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もし、自分や身近な人が"がん"になったら、どうしますか?――こんな質問を若者に投げかけると、様々な答えが返ってくる。
「辛すぎて何もできなくなっちゃうかもしれない。自分ががんって受け入れることが(できない)」(21歳・女性/モデル)
「がんっていう名前は知っているけど、どういう病気かは全然知らないので病院に行くことしか浮かばない」(16歳・男性/学生)
「(もし友達がなったら?)どうしたらいいんだろう。無理だけはしないでっていうか、いろいろ止めに入ると思う」(22歳・女性/販売員)
「治るかもって言われても治らない可能性もあるから、(治療のために)病院で長い時間過ごすよりは楽しいことをして過ごす」(25歳・女性/会社員)
「(もし自分がなったら)これから仕事どうするんだろうとか治療どうするんだろう、お金どうするんだろう、保険何入ってたっけ、どこまで適用してくれるのかな、補助金とかって出るのかな、家族・友達になんて言おうって思う」(26歳・男性/不動産業)
「(もし友達がなったら)以前よりは長く一緒に過ごす時間を、その人のために作ろうとする努力しかできない」(20歳・男性/大学生)
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がんはいま、日本人の2人に1人はかかる時代と言われている。その中で15歳から30歳代のがんを「Adolescent(思春期) and Young Adult(若年成人)」の頭文字をとって"AYA世代のがん"と呼ぶ。1年間で約100万人ががんを患う中、AYA世代は約2万人と少なく社会の認知度は低いのが現状だ。友人関係や就職、結婚、出産などの人生の節目と重なり、様々な悩みに直面するという特徴がある。『けやき坂アベニュー』(AbemaTV)では、AYA世代のがんについて2人の当事者に話を聞いた。
■治療のため貯金は一時「913円」に
「25歳と27歳でがんになった。25歳の時は『胎児性がん』が首と胸とお腹にできて、全身がんという宣告を受けた。そこから治療を経て2年半後、精巣に腫瘍ができて『精巣がん』という宣告を受けた。今は手術して復帰している」と話すのは岸田徹さん、30歳。
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がんの兆候は「首に腫れのようなものができて、放置していたら段々体調が悪くなってきて寝汗がすごかった」こと。がん宣告を受けた時は「ほんまマジでか...と。就職して1年とちょっとだったので仕事どうしよう、お金どうしよう、家族にどう伝えようとか色々な悩みが尽きなかった」という。
がん発覚後、岸田さんが仕事に復帰するまでにかかった期間は約1年半。さらに、医療関連費に約100万円かかり、手術によって性機能に障害が残り自然妊娠は望めない体になった。今でも、抗がん剤投与による精神への影響など不安は尽きないという。
周囲の人に伝えた際の心境については「近しい友人に言って、その人から(他の人に)伝えてもらうという形にした。親は実家が大阪なので、大阪に連絡をして東京に来てもらった。会社にもどう思われるか心配だった」と明かした。
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岸田さんは「周りのサポートはすごく大事」と強調する。「がんになったことで疎遠になってしまう友達もいる。その中でも『1人じゃないよ』とサポートしてくれるのはありがたい。僕の場合は東京にいる友達がサポートしてくれた」。一方、お金には悩まされたといい「社会人1年目で貯金がほぼなくて、貯金は最終的に913円にまでなった。次の検査まで食費を浮かせようと1日1食生活を続けたりとか、どっちが体に良いのかと。会社員であれば傷病手当金制度といって給料の3分の2が出たりする制度があるが、それらは家賃や色々な生活費にしなくてはならなかった。医療費は親に頼んだり友達に貸してもらったり、生活保護も考えた」と振り返る。
また、4年前に出会った奥さまは皮膚がん経験者だといい「2回目の闘病の時はすごくサポートしてくれた。同じ経験をしたからこそ分かることがある。サポートもしてくれるし、かゆいところに手が届く」と語った。
■「もし自分がいなくなっても、みんなの毎日は変わらないんだな」
バイオリニストになることを夢見る背古菜々美さんは大学に通う24歳。AYA世代のがんを経験した1人だ。
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がんに気づいたきっかけは腰の痛みから。当初訪れた整形外科では「ヘルニア」と診断されたが、痛みは悪化していったという。「1年後くらいに痛くて歩けなくなってしまった。大学で倒れて救急車で運ばれて、『こんなに痛いのはおかしい』と医者に自分で言って検査してもらったらヘルニアではなかった」。
背古さんを襲った病気は「ユーイング肉腫」と呼ばれるがん。骨や筋肉に発生する悪性腫瘍で、AYA世代に多いがんの1つだ。当時21歳の女子大生を襲ったがんは、確実に彼女を追い込んでいった。
「自分でネットとかで調べて、死んじゃうのかなって思った。入院中に友達のSNSを見ると楽しそうに遊んだりしていて、自分がもし死んでしまっても、みんなの毎日はこうやって続いていくんだなって。そこに自分がいるのは前は当たり前だったけど、いなくても変わらないんだなって思った」
大きな不安とやり場のない孤独感。大好きな音楽さえ聞けなくなってしまった背古さんにある転機が訪れる。「(病院の)院内コンサートに(歌手の)八神純子さんが来てくださって、その時八神さんが歩いてきて私の肩に手をあててアカペラで1曲歌ってくださった。その時に涙が溢れてきて、もう一度(バイオリンを)やりたいなと思った」。
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がんになったことで夢さえ失いかけていた背古さんだが、八神さんの1曲が彼女の背中を後押しした。そして、それががんと向き合うきっかけにもなった。「病気になって、健常な方との間にできてしまった壁をすごく大きく感じた。(病気じゃない方と)距離をとらないことは患者さんにとって救われることもある。もし自分が完治したとしても、がんの患者さんと一緒に生きていきたい」。まだ完治には至っていないが、大学に通いながら病院や養護施設でバイオリンの演奏を行っているという。
背古さんとは友人だという岸田さん。AYA世代のがんの当事者として「僕たちの世代とか学生の頃に(がんに)なったら、この病気をどう社会に還元しようかということを考える。彼女も特技であるバイオリンを生かして活動している」と話した。
■国立がん研究センター東病院・小児腫瘍科医長「がんを怖がらないでほしい」
AYA世代のがん患者を悩ませるのは医療費の負担。岸田さんは「子どもの医療手当が15歳まで、自治体によっては18~20歳まで補助され、40歳以降は介護保険がある。AYA世代はすっぽり保障の枠組みから外れている。そこに対して保障が必要」と訴える。
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このような問題から、AYA世代への支援を行っている自治団体も一部ある。横浜市は、20歳以上40歳未満で訪問介護や福祉用具の貸与等にかかる経費の9割(末期がんと診断された人のみ、1カ月あたり上限5万4千円)を助成し、ウィッグ等の購入経費を上限1万円分助成している。とはいえ、AYA世代の支援を行っているのは横浜市と神戸市のみ。岸田さんは「国をあげて支援していかないといけないと常々思う」と再度問題提起した。
では、AYA世代はどのようにがんと向き合えばいいのか。国立がん研究センター東病院・小児腫瘍科医長の細野亜古さんに話を聞いた。AYA世代に向けて細野さんは「ひとつは、がんになっても治療をきっちりすれば治るので怖がらないでほしい。もうひとつは、周りにそういう方がいたら特別視しないであげてほしい。大事に思ってあげること、気を配ってあげることは大事だが、『がんだからかわいそう』と思うのは本人にとって良くない。普通の友達、同僚として接してあげてほしい」と訴える。
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また、近年は医療が発達しているとし「(昔は)抗がん剤や放射線、手術しかなかったが、最近では免疫療法(免疫本来の力を回復させることによってがんを治療する方法)や新しい薬が出てきている。必ずしも髪の毛が抜ける薬ばかりではない。支持療法(がんそのものに伴う症状や治療による副作用に対しての予防策、症状を軽減するための治療)といって、髪の毛が抜けることなどに対しての予防なども進んできている。副作用をコントロールすることも進んできている」と述べた。
AYA世代のがん患者に向けては「治療法もそうだが、生活の悩みを相談できる電話相談を受け付けている。院内の患者さんだけでなく、院外の患者さんでもHPを見て電話をかけてくださる方もいる」と電話相談があることを伝えた。患者や家族に医師が電話で話を聞いてくれるという。
最後に、岸田さんはAYA世代へのメッセージとして「今は2人に1人ががんになる時代。僕はそれが早いか遅いかだと思っている。早くなってしまっても体力があるからこそできる治療もあると思うので、焦らないこと。若い世代の方も、そうなってしまった時のために備えていることも必要。今後のこともがんに対してもアンテナを張ってほしい」と投げかけた。
(AbemaTV/『けやき坂アベニュー』より)
▼次回『けやき坂アベニュー』は2月18日(日)12時から!「AbemaNews」チャンネルにて放送