の大胆な行為を指して「天才マーケター」と呼んだ。

「しかし、これはドナルド・トランプ氏の利益になる。なぜなら、人々は彼がこの件に実際に影響を与えると信じるようになるからです」と、アレクサンダー氏は言った。

トランプ氏は「雇用を生み出した」と言っている。しかし、ポリティコによると、今回のアメリカでの雇用は、サウジアラビアの支援を受けて設立したファンドを利用するものとソフトバンクは明らかにしている。そのファンドはトランプ氏当選前の10月に設立されたものだった。この計画は、6日にトランプ氏と孫正義氏が会談した後で発表された。トランプ氏は、選挙前に進められていたこの投資計画も自分の手柄にした形だ。

「私のおかげで、この国で 5000の仕事ができるんだ」と、トランプ氏はマー・ア・ラゴの階段で記者たちに述べた。

28日のトランプ氏の発言の数時間後、政治ニュースサイト「ポリティコ」のトニー・ロム記者は「スプリント社によると、今日発表された5000人雇用は、孫正義氏が以前に表明していた5万人雇用の一部」とツイートしたが、トランプ氏は手柄を横取りし続けた。

一方でスプリント社のマルセロ・クラウレCEOは29日、Twitterでトランプ氏が大げさに宣伝した5000人の雇用は「新規のものだ」と述べた。

「憶測は止めてほしい。これは以前に発表していたスプリントの新規事業とは"一切"関係ない」と、クラウレCEOはツイートした。

トランプ氏の大統領報道官となるショーン・スパイサー氏は28日深夜、Twitterで次期大統領の主張をさらに誇張した。




やり遂げる! スプリント社のCEOはトランプに、彼の仲介で5000人以上の雇用をアメリカに戻し、さらに増やすと伝えた。

翌29日の朝、メディアはトランプ氏の巧妙なレトリックを説明できないまま、トランプ氏が雇用を取り戻したことへの賛美を続けた。

「ドナルド・トランプ次期大統領は再び約束を果たし、アメリカに多くの仕事を取り戻しています」と、29日朝のFOXニュースで、ナウアート氏は述べた。

「トランプ氏はスプリントとの契約を発表し、アメリカに約5000人の雇用を移転し、もう一つの会社は3000人の雇用を生み出します...これはインディアナ州から雇用の流出を防いだキャリアとの取引に続き...」

トランプ氏のコメントはいつも同じパターンだ。自分が全くかほとんど手をかけていない事柄を自分の功績とする。就任前のアメリカの経済状況もその例だ。トランプ氏は最近の消費意欲や株価の上昇を自画自賛するツイートを次々と投稿している。

ハフィントンポストUS版のダニエル・マランス記者はこう書いている。「こうしたツイートは、私たちがすでに知っているトランプを物語っている。トランプは当たり障りのない経済データを利用し、それを自分の偉大さの証明だと主張するのが好きなのだ」

ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。

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(スライドショーが見られない方はこちらへ)

ベルギーが分裂しないのはビールがあるからだ。なぜなら...

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毎年9月始め、世界遺産のグランプラスで開催されるベルギービールの祭典© Michiko Kurita

【ブリュッセル在住フリーライター・栗田路子のレポート】

11月30日正午前、ベルギー中のビール好きが一斉に喚起の祝杯をあげた。エチオピアで開かれていたユネスコ(国際教育科学文化機関)の会合で、我らが「ベルギーのビール文化」が無形文化遺産に登録されることが決まった瞬間だ。そのニュースはたちまちベルギー社会の隅々にまで伝わり、国中がお祭りムードとなった。たかがビールと言うなかれ。この国では、ビールとそれをとりまく文化は、りっぱな無形遺産として誇られ、分裂寸前の国をつなぎ留めているとさえ言われている。ここベルギーで、ベルギービールの日本向け振興に20年以上関わってきた筆者がその謎解きを試みる。


■ 1500種類ものビール――規制が緩いから?

人口1300万の小国ベルギーには、約200の醸造所と1500種以上ものビールがある。だが、ある日本の報道を見て筆者は愕然とした。あたかも、文化遺産登録されたのは、多くのビールがあるからで、それは「規制が緩いから」とされていたからだ。これではまるで、品質や製造の管理があまく、奇抜な材料や怪しい作り方でやたらに数だけが多いかのようではないか。ベルギー人なら問いかける。「規制は誰のため?」 

そもそも、ビールの原材料を麦芽とホップだけに厳しく規制したのは16世紀、ドイツ・バイエルン公ヴィルヘルム4世による「ビール純粋令」だ。確かに、技術が未熟な時代に食の安全を確保する大義名分もあったようだが、賢い王様のねらいは、効率よく最大の酒税を課す仕組みを作ってしまうことだったという。日本ではビールといえばラガーピルスナータイプだが、これが世界を凌駕したのは、パスツール以降、大企業が大規模投資すれば、利ザヤの大きい大量生産ビールが造れるようになったからだ。市民の福祉や安全に実害がないなら、多様性の芽を摘み取るような「お上の規制」や「大企業の暴利」をことごとく嫌うのがベルギー人気質なのだ。


■ 文化遺産になったのは、ビールではなく、ビールを取り巻く多様な文化

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ベルギー名物トラピストビール。その一つ『ロッシュフォール』を造るサン・レミ修道院醸造所 © Abbeye Notre-Dame de Saint-Remy

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ワインとチーズならぬ、ビールとチーズのペアリングコースも© Michiko Kurita

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ビール以外に、銘柄ごとのグラス、コースターなどあらゆるビール関連品を取り揃えるお土産ショップ© Michiko Kurita

さて、今回、晴れて登録されたのは、ユネスコの文化遺産であってギネスブックではないので、その理由は醸造所やビールの「数」ではなく、「ベルギーのビール文化」であることをもう一度強調したい。日本のビールやその飲まれ方から想像すると、「文化」とは大袈裟なと感じられるかもしれない。でも、ベルギーではビールは、老若男女、子供から老人まで、あらゆる職業、階層、民族、人種、性的志向を越えて、ベルギー社会の絆や魂と言えるほど、浸透し、誇りにされていることがわかる。

まず、すでに述べた様に、原料や製法に制限がほとんどないので、ホップ以外に、コリアンダーやキュラソーといったスパイス・ハーブが使われ、大麦麦芽以外に小麦やサワーチェリーのような地元でとれた果物が使われる。上面発酵や自然発酵、ドライホッピングや瓶内二次発酵といった、利益第一の大企業なら決して使わない製法を駆使して、多様な味や風味、豊かな泡立ちなどを実現する。

だが、種類が豊富なのは、ビールそのものだけではない。ベルギーでは、それぞれのビールために考え抜かれた固有のグラスがある。多くのビールを取り揃えるカフェではビールの数と同じだけのグラスが必要になるが、家庭でも多少のビール好きがいれば、いくつかの異なるグラスを持っていて、トラピストならこのグラス、フルーツビールならこのグラスと使い分ける。

 
ベルギーのビール文化は、種類の多さでは終わらない。市民一人ひとりがビールを通じて、培ってきた語らいと歩み寄りの絆そのものだ。©Hotelier TV

だがこれだけでは、マニアックなビール好きだけのものと思われるかもしれない。ベルギーでは、伝統的な家庭の飲み物といえば、麦茶ならぬ麦酒――極めてアルコール度数の低い「テーブルビール」と呼ばれる普及品だ。今でこそ公式の発酵酒飲酒年齢は16才だが、テーブルビールだけは、子供や老人も含め家族の誰もが飲んでいいものとされており、入院中ですら望めば出してもらえる。

「え、病院でビール?」と仰天すると、看護師さんは「あらテーブルビールよ。患者さんがビール飲みに出かけたら困るからね」とにっこり。筆者はうら若き頃、ベルギーの義理の母から、昼食前にビールを勧められてひるんだが、かつては、妊婦にも、産後の肥立ちがよくなるとか、母乳の出が良くなるとして、ある種のビールが勧められてきた。

かつては3000以上もの醸造所があったこの国では、家系をたどれば必ずビール業界に携わった人に行き当たる。家の地下室には必ずビールが買い置きされているので、伝統家庭料理といえば、牛肉や兎肉のビール煮込みとなるのは必然だ。

ここベルギーでは、銘柄も指定せずに「とりあえずビール!」と、冷え切ったラガービールをジョッキでがぶ飲みする人はいない。誰にも、お気に入りのタイプや銘柄があって、TPOに合わせてあれこれ悩むのも楽しみのうちだ。ビールの注ぎ方や利き酒コースに始まり、チーズとのペアリング、素材や料理とのマッチング、ビールを使ったヌーベルクイジーヌを売りにするレストランやイベントがあり、ビールをテーマにしたミュージアムや専門ショップがあちこちにあり、一年を通じて、ビールのフェスティバル、ツアーや講演会が開かれている。

ビール専門のコンサルタント、ヘールト・ヴァン=リルデ氏は、「ビールは製品でしかないけれど、豊かなビール文化はベルギー人の文化遺産そのもの」と誇らしげだ。


■ ベルギー人とは何か――多様性こそがベルギー人の証

これほど多様なビール文化を育んだベルギー人とはいったい何者なのだろう。近代国家ベルギーの成立は1831年で、まだ200年足らずの若い国でしかない。しかし、有史以来、このあたりには様々な人が住み、行き交った。

ローマ帝国はこのあたりに最北端の都市を築き、中世には欧州屈指の交易地として栄え、19世紀以降は、ナポレオンやヒトラーが攻め入って、代表的激戦地となった。植民地時代や産業革命期を経て、アフリカ諸国や中東から多くの労働者が住み着き、第二次大戦以降は、EU主要機関やNATO本部ができて、世界有数の国際都市となった。

こうして、今日のベルギーには、ありとあらゆる人種、民族、言語、宗教、思想を背景とする人々が住み、互いに肩を並べて生きている。ベルギー人は誰もがハーフやクォーターであり、多文化を背景に生きている。多様性を是としなければ生きられない。多様性を貴ぶことこそが、ベルギー人たるゆえんとすら言えるのではないか。


■ 歩み寄りを大事にして多様性を尊重する文化

最近では、ベルギー人の多様性を貴ぶ価値観は、LGBTなど性的少数者の問題にも広がりを見せる。もちろん、昨年来のあまりにも膨大な難民・移民の流入やテロにより、排外的な保守主義に加勢するベルギー人もいないわけではない。社会党基盤が強い南部のフランス圏と、極右勢力が強い北部オランダ語圏は見解の違いが大きく、国は、数十年をかけてじわじわと分離自治への道を歩いている。それでも、突然ちゃぶ台をひっくり返すような政変は起きそうにない。

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中世のギルドの伝統を今日も受け継ぐベルギービール醸造家組合前で、市民とともに祝杯をあげる大臣と組合理事長 (一番左がガッツ氏)© Belgian Brewers

オランダ語共同体政府で文化大臣を務めるスフェン・ガッツ氏は、かつて、ベルギービール醸造家組合の理事も務め、今回、ユネスコの文化遺産登録を成し遂げた功労者の一人だ。「ビール文化の豊かさは、ベルギー人が多様性を重視する価値観の象徴なのでは?」と問いかけると、「まさに…『ベルギーのビール文化』と『ベルギー人気質』には深い相関がある。」という。

「多様性を認めるということは、気の遠くなるような歩み寄りや調整により絶妙なハーモニーをもたらすことでもあるんだ。」と付け加えるのは、ヘールト・ヴァン=リルデ氏。たしかに、ベルギー人気質を語るとき、調整上手や妥協上手が控えめに語られる。列強に囲まれて、多くの言葉を解し、誰もが文化的民族的マイノリティのようなベルギー人は、強権的にではなく、時間をかけて歩み寄って接点を見つけるのがうまい。家族や友達と語らいくつろぐ時、異なる立場や意見を持つ人々が、議論を積み重ね、歩み寄る時、そこに必ずビールがある。

フリーハグはヘイトデモに対抗できるか? 若い世代が挑む「人間として認め合うこと」

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今は神奈川県箱根町のホテルで働く桑原功一さん(31)が、日本や韓国、台湾など東アジアの国々で「フリーハグ」を始めてから、5年が経つ。

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大学を卒業して教員になるつもりだったが、世界一周して見聞を広めてから就職しようと、アルバイトで資金を貯めた後、2008年にフィリピン北部・ルソン島のバギオへ英語の短期留学に飛んだ。全校生徒約400人のうち日本人は12人。残りのほとんどが韓国人だった。

「反日教育」「何か知らないけど、日本人を憎んでいるよね」「ドラマとか流行ったけど…」というのが当時の韓国の印象だった。不安に思っていたが、日本人というだけでモテモテの毎日が待っていた。顔見知りでなくても声をかけてきて、食事やカラオケに興じながら「出会う前のイメージは何だったんだろう?」と思った。

翌年、オーストラリアの農場でワーキングホリデー。アジア人限定のシェアハウスには、韓国、台湾、香港からの人が約30人いた。東アジア各国の仲間とバーベキューやパーティーを楽しむ日々は、理想郷に見えた。「これを拡大していけば、仲違いしている国同士もうまくつなげていけるんじゃないか」



その頃に大流行していた動画で、世界各国で変なダンスを踊る男性の姿に、無性に感動した。世界はすばらしい。人と違うことがすばらしい。この世界に生まれてよかった。そして「こんな簡単なことで世界に感動を与えられるなら、俺でも出来る。1人で出来る」

東南アジアや中国・西安での日本語教師を経て、2011年の東日本大震災の時は、タイのバンコクでCNNを見ていた。義援金への感謝を伝えようと、台湾に渡って自転車で「台湾謝謝(ありがとう)」と叫んで回ったら、テレビで紹介された。「自分が動けば思いは届くんだ」と知った。

そしてその夏、韓国へ。「海外に行く前の自分の価値観を崩そう」と試行錯誤の末に試したのが、様々なネット動画で話題になっていたフリーハグだった。おそるおそるやってみたら、2日間で100人とハグできた。



ただ、再生回数は1年で5000回程度。期待外れの反応に、いつしか自分でも忘れていた。

世界が変わったのは2012年夏、自宅でロンドンオリンピックの中継を見ていたら、YouTubeのコメントが分刻みでつき始めた。韓国の李明博大統領の竹島上陸で日韓は騒然としていた。罵詈雑言の中で「韓国のイメージが変わった」「涙が止まらない」「I love Japan」という書き込みに励まされた。

「教師は制約が多くてフリーハグとかできなさそうだから」と、箱根のホテルで客室の清掃や整備などをしながら、貯めたお金で日本各地や韓国、中国、台湾などを回って、フリーハグを続ける。「自分もやりたい」という人がいれば動画を撮りに行く。

ハグして何が変わりますか? 桑原さんはこう答える。

「みんな、ネットやメディアで相手のネガティブなイメージが勝手にできあがっている。ヘイトコメントする人は、相手の目を見て言えないことを言っている。ハグして人間として認め合えば印象は変わる。大手メディアが映し出さない素顔の部分を映し出したいと思いました。違いにフォーカスするんじゃなくて、同じ人間だという部分をフォーカスしていけば、お互いのイメージも変わるんじゃないかな」



「わさびテロ」で韓国人の対日感情が悪化していた2016年11月下旬、ある動画が話題になった。

「日韓断交」と横断幕を掲げて行進するヘイトデモをバックに、チマ・チョゴリ姿の女性が目隠しをして、日本人と抱き合う。韓国のテレビ局「YTN"」やハフィントンポスト韓国版などでも取り上げられ、大きな話題になった。YouTubeでは韓国語で「感動的だがあまりに危険ではないか」「すごい」といったコメントがついている。

撮影したのは桑原さんと、韓国南東部の都市、大邱で日本語を学ぶ女子大生のユン・スヨンさん(22)。2016年2月、大阪の繁華街・戎橋。桑原さんら撮影スタッフ兼ボディーガードの男性3人が万が一のために待機する中で撮影は約4時間行われた。

差別的な言動が社会問題化しているヘイトスピーチと、そのデモを題材に選んだことには「住民として存在を脅かされているし、危険な目に遭うかもしれない。単に刺激的な映像を撮りたいという理由で来てほしくない」(大阪の在日コリアンの女性)という批判もあった。桑原さんは「敏感な問題だと理解しています。こういう現実があるということを動画に収めたい、そしてその中で、僕たちのメッセージを分かりやすい形で伝えようと思ったんです」と話す。

ユンさんは「怖かったけど、応援するために来てくれた人もいて、やめるわけにいかなかった」と話す。「朝鮮人は出て行け」「国交断絶」と叫ぶ声が通り過ぎるのを聞きながら、多くの人とハグを交わした。「韓国の国旗を燃やしたりする人がいるのかと思って身構えていたんですが、差別に抗議するカウンターという人がいることも、そのとき初めて知りました」

hug japan

2015年に静岡大学に留学して、それまで日本に持っていた固定観念を覆された。「日本ではいつも嫌韓デモをやっている。日本人はみんな韓国人が嫌いだ…」と、韓国のニュースを見て漠然と思っていたが、日本に来てコンビニでアルバイトをしていると、名札に気づいて韓国の歌を歌ってくれるお客さんがいた。「差別されるかと思っていたのに、みんなやさしくしてくれた。韓国にある日本への偏見を取り除くために、何かしようと思った」。

ネットで桑原さんの動画を見つけて「これなら私もできる」と、一緒に活動するようになった。クラウドファンディングで旅費を募ると、70万円以上が集まった。約80人の支援者はほとんどが日本人だったという。2015年10月から京都、横浜、札幌、福岡などを回り、支援者の半分以上には直接会った。

大阪での動画が話題になったあと、韓国では「勇気ある女性」というテーマで雑誌の取材を受けるなど、時の人になった。「でも、私より、この活動を支援してくれる日本人の気持ちに注目してほしい。嫌韓デモをする人もいるけれど、そこでも日本人はハグしてくれる」と、ことあるごとに韓国で伝えている。

ハグして何が変わりますか? ユンさんはこう答えた。

「回りから少しずつ変わっていきます。私の両親も日本にいい感情を持っていなかったけど、私の活動を見て、母や弟は日本旅行をするまでになった。私の動画を見て『日本人に偏見を持っていたけど、考えが変わった』という韓国人のメッセージもいくつも届いた。自分の目で判断してもらう、そのきっかけをつくりたい」


■「韓国は大嫌いだったけど…」

freehug

兵庫県に住む自営業の男性(41)は、ユンさんのクラウドファンディングに真っ先に応じた一人だ。かつては李明博大統領の竹島上陸に慰安婦問題、そして「フジテレビの韓国推し」に我慢が出来ないと思う一人だった。韓国は大嫌いだったし、「韓国人はみんな日本人が嫌いなんだろう」と信じて疑わなかった。

「2月11日の建国記念日には橿原神宮にお参りする、という家庭で育ったこともあって、ネットでついつい偏った情報を求めてしまっていた」。それが、フリーハグで抱き合う映像を見て「純粋に感動した。『お互いが嫌いじゃない』というシンプルなことを伝えようとしていることに心を動かされた」。

歴史認識などの問題ではユンさんと話が合わないこともあるが、ユンさんの来日時は食事会をしたり、宿を提供したりするなど、「日本のお父さん」と言われるまでになった。「今は『相手の言い分を聞いてみよう』という所まで戻ってきたかな」。

最近は韓国でフリーハグをしている他の大学生にも少しずつ資金援助している。「若い世代はわだかまりなくやっていけるのかもしれない。僕みたいな逆の立場の人間を説得して、意識を変えるような活動を続けてほしい。それが広がり、積み重なって、未来が明るいものになることを願っています」

単に抱き合うだけの活動から、少しずつ、いろんなことが変わっている。

叶姉妹そろってコミケ降臨「モーゼの十戒みたいに人垣が割れた」

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タレントユニットの「叶姉妹」が12月30日、世界最大級の同人誌即売会「コミケ91」に一般参加で来場した。「モーゼの十戒みたいに人垣が割れた」「花道ができてみんなで拍手した」と目撃報告がネット上で相次いでいる。

前日の29日には妹役の叶美香さん一人が閉会直前に顔を出しただけだったが、2日目の30日は2人そろって来場した。他の来場者のTwitterによると『ジョジョの奇妙な冒険』と、『黒子のバスケ』のボーイズラブ物の同人誌を購入した模様だ。



















※ピクシブ大百科によると、「承花」(じょうはな)は、『ジョジョの奇妙な冒険』の空条承太郎×花京院典明のカップリング。「高緑」(たかみどり)は、『黒子のバスケ』の高尾和成×緑間真太郎のカップリングを指す。


■関連スライドショー(コミケ91のコスプレイヤー)




(※開かない場合は、こちらへ)

トランプ政権閣僚にWWE元CEOのリンダ・マクマホン氏。中小プロレス団体を壊滅させた過去

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中小企業庁に指名されたリンダ・マクマホン氏

トランプ次期大統領が中小企業庁(SBA)長官に指名した、プロレス団体「ワールド・レスリング・エンターテイメント」(WWE)の元CEOリンダ・マクマホン氏は、ライバルのプロレス団体を壊滅させ、10億ドルのプロレス帝国を築いている。

トランプ氏はマクマホン氏を中小企業庁長官に指名したのは、「13人による零細企業から、世界中のオフィスで800人以上の従業員を雇用する株式公開されたグローバル企業に成長させた」(マクマホン氏の個人サイトにそのまま掲載されている発言だ)ことを理由に挙げている。

しかし実際はもっと複雑であり、そして物議を醸している。

「後にWWEとなり、マクマホン氏がほぼ30年間経営に携わってきたワールド・レスリング・フェデレーション(WWF)は、同氏と夫のビンス・マクマホン・ジュニアが1982年に父親のビンス・マクマホン・シニアから引き継いだ時点で、正確に言って零細企業ではなかった」と、リオ・グランド大学の歴史家で、アメリカのプロレス史『リングサイド』の著者スコット・ビークマン博士は述べた。

「マクマホン夫妻がWWFを引き継いだ時、従業員は13人だったかもしれませんが、アメリカの一流の会場で、WWFが毎月大会を開催していたのです」と、ビークマン博士は語った。WWE(旧WWF)の興行をしているニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンは、NBAのニューヨーク・ニックスやNHLのニューヨーク・レンジャースの本拠地にもなっている、およそ2万人が収容できる大会場だ。マジソン・スクエア・ガーデンでは、マクマホン夫妻がプロレスビジネスを引き継ぐ前から、父親のマクマホン・シニアがプロレス興行をしていた。WWFはすでに中部大西洋地域と北東地域にわたるプロレス興行を支配していた。零細企業というよりもむしろ、「はるかに大きな事業規模だった」と、ビークマン博士は述べた。

当時WWFは、プロレス団体のプロモーター連盟「全米レスリング連盟」(NWA)に所属していた。中小規模のプロレス団体は、地域単位で自主運営し、お互いのテリトリーは侵害しないように取り決めていた。NWAは多くの独立系プロレス団体を傘下に収め、各団体がお互いテリトリーに進出したり、ライバル団体のレスラーを引き抜いたりすることを防止する協定を守る協議運営組織だった。

しかしマクマホン夫妻は、全米にプロレスの一大帝国をつくることを思い描いていた。1980年代、WWFは全米進出を目指し、他団体からハルク・ホーガンら人気レスラーを次々と引き抜き、各地のテリトリーに侵攻していった。マクマホン夫妻は自分たちの前に立ちはだかるライバルのプロモーターたちが破滅していくのを気に掛けることはなかった。零細とはいえない2人の企業は、他の地域の既存プロレス団体の多くを吸収し、アメリカのプロレス業界を実質的に独占する組織WWEを確立した。

ビンス・マクマホン・ジュニア氏は、ライバル団体を業界から追い出したことを自慢してきた。

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ビンス・マクマホン・ジュニア氏

「昔は、アメリカ中にプロレスのテリトリーがあり、各テリトリーを仕切る独自の弱小プロモーターが存在していた」と、ビンス・マクマホン・ジュニア氏は1991年、スポーツ・イラストレイテッド誌に語っている。「各テリトリーの弱小プロモーターは、自分の近隣テリトリーの弱小プロモーターの権利を尊重していた。テリトリーの乗っ取りや人気レスラーの引き抜きは、一切認められなかった。アメリカにはこうした弱小プロレス団体が恐らく30くらいあった。もし私が父から営業権を買わなかったら、いまだに30団体が分裂したまま、苦労しながらも運営していただろう。もちろん私は、こうした弱小プロモーターたちに忠誠を誓うことなどなかった」

プロレスファンには『ブラックサタデー』として知られる1984年7月14日、WWEは当時人気だったジョージア州アトランタを拠点とする「ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング・カンパニー」を買収し、その団体の全国ネットTV放送枠を買い取った。スポーツ・イラストレイテッド誌によると、相手のテリトリーに侵攻する、団体を買収する、スターレスラーを引き抜くなど、WWEが仕掛けた弱小プロレス団体への「容赦ない攻勢」は、「こつこつと真面目に取り組んできたライバルを壊滅させるものだった」という。この時WWEは、CNN設立者テッド・ターナーがオーナーを務めていた、WWEに対抗できる唯一のメジャーな全国規模のライバル企業「ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(WCW)を何とか撃退し、最終的には同団体を破滅させ、WWEが生き残った。2001年にWWEは、WCWを買収した。

NWAとその他の弱小プロレス団体は、今でも存在している。しかしそうした団体は、WWEとほとんど競合しない。WWEは今や実質的にアメリカのマット界を独占している」と、ビークマン博士は述べた。

実質的な独占企業となったWWEは、プロレス業界にいたければ、WWEに所属すること以外に良い選択肢を持てないWWEの「労働者」であるプロレスラーに対して大きな支配力を持つようになる。1997年から2009年までCEOを務めたリンダ・マクマホン氏は、WWEが州ごとにある「アスレチック・コミッション」(ボクシングや格闘技の興行権や選手の報酬、ドーピング検査などを統括する組織)の適用外となることを強く要求し、プロレスはスポーツではなくエンターテイメントとして扱われるべきだと主張した。WWEはまた、レスラーへの雇用責任はなく、従業員ではなく、独立契約者であるとも説明している。これにより、WWEはレスラーに健康保険を掛ける必要がなくなった。

アメリカの医療保型制度改革「オバマケア」の一環である医療費負担適正化法(PPACA)が2010年3月に通過する前、プロスポーツ選手のようなハイリスクの職業は、保険加入が非常に困難だった。仮に加入できたとしても、保険料は非常に高額だった。プロレス専門のニュースメディア「PW Insider」によると、WWEは2011年までレスラーが医療保障を受けることを要求していなかったという。

2008年に3人のレスラーがWWEを訴えた。WWEはレスラーの副業を禁じるなど、雇用のあらゆる側面で「完全にコントロール」しているから、レスラーたちは必然的に従業員であり、それ相応の報酬があるべき、と主張した(この公訴は棄却された)。

「あらゆる状況を考慮しても、レスラーが従業員ではないといい切れるのか、全く意味がわかりません」と、労働者の補償問題に取り組んでいるカリフォルニア大学アーバイン校のロバート・ソロモン法学部教授は言う。レスラーを契約業者のように取り扱うことは、「労働者の弱みにつけこんで」いることになる、とソロモン教授は付け加えた。

WWEの広報担当者は、コメントを拒否した。トランプ氏の政権移行チームとマクマホン氏もコメントに応じなかった。

WWEは、レスラーの薬物中毒からのリハビリを支援し、リング内で起きたケガに対して治療費を支払っていると述べていた。WWEはまた、筋肉増強剤であるステロイド使用の対策が不十分だという批判に反論し、薬物検査を含むWWEのウェルネス・プログラムがあると主張している。

レスラーを独立契約者扱いするのは、これまで改善されることのなかった慣例だ。プロレスは非常に危険性が高いことから、特に物議を醸している。USAトゥデーの調査によると、1997年から2004年までの間に、少なくとも65人のレスラーが死亡した。この死亡件数のうちの17件では、ステロイド、鎮痛剤、その他の薬物の使用が死因だと鑑定されている(このレポートでは、このうち何人が死亡時にWWEと契約していたかについては指摘していなない)。

マクマホン氏とWWEは、レスラーの死亡責任を長く否定してきた。マクマホン氏は2007年の議会公聴会で、確かに死亡件数は多過ぎるが、「レスラーに起きたこと、レスラーが選んだどんなライフスタイルにも、そしてご存知のように、レスラーの死を引き起こしたものに対して、私たちは無関係なので、レスラーに対して責任を感じることはありません」と述べた。

トップレスラーだったクリス・ベノワはステロイドの副作用に悩まされ、2007年6月、家族を殺害した後自殺した。その後マクマホン夫妻は不法薬物使用に関する疑惑を調査する委員会で証言したが、リンダ・マクマホン氏は、1996年から2006年まで、WWE関係者がステロイドや不法薬物を使用していたことを今まで知らなかったと強調し、「(薬物使用の報告は)記憶にない」と述べた。

chris benoit wwe
クリス・ベノワ(中央)

WWEはまた、過去にステロイド使用の防止対策が不十分だったと告訴されている。ビンス・マクマホン・ジュニア氏は、レスラーたちに筋肉増強剤アナボリックステロイドを投与した共犯罪で、1993年に連邦政府に告訴された。ハルク・ホーガン、本名テリー・・ジーン・ボレア氏は、ビンス氏の秘書に電話し、ビンス氏に自分の注文を伝えるように依頼し、給料と一緒にステロイドを受け取っていたと後に証言した。ビンス氏は最終的に無罪となった

vince mcmahon donald trump
2007年4月1日、ミシガン州デトロイトで開催されたWWEの大会「レッスルマニア」に出場したドナルド・トランプ氏が、ビンス・マクマホン氏の髪の毛をシェービングする



マクマホン夫妻は長年トランプ氏を支持しており、2007年から2009年の間に、トランプ財団に500万ドルを寄付している。また、トランプ氏のスーパーPAC(資金管理団体)に、700万ドルの政治献金をしている。

次期大統領の他の閣僚指名者よりは、物議を醸すことはないかもしれない。閣僚の中には、白人至上主義者的思想を扇動しているニュースサイト「ブライトバート・ニュース」の会長を務めた、首席戦略官スティーブ・バノン氏もいる。しかしもしマクマホン氏が承認されれば、中小企業への多額の融資保証プログラムの運営、災害復旧での支援、医療保険規制のような問題を企業が扱う際の支援など、重要な責任を負う。マクマホン氏はかつて中小企業庁(SBA)を商務省に組み込むことを支持していたが、この機関は中小企業の経済活動を守るために機能する。WWEでの医療保険や独立契約者に対するマクマホン氏の考え方は、SBAの職務に影響する可能性がある。そして中小企業の経営者の中には、マクマホン氏に懸念を示している人もいる。

「私たちには、中小企業の経営者たちの苦悩を本当に理解し、組織を正しい方向に導き、迷路のように複雑な政策の舵取りができる、専門知識があるSBA長官が必要だ」と、中小企業連合の全国組織「メインストリート・アライアンス」のナショナル・ディレクター、アマンダ・バランタ氏は述べた。「リンダ・マクマホン氏はSBA長官として適性がなく、私たち中小企業のニーズや、中小企業経営者のニーズに対処する能力がないのではないかと懸念しています」

ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。

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「プロポーズを迷った52年前の自分へ」76歳男性が貫いた一途な愛とは

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76歳男性のせつない言葉が今、静かな感動を呼んでいる。

12月29日にTBS系で放送された「爆笑!明石家さんまのご長寿グランプリ2016」。全国各地の高齢者が若いときの自分に向けてビデオレターを送るというコーナーで、彼は登場した。

茨城県境町の秋元秀夫さんだった。雪が降る田園地帯を背景に、彼は24歳のときの自分にメッセージを投げた。それは以下のような言葉だった。

おい秀夫!74歳になったお前だ。元気か?
お前は勤め先で知り合った、
顔の小ちゃい可愛いハナちゃんとつきあうことになるぞ。
あんまりモテないお前は
こんな俺なんかっていうことで
結婚を迷うけど思い立ったらすぐ行けよ。
なぜならハナちゃんは2年後で病気で亡くなるんだ。
お前はすごく後悔し悲しんでずっと忘れられなくなる。
だから76歳になった今でも独身のままだ。
だから秀夫 俺の代わりに伝えておいてくれ。
俺の人生の中で一番愛してたのはハナちゃんだ。
そして最も好きだったのがハナちゃんだ。
よろしく伝えておいてくれ。
ハナちゃん、愛してるよ。


彼の言葉に対して、ネット上では「涙が止まらない」「感無量」との感激する声が出ている。











■関連スライドショー(2016年に結婚した人々)




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「戦士は死に時を分かっている」 素手で爆弾処理をするクルド人兵士たちの思い

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ISが作った即席爆破装置(IED)の撤去を行い、その残骸を手にするペシュメルガ兵。18日、 エルビルとモスルの中間に位置する村、ハサン・アル・シャムにて。 / SOPHIA JONES/THE WORLDPOST

【イラク、ハサン・アル・シャムよりレポート】

サルバス・サリムとその部下達がIS(イスラム国)に占拠されていた家屋に立ち入ったとき、彼らは玄関を通らず、窓から忍び込んだ。

クルド人の民兵組織「ペシュメルガ」のサリム中佐と、彼が率いる爆弾処理班は村々で撤去作業をする時にいつもこうしている。

部下と同じように、サリム中佐自身も素手で爆弾処理をする。「我々が持っているのは、自分の目とペンチだけだ」。サリム中佐は誇らしげな笑みを浮かべてそう言った。

アメリカの支援を受けているイラクのモスル奪還作戦で、IEDの探索・除去という任務を背負った兵士たちは極めて重要な役割を担っている。イラク北部の都市モスルは、 ISに残された国内最後の主要拠点だ。

私はサリム中佐の班に同行し、彼らがモスルから約48km離れたハサン・アル・シャムの村をパトロールするのを見守った。ペシュメルガは10月17日、このイラク北部の村をISから奪還した。

ISの兵士は時に即席爆破装置(IED)を主要道路の上に設置する。爆破装置はコーランの中に挟み込んであることもあれば、玄関のドアに設置されていることもある。 ハサン・アル・シャムに設置されていたある爆薬の束の中にあった起爆装置はごく小さく透明で、ほとんど目視することができなかった。

「すべてを疑わねばならない」。サリム中佐は言った。


サルバス・サリム中佐が2014年11月12日にFacebookに投稿した自らの写真。撮影日は不明。/ FACEBOOK/SARBAST SALIH


ISによる「焦土作戦」のカギを握っているのが、安価で簡単に製作できる爆破装置だ。彼らは撤退時にあらゆるものを破壊し尽くすことでその土地での生活を不可能にし、民間人、軍人を問わず人々を無力化する。ハサン・アル・シャムには爆弾がばら撒かれた。モスル奪還戦を長引かせようとする作戦の典型だ。

イラクとクルドの戦闘部隊はイラク第2の都市モスル奪還を目指して進軍しているが、それにともなって周辺村落のいたるところに設置されたIEDを除去していくのは困難な作業だ。

サリム中佐の部下のほとんどは手袋をつけずに作業にあたる。防護メガネや対地雷防護スーツも身につけない。ただ単に、何も持っていないからだ。ヘルメットをかぶる人もいない――装甲車の中にいくつか、予備用ヘルメットが置きっぱなしになってはいたが。ほんの数人が、ぼろぼろになった防弾チョッキを着ているだけだった。

ペシュメルガ爆弾処理部隊の一部は耐地雷「バジャー(穴グマ)」装甲車に乗ってやって来たが、ほとんどは普通の軽トラックやSUVに乗っていた。その一方、イラク軍の班は少なくとも1台の地雷除去車両を持っていた。

しかし実際の爆弾処理は大半が手作業で、爆発物からほんの数センチのところまで顔を近づけながら行われた。


地雷除去車両のイラク兵士。10月18日、イラク北部、ハサン・アル・シャムにて。 / SOPHIA JONES/THE WORLDPOST

自分たちが本当に必要としているのは、アメリカ軍が爆弾の遠隔操作防止に使っているような電波妨害装置だと、サリム中佐は語った。

「これが俺の武器さ」。あるペシュメルガ兵は古びた2本のペンチを指差して冗談ぽく語った。

ハサン・アル・シャムを貫く道の両脇にある、草の茂った土手が燃やされた。草むらに隠されたIEDを破壊もしくは爆破しようと、地雷除去兵たちが火をつけた。

適切に処理できる見込みが薄いと判断した場合、最後の手段として、爆弾と思われる物体を銃で撃つこともある。


ISが仕掛けた処理済みのIEDの隣に立つペシュメルガ兵。この爆破装置は車両や歩行者による圧力で起爆する仕組みとなっており、ハサン・アル・シャムの主要道路の側溝のそばに隠されていた。 / SOPHIA JONES/THE WORLDPOST

軍用車の長い隊列が急ブレーキをかけて止まった。 周囲にIS戦闘員の姿はなかったが、命取りになるような「餞別」が残されていた。部隊の前進を阻む、爆弾のトラップを仕掛けた塹壕だ。

「ISは目立たない場所に爆破装置を置くんだ」。 サリム大佐と共に作業の指揮を執るクルド人兵士サーワン中尉が言った。彼の背後では部下が屈み込んで、がれきに埋もれたIEDに目を凝らしている。 「こういった爆弾の中には、処理に1時間かかるものもある」

ペシュメルガの地雷除去兵は、自分たちは恐怖に対処する術を身につけているのだという。

「戦士は死に時をわかっている」。 サーワン中尉は言った。「しかし、死がいつ、どこでやってくるかはわからない。恐怖心を表に出していてはできない仕事だ」


同僚が爆弾処理を行うあいだ、耐地雷「バジャー(穴グマ)」装甲車の中で作業完了を待つペシュメルガのクルド人地雷除去兵。

サリム中佐が見つけたISの爆弾は、自分で数えただけでも500個以上に上る。

カザールの前線付近に赴いたペシュメルガのマハムード・カカイ司令官によれば、同部隊は2014年から現在までにおよそ1万3000個のIEDを撤去した(この数字を独自に確かめることはできなかった)。マハムード司令官は「解放された」村落から隠れた爆破装置や爆弾じかけの罠などが完全に撤去されるまで、3カ月かそれ以上の時間がかかるだろうと見積もった。

ハサン・アル・シャムの爆弾撤去任務にはクルドとイラクの両軍が携わった。

この協力関係こそが、モスル奪還作戦の鍵だ。モスルをめぐる戦いには、クルドのペシュメルガ、 シーア派民兵、トルコ軍、スンニ派部族兵など、軍隊を含む様々な戦闘部隊が関わっている。その一部は、激しい争いを経験した敵同士だ。

この日、イラク人部隊とクルド人部隊は何度かの言い争いを経て、2車線道路の1車線ずつに手分けして作業を進めていくことに決めた。


連携してIEDの探索・除去を行う中、イラク軍部隊を見つめるクルドのペシュメルガ兵。 / SOPHIA JONESTHE WORLDPOST

クルド自治政府はイラクでの自治権を拡大し、ISに対抗するために長い間闘ってきた。2014年にISがモスルに侵攻を仕掛けて占領した際、多くのイラク兵が街から逃げ出し、ISはその後国土の約40%にまで支配地域を拡大した。

しばらく後で、ペシュメルガ兵のひとりが私に向かって怒ったように首を振り「イラク兵とつるむのはやめておけ」と告げた。

モスル奪還に向けた戦いには持続的な協力が必要となるだろう。市内からの報道によれば、ISは以前と同様、民間人を盾として利用しているという。

またISは、イラクとクルドの合同部隊が街へ近づくにつれて自爆テロを増加させ、IEDの設置を進めるとみられる。

ISは塹壕やトンネルを掘り、民間人に紛れて空襲を避けながら、2年以上に渡ってこの時のために用意をしてきた。


ハサン・アル・シャムの道路を塞いでいたIEDが撤去されるのを待っている、クルド人ペシュメルガ兵 / SOPHIA JONES THE WORLDPOST

モスルでは、他のIS支配地域で起きたような民間人の大規模避難はまだ始まっていない。イラク軍はモスル市民にむけて屋内にとどまるよう指示するビラを投下した。安全な避難ルートはない。

しかし、だからといって人々が避難しないということにはならない。もしチャンスが与えられれば、彼らは出ていくだろう。

国連発表によると、作戦開始から数週間で20数万人のイラク人が住処を失い、シェルターや人道支援を必要とする人の数は最終的に100万人に上るおそれがあるという。難民キャンプの空きも物資も、全く足りていない状況だ。

ISの支配地域から逃げる人々にとって、地雷は大きな脅威となっている。

デバガキャンプで暮らす国内難民のイラク人家族から話を聞いたところによると、彼らがキルクーク県ハウィジャから避難する途中で15歳の親戚が亡くなった。遺体はその場に置いていかなければならかったという。


ペシュメルガの耐地雷装甲車「バジャー号」から外を見た様子。 / SOPHIA JONES THE WORLDPOST

ハサン・アル・シャムの道端、ブルドーザーがうなりをあげ、たくさんの爆発物が含まれているかもしれない砂の山をかき分けて進む傍らで、サリフ中佐は多くの友人の命を奪った爆弾処理の仕事にこだわり続ける理由を語った。

「いつも思うんだ。自分がこの爆弾を取り除かなければ、一般市民が命を落とすだろうと」。彼はそう言った。危険な仕事なのは承知の上だった。

ISがイラクの大部分を制圧した2014年から私が取材した2016年10月18日までの間に、サリム中佐の部下7名が隠されていた爆弾で命を落とした。中佐の家族は、彼が仕事に出るたびに心配して、安否を気遣う電話をかけていた。

しかし18日の夜、 サリム中佐から折り返しの電話が来ることはなかった。

私が去った数時間後、サリム中佐はISのIEDの処理作業中に亡くなった。43歳だった。

ハフィントンポストUS版より翻訳・加筆しました。

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ドゥテルテ大統領の暴言で振り返る2016年 締めは「ヘリから中国人を突き落としたことがある」

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フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は12月28日、南カマリネス州で演説し、「ヘリコプターから中国人を突き落としたことがある」と発言した。そして、再びするかもしれないという。

ロイター通信によると、ザ・パニッシャー(仕置き人)の異名を持つロドリゴ・ドゥテルテ大統領は、かつてレイプ殺人容疑の中国人男性をヘリコプターから投げ飛ばしたことがあると発言した。

彼は「もし腐敗にまみれた人間がいたら、ヘリコプターに乗せ、マニラへ向かう途中で上空から捨てる」と述べた。

「前にやったことがある。またするかもしれないな」


ヘリコプターから人を突き落としたことがあると発言するフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領

しかしドゥテルテ大統領は29日になって、ABS-CBNニュースのインタビューで「人を突き落としたのは本当か」と尋ねられ、あいまいな答えを繰り返した。

「ヘリコプターから人だって?」「もしそれが本当なら、認めないだろうな」

エルネスト・アベリャ大統領報道官は、この話は「都市伝説」だと語った。

ドゥテルテ大統領の暴言はこれだけではない。彼は対戦相手と2倍以上の票差で大統領選に勝利した。他にも以下の6つのお騒がせ発言がある。

1. 「3人射殺した」

ドゥテルテ大統領は2016年12月初め、ダバオ市長だったときに3人の犯罪容疑者を射殺したと発言した。

「3人殺した。 俺の銃からいくつ銃弾が出て彼らの体内にぶち込まれたか分からない。とにかくそういうことだ。この件について嘘はつけない」

2. 「麻薬中毒者は殺せ」

ガーディアン紙によると、大統領就任日に、「麻薬中毒者を殺せ」と人々に呼びかけた。

彼は「麻薬中毒者を知っているのなら、そうしてくれ。自分自身で殺してくれ。親が手を下すのはあまりにも辛いだろうから」と発言した。


マニラで麻薬の強制捜査が行われる中、顔を覆う麻薬容疑者たち

3. 「国連を焼き払う」

約6000人を殺害した麻薬密売人に対する取り締まりを国連が非難すると、ドゥテルテ大統領は反撃に出た。

インディペンデント紙によると、彼はゼイド・ラアド・アル・フセイン国連人権高等弁務官を「バカ」と呼び、「国連で苦情を申し立てればいい。私は国連を焼き払う」と語ったという。

「アメリカに行ったら、焼き払ってやる」

4. オバマ大統領に「くそったれが」

麻薬取引の取り締まりについてアメリカ大統領から尋ねられたら、どう答えるのかとの記者からの質問に、「敬意を示してくれ」と言うと述べた。

BBCによると、彼はオバマ大統領に「私に対して敬意を払うべきだ。質問なんかするな。このプータン・イナ・モ(くそったれ)が。もし奴が話を持ち出したら会議でののしってやる」と語ったという。

5. ジャーナリストにも「くそったれ」

イギリスの「チャンネル4ニュース」アジア担当のジョナサン・ミラー記者に「消え失せろ、くそったれ」と罵った。大統領就任からまだ日が浅いうちに政府が数千人を殺したことについて質問されたときのことだ。


マニラ刑務所の囚人たち

6. 「俺はヒトラーの従兄弟だと言われている」

麻薬取り締まりについて演説しているときに、ホロコーストに触れ、300万人の麻薬中毒者を「喜んで殺害する」と述べた。

ドゥテルテ大統領は「俺はヒトラーの従兄弟と形容されている」と述べ、「ヒトラーは300万人のユダヤ人を虐殺した。フィリピンには同じ数の麻薬中毒者がいる。俺は喜んで彼らを虐殺する」と語った。

彼はフィリピン政府が推計した国内の麻薬中毒者数に言及していた。歴史学者らによると、第二次世界大戦前と大戦中にヒトラーの指導下でナチスにより600万人のユダヤ人が殺された。

ハフィントンポストUK版より翻訳・加筆しました。

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南アフリカは、なぜ深刻な水不足に悩まされ続けているのか?

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2015年、南アフリカ共和国は観測史上最も雨が少なかった。特に南東部のクワズール・ナタール州は最も深刻な被害を受けており、2つの主要なダムが30年ぶりの低水位となった。

「干ばつ」とは正確には何のことだろうか? 南アフリカのジャーナリズム検証サイト「アフリカチェック」の基準によると、2016年8月までに、9つの州のうち8つが干ばつ災害地域に指定された。

2016年を通してレベル1と2の断水があり、郊外では多くの地域が断続的に水道が止まった。

しかし南アフリカの中流階級にとって、水不足はちょっと困ったことくらいにしか感じないようだ。




ツワネ市は、断水計画を適切に管理しなかった責任を完全にとらなければならない。事前の通知はなかった。3日目だが一部地域はまだ乾燥している。

南アフリカの多くの人々は、水資源がどのように分配されているかまだ理解していないようで、大雨が数日続けば断水が終わると期待している




洪水を引き起こすほどのすごい大雨だったのだから、南アフリカの行為は偽善だ。今朝、気づいたら断水している。

しかしこのようにはいかない。南アフリカに水を供給するダムの水位はいまだに非常に低いので、数日間の雨だけでは、水を満たすには程遠い。

南アフリカの干ばつの原因とみなされているのは、気候変動と、海水温の上昇により地球規模の異常気象を引き起こしてアフリカ南部の雨を減らすエルニーニョ現象だ。

科学者で水の専門家であるフリーステイト大学のアンソニー・タートン教授はハフィントンポスト南アフリカ版の取材に、「2004年に水・環境省が作成した「国家水資源戦略2013(NWRS2)」によると、政府は南アフリカの水問題が深刻化していることを2013年から認識していた」と語った。

南アフリカ安全保障研究所(ISS)はタートン教授の見解に同意しているようだ。政府の報告書「アフリカの未来2013」でも、以前から水の危機を認識している。

「NWRS2で設定された政策は、南アフリカが直面している水の問題に対処する上で不十分なのは明らかだ。需要と供給のギャップを2035年までに埋めるための政策を今導入したとしても、今後20年間は水を過剰に使用し続けることになるだろう」と報告書には書かれている。

しかし、雨不足とこれまでの水問題を理由にした対策だけでは問題解決はおぼつかない。政府は古い鉱山地域から汚染水が流出する酸性鉱山排水問題(AMD)にも対処しなければならない。この水を飲用にしたり、農業で安全に使うには、脱塩処理で水から無機物や塩類を取り除く必要がある。当局、特にハウテン州は2002年以降この問題の緊急性に気づいていたが、ノンブラ・モコニャネ水大臣は、ようやく2016年5月になってようやく酸性坑廃水の長期的な解決策を立ち上げた。

深刻な水不足をもたらしている理由はまだある。大幅に遅れているレソト高地水資源プロジェクト(LHWP)だ。このプロジェクトは第2段階で、山地のレソト王国をハウテン州とつないで、より多くの水を供給しようしている。2010年に2カ国間で協定が調印されたが、まだ発効していない。

このプロジェクトは、モコニャネ大臣がプロジェクトの契約で不正を働いた疑惑があり、2025年までは次の段階が完了しない見込みだという。

南アフリカの人々は水を節約するためにさまざまな知恵を使ってきた。それでも、私たちは長い間、乾燥のただ中にいる。



ハフィントンポスト南アフリカ版より翻訳・加筆しました。

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米倉涼子が離婚「女優として、一人の女性として、前をみて進んでいきたい」

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米倉涼子、離婚の事実以外は語らず 今後は「前をみて進んでいく」

女優の米倉涼子(41)が30日、2014年12月に結婚した2歳年下の会社経営の男性と離婚した。同日、所属事務所を通じて発表した。

米倉は直筆サインとともに書面で「私たちは時間をかけて協議を重ねた末、この度、離婚が成立致しましたのでご報告させて頂きます。私事でお騒がせしましたことをお詫び申し上げます」とコメント。

「これからも女優として、一人の女性として、前をみて進んでいきたいと思っております。また新たな気持ちで自分らしくいろいろなことに挑戦していけるよう、日々精進して参ります」と気持ちを新たにしている。

なお、事務所によると離婚の内容や詳細について「お相手の方が一般の方ということもありますので、離婚したという事実以外は何もお答えすることができません」とし、今後も「離婚の事実以外は語らない約束となっておりますので、経緯、詳細などに関しましてはご容赦頂きたく、ご理解いただけますようお願い申し上げます」と伝えている。


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ビルの壁に落書き容疑、2人逮捕 自称「デザイナー」

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ビルの壁に落書き容疑、2人逮捕 SNSで「作品」公開

 名古屋市中区の繁華街でビルの外壁に落書きをしたとして、愛知県警が今月中旬、男2人を建造物損壊容疑で逮捕していたことが、県警への取材でわかった。2人は「デザイナー」などと自称。落書きはグラフィックアートの「作品」として、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に公開していたという。

 中署などによると、逮捕されたのは愛知県西尾市の会社員の男(22)と住居不詳の無職少年(19)。2人は12日午前2時ごろ、同区錦2丁目で、それぞれ違うビルの外壁にスプレーで落書きし、建造物を損壊した疑いがある。

 落書きされた2棟のビルは2階建ての建物をはさんで隣り合っており、2人は間の建物の屋根に上って落書きをしたという。通報を受けて中署員が駆けつけたところ、別の少年2人が付近におり、4人で落書きしていたことを認めたという。



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落書きされた建物。右側のビルの3階に描かれた落書きが逮捕容疑=名古屋市中区錦2丁目

(朝日新聞デジタル 2016年12月31日 05時00分)

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韓国・釜山で撤去された少女像、一転して設置許可 市民団体「偉大な勝利」

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撤去の少女像、再び設置 釜山の日本総領事館前

 韓国南部・釜山の大学生や市民団体が30日午後、日本総領事館前に旧日本軍の慰安婦問題を象徴する「少女像」を設置した。31日夜、像の除幕式を行う。日本政府は像を設置させないよう韓国政府や釜山市に繰り返し求めてきた。

 韓国外交省は30日夜、「外国公館への国際儀礼や慣行を考える必要がある。我が政府や当該機関が慰安婦問題の歴史の教訓を記憶する適切な場所について知恵を絞ることを期待する」とのコメントを発表した。「日韓合意を着実に履行するという我が政府の立場に変わりはない」とも記し、少女像の設置を歓迎しない立場を示唆したが、撤去については言及を避けた。

 韓国政府は、日韓外交を維持する必要に迫られる一方、対日批判で燃え上がった世論との間で板挟みの状態に陥っている状態だ。

 市民団体は慰安婦問題の日韓合意から1年となった28日に像の設置を試みたが、道路の管理権限を持つ釜山市東区と警察当局によって強制撤去されていた。

 市民団体関係者によれば、団体は30日午前に東区関係者と面会。区側は強制撤去を謝罪し、設置を妨げない考えを示したという。

 東区には28日の強制撤去後、苦情や抗議の電話が殺到していた。市民団体は30日、フェイスブックを通じて「国民の勝利だ」と報告。同日午後、総領事館前で記者会見を開き、「歴史をただし、民族の自尊心を打ち立てる市民の偉大な勝利だ」などと主張した。

 市民団体は31日午後6時から市内で集会を開いた後、午後9時から正式に像の除幕式を行う。

 韓国では、世論調査で日韓合意の破棄を求める声が6割近くに上り、朴槿恵(パククネ)政権を批判する野党も世論に便乗。黄教安(ファンギョアン)首相が29日、日韓合意の順守を改めて訴えたが、稲田朋美防衛相が29日に靖国神社に参拝したこともあって、対日批判の雰囲気が高まっている。

 慰安婦問題を象徴する少女像は、ソウルの日本大使館近くにも設置されており、日本政府が移転を求め続けている。日韓合意では、韓国政府が「日本政府が公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知」したうえで、「解決されるよう努力する」としている。(ソウル=牧野愛博)

■日本政府は抗議

 釜山での少女像設置について、日本外務省は30日、韓国政府に「日韓合意の精神に反しており、極めて遺憾だ」などと抗議し、早急に撤去するよう申し入れた。

 申し入れは、杉山晋輔外務次官が李俊揆(イジュンギュ)駐日韓国大使に、長嶺安政駐韓大使が林聖男(イムソンナム)韓国外交省第1次官に対し、それぞれ行った。



(朝日新聞デジタル 2016年12月31日 00時42分)

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(朝日新聞社提供)

ジャニーズの後輩たちに受け継がれる、SMAPが蒔いた"種"

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ジャニーズの後輩たちに受け継がれる、SMAPが蒔いた“種”

様々な角度からSMAPに迫る連載第20弾。ついに、SMAPが解散を宣言した12月31日がやってきた。同日夜には、彼らのいない『第67回NHK紅白歌合戦』が放送され、多くの後輩たちが出場する。放送を前にした記者会見で後輩たちは、口々に偉大な先輩への想いを語った。SMAPが蒔いた“種”は、後輩たちに、そしてファンの中にどんな“花”を咲かせるのだろうか。

◆紅白会見で“偉大な先輩”SMAPに後輩たちが語った言葉

 『第67回NHK紅白歌合戦』のリハーサルで、ジャニーズ事務所の後輩たちが、次々に“偉大な先輩”であるSMAPについてコメントしている。それぞれが、SMAPが従来のアイドルの概念を打ち破ったパイオニアであることに言及し、学んだこと、教えられたことを胸に自分たちなりに頑張ると宣言していた。

 これまで、様々なジャニーズのグループを取材しながら、彼らが所属する事務所のジャニー喜多川社長は、タレントのコメント一つにもダメ出しすると何度か聞いたことがある。記者会見のあとなど、メンバーが5人いようが7人いようが、他の人と似たようなことを話すな、印象に残ることを言わないと新聞やテレビで使われない、というように諭すのだそうだ。ジャニーズ以外にも、たくさんの俳優やミュージシャンやタレントを取材する立場からよく思うのは、確かにジャニーズ事務所所属のアーティストは、短時間で心に残る、あるいは心に引っかかるコメントをするのがうまい。ちょっとキザな言い方をすれば、どこからか借りてきたのではない、自分の中から湧き上がる“言葉の世界”がある人たちが多いのである。もちろん、それについてはSMAPの5人が最たるものだろう。

◆国分太一、KinKi、嵐……それぞれが抱いた想い

 今回のSMAPに対するコメントで特に印象的だったのは、TOKIOの国分太一が『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)最終回の翌日、『白熱ライブビビット』(TBS系)で吐露した「SMAPを認めてしまったら、あの先輩にかなわないかもしれないと思ったりしたから、数年前とか “なんだろうなこのグループ、あんまり好きになれない”と思ったこともあったんです」という後輩なりの“本音”。デビュー前は、(SMAPの前身の)スケートボーイズの一員としてSMAPのメンバーとともに光GENJIのバックで踊ったこともある国分が、前日の“スマスマ”最終回を観て、「こんなこともやってたんだSMAPは。(SMAPを認められなかった)俺、小っちぇな」と思ったそうだ。

 “紅白”の記者会見では、デビュー前からSMAPのバックを長く務め、SMAPのことを“兄さん”と慕うKinKi Kidsの堂本剛が、「本当に大きな存在で、その存在は変わることなく、僕たちはいつものようにお兄さんたちのことを尊敬し、愛し、生きていくんだろうなと思います」と語った。嵐の大野智は、「一緒にお仕事させていただいたこともたくさんある。僕らにとっても一種の宝物」と語り、櫻井翔は「誰も経験してこなかったことを最初に切り開いてくれた方々」とその功績を讃え、松本潤は「国立競技場でライブをやっているのを見て、自分たちもいつか立ちたいなと思っていた」と、先輩から受けた刺激について素直に発言した。また、Sexy Zoneの菊池風磨は、「僕らだけではなく、全国民の皆さんにとっても、SMAPは永遠にSMAP。追いつけ追い越せの精神で、僕らも飛躍できたらと思っています。本当に大好きな先輩です」と、若手ながら堂々とコメントしたという。2015年1月放送のドラマ『新ナニワ金融道』(フジテレビ系)で中居正広と共演したこともあり、当時のインタビューでは、中居からバッグをプレゼントされたことを嬉しそうに語っていたことを思い出す。

◆後輩もファンも“SMAPチルドレン”、朝日新聞広告にも一つの“花”が

 SMAPは、アイドルの活躍の場を歌番組やコンサートやドラマや舞台以外に、バラエティーに情報番組にと、テレビでの活躍の場を広げ、それまでティーン中心だったファン層を“オトナ女子”や“男市場”にまで開拓。コンサートやCDセールスで次々に新たな記録を打ち立て、災害があれば真っ先に行動し、後輩たちのことも積極的に引き立て、スターになってもなおたくさんの挫折を経験しながら、力を合わせて立ちはだかる壁を乗り越えてきた。そんな彼らに憧れ、背中を見て育った後輩は、明らかにSMAPの魂を受け継ぐ“SMAPチルドレン”なのだろう。以前このコラムで、“自分たちにできることを”と行動するファンもまた“SMAPチルドレン”だと書いたことがある。そして30日、朝日新聞に載った“SMAP応援プロジェクト”の広告に、SMAPスピリッツというかSMAPが咲かせた愛の花を見た気がした。そこに自分の名を連ねられなかったことを、激しく後悔した。

 花は、やがて実を結び、実の中には種が宿る。それが地中に蒔かれて芽を出し、いつかまた花を咲かせる。ファンのやっていることは自己満足とか慰めに過ぎないと、揶揄する人もまだまだ多い。もう彼らを解放してやれ、そっとしておいてやれよ、とそんな声も聞こえる。でも、例えばあの新聞広告で、ファンは“解散しないで”と嘆願しているわけでもないし、“戻ってきて”と強要しているわけでもない。SMAPが教えてくれた助け合いの精神を、「これからも私たちが受け継ぎます」と宣言しているだけだ。解散という事実は事実として受け止めながら、でもSMAPという花が一旦散った後に実った果実があって、その中に宿る愛の種は、後輩や、ファンの心にもう蒔かれてしまった。だから、その種が育って花を咲かせ実を結ぶ営みを、これからも決して絶やしたりはしないと、目に見える形で誓いを立てただけだ。

◆“SMAPのいない2017年”ではなく、種を抱き花を咲かせる時

 それにしても、つくづくSMAPは常に何かと戦っているグループだと思う。初期の頃、SMAPは瞬時に一斉を風靡した光GENJIという巨大な壁と比べられながら、アイドルという偏見と戦ってきた。人気者になってからも、メンバーが脱退したり、不祥事を起こしたり、アイドルのタブーを破ったり。“国民的”という看板を背負い、常に結果を出さなければならないプレッシャーもあっただろう。でも、彼らがずっと戦ってきたからこそ、私たちはいろんな“特別な景色”を見せてもらえた。『SMAP 25 YEARS』も、騒動があったからこそSMAPの“人類愛”が炸裂した選曲になり、結果、奇跡のように美しいアルバムに仕上がっている。映像集『Clip! Smap!』にしても、“こんな映像が残っていたなんて!”というサプライズが満載で、現時点でファンには“スマロス”に陥っている暇などないと感じられるほど、SMAPの音楽と映像が周りには溢れている。この連載にしても、文章を書いてこんなに大勢の人から反響をいただいたのはライター生活でも初めてのことだ。読者との出会いもまた、SMAPがくれた種が咲かせてくれた花。そして何よりあの新聞広告は、本当に美しい大輪の花だ。不条理を乗り越えようとしてファンが咲かせた心の花である。それを見たとき、私はあまりの美しさに涙しそうになった。きっとSMAPは、ファンにとっても後輩にとっても、彼らに仕事で関わった人たちにとっても、永遠の“花咲か兄さん”なのだろう。

 後輩たちはSMAPの見せてくれた背中をずっとずっと追いかけ、ファンはSMAPがくれた愛の種を胸に生きる。形式上は解散しても、新曲を心待ちにできなくても、5人でのコンサートの予定がなくても、菊池風磨の言った通りSMAPは永遠にSMAPのまま。堂本剛と同様に、これからもずっと彼ら5人を愛し、生きていくだけなのである。
(文/菊地陽子)


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SMAPだけじゃない、ベッキー、乙武、ASKA...2016年話題の人々(画像集)

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SMAPに始まり、SMAPに終わった感のある2016年の話題。

ほかにもいろいろありました。画像集で振り返ってみましょう。

改めて、週刊文春の記事が発火点になることが多かった年でした。

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りゅうちぇる、ぺこと結婚してた 生放送で喜び発表へ

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人気モデル・タレントのりゅうちぇる(21)と、「ぺこ」の愛称で知られるオクヒラテツコ(21)が、すでに結婚していたことがわかった。12月30日、サンスポなどが報じた。二人は31日放送の「しあわせニュース2016おおみそか」(NHK)に生出演。ぺこはTwitterで、「いろいろお話するみたいでどきどきたのしみ」などと投稿した。




りゅうちぇるは1995年9月29日生まれ、沖縄県出身。ぺこは1995年6月30日生まれ、大阪府出身。

モデルプレスによると、二人は高校卒業後に上京。2014年5月、バイト先のアパレルショップ「SUPER WEGO」で出会った。この年の7月3日から交際をはじめ、半年後には、同棲をスタートしたという。

2016年7月のザ・テレビジョンの記事では、既にりゅうちぇるがぺこの両親に挨拶したと報じられていた。“スキンヘッドに髭”というぺこの父親について、りゅうちぇるは「超怖くて乳首立った・・・」と明かした。

8月に放送された「ダウンタウンなう」(フジテレビ系)では、りゅうちぇるが電話でぺこにプロポーズ。坂上忍に「その、嘘の口調やめたら」と言われたりゅうちぇるは、ぺこに低い声で「来年ぐらい、(結婚)しようさ」などと告白していた。このプロポーズにぺこは「めっちゃ信用できた」と返答。りゅうちぇるは、「本当?いつもごめんね。ごまかして」などと謝罪した。




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紅白歌合戦、曲順一覧(2016)

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『第67回紅白歌合戦』曲順発表 嵐が初大トリ、トップバッターは関ジャニ∞【全曲順掲載】

 NHKは25日、大みそか恒例の『第67回紅白歌合戦』(後7:15~11:45 総合)の曲順を発表した。トリは紅組の石川さゆりの「天城越え」、大トリは白組司会の相葉雅紀が所属する嵐の「嵐×紅白メドレー」に決定。番組のオープニングとなる白組トップバッターは関ジャニ∞の「ズッコケ男道~紅白で夢を歌おう~」、紅組トップバッターはPUFFYの「PUFFY 20周年紅白スペシャル」。

曲順は以下のとおり。

第67回NHK紅白歌合戦 出場歌手・曲順
(カッコ内は出場回数)

●前半
1.【白】関ジャニ∞(5)「ズッコケ男道~紅白で夢を歌おう~」
2.【紅】PUFFY(初)「PUFFY 20周年紅白スペシャル」
3.【白】AAA(7)「ハリケーン・リリ、ボストン・マリ」
4.【紅】E-girls(4)「DANCE WITH ME NOW!」
5.【紅】欅坂 46(初)「サイレントマジョリティー」
6.【白】三山ひろし(2)「四万十川~けん玉大使編~」
7.【白】山内惠介(2)「流転の波止場~究極の貴公子編~」
8.【紅】miwa(4)「結 -ゆい-」
9.【白】Sexy Zone(4)「よびすて 紅白 ’16」
10.【紅】天童よしみ(21)「あんたの花道」
11.【白】SEKAI NO OWARI(3)「Hey Ho from RPG」
12.【紅】市川由紀乃(初)「心かさねて」
13.【白】三代目 J Soul Brothers(5)「Welcome to TOKYO」
14.【紅】香西かおり(19)「すき~真田丸スペシャル Ver.~」
15.【紅】椎名林檎(4)「青春の瞬き -FROM NEO TOKYO 2016-」
16.【白】福田こうへい(3)「東京五輪音頭」
17.【紅】絢香(8)「三日月」
18.【白】郷ひろみ(29)「言えないよ」
19.【白】V6(3)「Smile!メドレー」
20.【紅】水森かおり(14)「越後水原~白鳥飛翔~」
21.【紅】いきものがかり(9)「SAKURA」
22.【白】ゆず(7)「見上げてごらん夜の星を ~ぼくらのうた~」

企画「紅白HALFTIME SHOW」渡辺直美・ピコ太郎

●後半
23.【白】RADWIMPS(初)「前前前世 [original ver.]」
24.【紅】乃木坂 46(2)「サヨナラの意味」
25.【白】福山雅治(9)「2016 スペシャルメドレー」
26.【紅】島津亜矢(3)「川の流れのように」
27.【白】RADIO FISH(初)「PERFECT HUMAN」
28.【紅】西野カナ(7)「Dear Bride」
29.【白】桐谷健太(初)「海の声~みんなの海の声バージョン~」
30.【紅】AI(2)「みんながみんな英雄」
31.【紅】AKB48(9)「夢の紅白選抜SPメドレー」
32.【白】五木ひろし(46)「九頭竜川」
33.【白】KinKi Kids(初)「硝子の少年」
34.【紅】Perfume(9)「FLASH」
35.【白】星野源(2)「恋」
36.【紅】大竹しのぶ(初)「愛の讃歌」
37.【紅】坂本冬美(28)「夜桜お七」
38.【白】TOKIO(23)「宙船」
39.【紅】松田聖子(20)「薔薇のように咲いて 桜のように散って」
40.【白】X JAPAN(7)「紅」
41.【紅】高橋真梨子(4)「ごめんね…」
42.【白】THE YELLOW MONKEY(初)「JAM」
43.【白】氷川きよし(17)「白雲の城」
44.【紅】宇多田ヒカル(初)「花束を君に」
45.【紅】石川さゆり(39)「天城越え」
46.【白】嵐(8)「嵐 × 紅白スペシャルメドレー」


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舛添、鳥越、小池、朴槿恵...トランプだけじゃない、2016年話題の政治家(画像集)

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イクメン議員のゲス不倫、やり直しになった都知事選、お友達に操られる大統領…
トランプ旋風以外にも、色々あった2016年でした。
画像集で振り返ってみましょう。


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イラクで人質になった今井紀明さんが目指す「10代の未来を『自己責任』で否定しない社会」

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今井紀明さんは、31歳になっていた。

13年前、授業を放り出して国会議員や市議会議員を訪ねて回り、NPOや企業のインターンなどに精を出す高校生だった。ベトナムで枯れ葉剤の影響を調べるスタディツアーに参加したり、アメリカに攻撃されたアフガニスタンへの支援活動をよびかけたり。2003年にイラク戦争が勃発すると、国内に放置された劣化ウラン弾の脅威を訴えるNGOの代表となり「千歳からイラクに自衛隊を派遣していいのか」と報道機関にFAXを送ったり、講演したりしていた。

2004年3月の高校卒業後は、イギリスで平和学を学ぶ準備をしていた。ちょうどイラク戦争終結から1年。「同世代の関心が低い。劣化ウラン弾の現実を自分の目で見て、現場を支援しながら、同世代に伝えたい」とイラクへ旅立った。

そこで現地の武装勢力に拘束された。

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今井さんらの拘束を伝える2004年4月9日付朝日新聞朝刊

武装勢力が要求した自衛隊のイラク撤退を巡って賛否両論がわき起こる中、解放され、日本に戻ってきた今井さんを、「自己責任」という4文字の嵐が待っていた。

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今井さんらの解放を報じるNHKテレビ

札幌の高校生が一夜にして、日本中で顔と名前を知られた存在になった。外に出ればいきなり怒鳴られ、後ろから殴られた。話しかけられるのが怖い。部屋にこもってカーテンを閉め切り、アニメや本に没頭した。半年ほどたって「誰も知らない所へ行こう」とイギリスに1年ほど渡ったが、そこでも日本人にはほぼ顔と名前は知られていた。

「このままでは自分は回復しない」と2005年秋に帰国。そこから、批判の手紙を送ってきた主に一人一人、連絡を取ることにした。

「手紙を送ってきたうち、連絡のついた約10人、ブログが炎上して自宅に苦情の電話をかけてきた約20人と話し合いました。なぜ批判するのか、どういう人たちなのか知りたかったからなんですが、その結果、ほぼ僕の味方になってくれた。『バカヤロー』と手紙を送ってきた人は、4回ほどやりとりするうちに『頑張れ』と書いてくれた。僕にとっては、他人への理解をしようとし始めた時期でした。考えてみれば、高校の頃は、僕が一方的な思いで社会に突っ込むだけだったから」

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今井さんの自宅に届いた手紙。今も保存している

翌2006年、大学に入学した。高校生のころから海外の人たちを支援しようと活動してきた今井さんだったが、卒業前に3カ月間、学校建設と英語教育を手伝ったアフリカのザンビアで、本当に支えるべきは誰なのかを考え直すことになる。

「日本より圧倒的に貧しいし、HIV感染率も高い国だけど、子供たちは家族や周囲に支えられて、将来の希望を熱く語っていた。日本の若者はどうだろう。裕福だけど情報が溢れすぎて、幸せを感じられない。希望を持てない。だから、日本の方がサポートする優先度は高いと思ったんです」

大学卒業後、商社勤めを経て、2012年6月から、学生時代の仲間と2人で立ち上げたNPO「D×P」の仕事に専念することになる。定時制・通信制の高校生たちに、「将来」の具体的なイメージを描かせることを活動の主軸に掲げた。

将来の可能性がある子供たちを『自己責任』という言葉で切り捨てるのは、社会として終わっている。10代で否定され、立ち直れなくなった一人として、何とかしたいと思ったんです。


かつて「働きながら学ぶ」生徒の受け皿だった定時制・通信制の高校は、引きこもりや経済的困窮など、様々な事情を抱えた生徒が進学してくるようになった。いじめ、親や先生との葛藤、家庭の貧困など、10代で挫折する原因は様々だ。不登校・中退率や、進学も就職もせずに卒業していく割合も全日制と比べて高い。2015年の文科省の学校基本調査によれば、通信制の約4割、定時制の約3割が、進学も就職もせずに卒業していく

「希望が持てず、卒業後の進路も決められずに引きこもったり、就職してもブラックとつながって辞めてしまったりする。社会に出る前の大事な時期なのに、義務教育ではないから行政や地域の支援も薄い」。そんな状況に置かれた子供たちを、今井さんは、かつての自分が置かれた境遇に重ね合わせる。

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「DxP」の授業は、高校生を親や教師以外の大人と関わらせることで、「社会とのつながり」や「自分を肯定する気持ち」を与えるのが目的だ。

コンポーザーと呼ばれる大学生や社会人のボランティアが、主に「総合的な学習の時間」の授業の中で高校生と対話する。自営業、デザイナー、エンジニア、アパレル店員、バンドマン、歌手…といったバックグラウンドを持つ社会人は、事前の研修で「相手を否定しない」などの約束事を学び、数カ月間かけて計4回程度の授業を通じて、高校生と徐々に距離を縮め、人間関係をつくる。そうして、10代が自分で将来像を描けるようにしていく。

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京都府木津川市に住む西川優介さん(21)は、小学3年から6年間、学校に通っていなかった。「なりたいものもなく、将来も悲観的だった」。親に勧められて入った通信制の高校で、「先生に勧められて、半ば無理やり」DxPの授業を受けた。

数カ月に1回、いろんな大人が来て、教室で身の上話などを話し合った。起業したい大学生、転職先を探している社会人…自慢話や説教でなく、自分の挫折体験も語る人たちだった。「年齢はすごく上だけど、先生や親と違って、対等な感じで自分を受け入れてくれた。大人も失敗するんだな、と思った」。やがて、「こういう大人になりたい、というイメージが、少しずつ形成されていった」

その頃、同級生に誘われて趣味でカメラを始めた。写真仲間と「DxP」が協力して写真展を開き、授業で出会った大人たちに見せたら、何度も褒めてくれた。「それまで、ずっと引きこもっていて、褒めてもらえることもなかった。もっと写真を極めたいと思うようになりました」。

高校を卒業して、写真の専門学校に通い、結婚式の写真などを請け負う今の会社に入社した。「自分の撮った写真で喜んでもらえるのが最大の喜び。会社でカメラマンとして指名を取れるようになりたい」と、将来の夢を語る。

「自分は将来、仕事ができないんじゃないかと、半ば諦めていた。昔の自分から考えると、すごい進歩ですよね」

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2017年3月、アフリカのサハラ砂漠を走破する「サハラマラソン」への参加を決め、資金をクラウドファンディングで募った。「教育や若者支援の分野に関心を持ってもらうには、途方もないことにチャレンジしてみようかと」

コンポーザーに登録した学生や社会人は180人以上。2人で始めたNPOは、20人近いスタッフを抱え、近畿圏や札幌などの計20校で授業を展開するまでになった。ほとんどの収入を寄付でまかなっているNPOだが、取り組みを知った全国の定時制・通信制の高校から「うちでも授業をしてほしい」というオファーが続いている。

10代で極端に走った世の中から否定されたと感じた今井さんだったが、支えてくれた人がいて、ここまで来た。安否を気遣い、大学進学を後押ししてくれた高校時代の担任や、自信を持てなかった自分を励まし、NPOを一緒に立ち上げた大学時代の仲間がいた。つながれば、世の中は決して捨てたもんじゃない。

極端な物言いや行動が、世界でふくれあがっている今、今の自分たちの活動をこう考えている。

「10代で挫折しても、将来を描けるような、社会の仕組みをつくっていく。それが、社会の多様性や寛容さを広げることになる。僕たちのやっていることは、言ってみれば、分断されていく社会を、もう一度つなぎとめようとしていることなんじゃないかなと思います」。

高野病院、院長死亡か 病院敷地内で火災【福島県双葉郡】

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原発事故後もとどまった院長死亡か 福島県広野町の火災

 福島県広野町下北迫の高野病院の関係者から30日午後10時半ごろ、病院敷地内にある院長宅で「煙が充満している」と119番通報があった。県警双葉署によると、高野英男院長(81)が1人で暮らす木造平屋建て住宅の一部が焼け、中から男性の遺体が見つかった。火災後、高野さんと連絡がとれていないという。

 高野病院は東京電力福島第一原発から約20キロの場所にある民間病院。原発事故後も避難せず、双葉郡で唯一、入院医療を続けている。

 原発事故当時、約100人の患者がいたが、避難に耐えられないとみられる重症患者もいたため、町にとどまった。2人いた常勤医は事故後、高野さんだけになっていた。

 高野病院によると、内科、精神科、神経内科、消化器内科の四つの診療科があり、現在の入院患者は102人。原発事故後は夜間に救急患者が搬送されてくることもあり、高野さんは当直室や自宅に待機し、対応に当たっていた。

 年末年始は非常勤の医師が対応する態勢を取っており、現状では医師の確保はできているという。(永野真奈、杉村和将)



(朝日新聞デジタル 2016年12月31日 15時32分)

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(朝日新聞社提供)



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