1998年7月25日に発生した和歌山毒物混入カレー事件(以下、カレー事件)。地域の夏祭りで配られたカレーライスにヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒に陥り、うち4人が亡くなった。
同年10月、現場近くに暮らす主婦林真須美(当時37歳。正しい表記は眞須美)が別件逮捕され、12月にカレー事件における殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕された。彼女は一貫して無実を訴え続けたが、2009年に最高裁で死刑が確定。地裁に再審請求を行うも昨年棄却された。
この事件では、発生当初から林真須美が犯人視されていたものの、確たる証拠がなかったため、警察はなかなか彼女を逮捕することができなかった。しかし、真須美の別件逮捕の5日後、「事件当日、真須美が紙コップを持って、カレーを調理しているガレージに入っていくところを見た」という16歳の少年が現れた。
カレー事件では、祭り会場のゴミ袋から、ヒ素が付着した紙コップが発見されており、犯人はこの紙コップでヒ素を運び、鍋に混入したと考えられている。
この少年はテレビの報道番組に出ずっぱりとなった。キャスターなど著名な大人たちが丁重に話しかけ、それに対し彼は、画用紙にガレージの様子やカレー鍋の位置などを書き込みながら得意気に説明していた。番組を見た人は誰もが、「目撃者がいるなら、林真須美が犯人に間違いないだろう」と思ったに違いない。
しかしこの少年は、その後ふっつりと姿を消してしまい、裁判では証言しなかった。
『週刊朝日』が彼に取材して書いた「真須美容疑者が手にしたピンク色の紙コップ」という記事によれば、彼はアルバイトの休憩時間中、自動販売機で買ったジュースを路上で飲んでいるときに、真須美が紙コップを持って、2人の主婦がカレーを調理しているガレージに入っていくところを目撃したという。彼とガレージの距離は20メートルほどだった。
「真須美さんは白のTシャツにクリーム色のズボン、首にタオルを巻いていた。右手に二、三個重ね合わせた紙コップを持っていました。いちばん外側がピンク色でした。左手は振っているのに、右手は振らず、不自然な歩き方で、紙コップに何か大事なものが入っていて、こぼさないようにしているようでした。ガレージに入る直前、真須美さんは三六〇度見回すように周囲を見て、ガレージに入っていきました。ガレージから二メートルほど入ったところで、ピンク色の紙コップを左手に持ち替えました。そのときも上からわしづかみにして隠すような感じでした」
具体的に語っているが、「わしづかみにして隠すよう」にしていたとしても、自宅からガレージまでヒ素の入った紙コップを丸出しにして持ち歩き、2人の主婦がいるのにそのまま持ってガレージに入っていくだろうか。
真須美自身はこのとき、「黒のシャツ、黒いズボン、それに黒に黄色のプーさんのロゴが入ったエプロンをしていた」と主張しており、一緒にいた主婦たちも「林の奥さんは黒っぽい服を着ていた」と証言している。
少年によれば、ガレージに入った真須美は2人の主婦に挨拶したが無視され、「何か冷たい雰囲気になった」という。
「はっきり聞こえなかったのですが、一人の主婦が真須美さんに、かなり激しく文句を言いだした。真須美さんは相手にしない感じでした。暑かったけど、主婦のけんかの修羅場はおもしろそうやと、好奇心にかられてしばらく見ていた。ほかの主婦の人は知らなかったので、僕は比較的、真須美さんのほうをよく見ていました」
真須美はこの日、早朝から病院へ出かけたため、カレー作りに参加しなかった。そのせいで主婦たちの反感を買い、ギクシャクした雰囲気があったとされている。公判では検察が、真須美は主婦たちから疎外されたことで「激高」し、犯行に及んだと主張した。しかし裁判所は、その後真須美が普段と変わらない様子で祭りの準備に参加していたことから、検察の主張を退けた。そのため、真須美の犯行動機は「未解明」のままである。
主婦たちの「修羅場」を見物した少年は、しばらくして店に戻った。その日のことはそれきり忘れていたが、真須美が逮捕されたことで思い出し、警察へ連絡した。
「事情を説明すると、警察の人がものすごくうれしそうな顔をしてるんです。そして最後に、『A君の証言で事件解決できるかもしれん』と言う。えらいもん見たな、ヤバイかな、ちょっと怖いかな。正直、そんな感想でした」
決定的な証拠を掴んでいないところに、こんなに都合のよい目撃者が現れたら、普段は強面の捜査員も「ものすごくうれしそうな顔」になるだろう。本当に「事件解決できるかもしれん」と思ったに違いない。
その後少年は、和歌山市内の眼科で視力検査を受けさせられた。何しろ彼は、20メートル離れた場所から、真須美が重ねて持っていた紙コップの色を「外側がピンク、青、黄色の順番」と見分けることができたということになっているのだ。しかしいくら視力がよくても、内側の紙コップの色まで判別できるだろうか。
彼の証言によれば、ヒ素が直接入れられていたのは、一番内側の黄色い紙コップだということになる。しかし、この時点では明らかにされていないが、祭り会場のゴミ袋から発見されたヒ素の付着した紙コップの色は、青なのだ。もちろん捜査員はそのことを知っている。
「ピンク色の紙コップはゴミから見つかっていないので、指紋がついていたためか、真須美容疑者が自分で処分したようだ。ゴミから見つかったヒ素が付着した紙コップはピンク色ではない。A君が紙コップをはっきりと見て記憶していたのは貴重な証言だ」(捜査関係者)
指紋がついたためにピンク色の紙コップを処分するのであれば、ヒ素が付着した青い紙コップも一緒に処分するのではないだろうか。
少年は、インタビューの最後を「カレー事件では四人が亡くなり、六十三人がヒ素中毒になっている。アルバイト先の関係者もカレーを食べて入院した。いろいろ考え、これは許せんと思い、全部しゃべりました」と締めくくっている。
被害に遭った人たちのために話したのであれば、公判でも証言すべきだろう。なぜ彼は消えてしまったのか。
半年後、カレー事件の第一審初公判が開かれる直前の『週刊文春』は、「司法記者」の弁として少年の目撃証言についてこう記している。
「彼は複数のTVに出て証言しましたが、そこで語っている目撃時刻、紙コップの色、真須美の動作などが、調書と微妙に食い違っている。その上、取材協力したTV局の紹介で、現在は芸能養成学校に通っているという噂もあり、弁護団はここを突いて争ってきますよ」
続いて「元最高検検事」の弁として、少年の証言が「何万人の中で被告が唯一の実行者である、という重大な裏づけになる」ことから、「ここを崩されると大変なことになる。疑わしきは罰せずの原則で、犯人と被告人が同一とするには立証不十分と判断され、無罪になる可能性も出てきます」とある。
実際には、「崩される」どころか目撃者自体が消えてしまったのだが、それでも「疑わしきは罰せずの原則」は適用されず、死刑判決が下されるのである。
結局、検察はこの目撃証言を証拠申請しなかったが、彼がテレビや雑誌で語ったことによって、どれだけの人が予断を持ってしまっただろう。
彼を簡単に信用し、否、利用した警察や検察、マスコミにも問題があった。テレビ局からもらった5万円の取材謝礼に味を占めてしまったという話もある。
当時は、日本中が林真須美を疑い、彼女に対しては何を言っても許されるという空気があった。少年の嘘を歓迎する大人たちも大勢いたのである。謝礼をもらわずとも、あれだけ大人たちからチヤホヤされれば、あることないこと話したくもなるだろう。
カレー事件では、この目撃証言に限らず、無責任な噂話やまったくの嘘が拡散され、真須美にとって相当不利にはたらいたのである。
9月7日(金)、下北沢の本屋B&Bにて、 高橋ユキさんと「林真須美」「木嶋佳苗」の2人の「毒婦」について、トークイベントを行います。
詳しくはこちら
http://bookandbeer.com/2018/09/07/
なぜ林真須美が"犯人"にされたのか 検証「和歌山カレー事件」(1)
毒物は本当に「ヒ素」だったのか? 検証「和歌山カレー事件」(2)
林真須美宅「ヒ素」発見経緯の不可解 検証「和歌山カレー事件」(3)
(文中、敬称略)
田中ひかるのウェブサイト