Quantcast
Channel: HuffPost Japan - Athena2 - All Posts
Viewing all articles
Browse latest Browse all 61718

ビキニ環礁の水爆実験から60年 今も戻れない住民

$
0
0
核の傷痕、戻れぬビキニ 水爆実験から60年

東京から南東方向へ約4千キロ。太平洋のほぼ真ん中、見渡す限り真っ青な海が広がる眼下に、ビキニ環礁が姿を現した。

サンゴが隆起しててできた23の島が首飾りのように連なる。島々はヤシの木々の緑に覆われている。

その環礁の北西角に、ぽっかりと開いたくぼみが見えた。周りの明るい色と違い、海の青さは濃く深い。

通称「ブラボー・クレーター」。1954年3月1日、米国の水爆「ブラボー」の実験でできた。直径約2キロ、深さ約80メートル。海底にはすり鉢のように筋状の模様があり、中心に向かって深くなる。常夏の海に刻まれた「核の傷痕」だ。

広島原爆の1千倍の威力といわれたこの爆発で、周囲にあった三つの島が吹き飛び、放射性物質が広範囲にまき散らされた。事前に避難しなかった危険区域外の環礁の住民や、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」など周辺で操業中だった船舶が「死の灰」を浴びた。

ビキニ環礁の地方政府によると、核実験前まで住んでいた167人の島民が移住を強いられた。その後、米国とともに88年から着手した除染と再定住計画は、資金面などから宙に浮いたままだ。

国際原子力機関(IAEA)は98年、ビキニの当時の放射線状況と再定住に向けた最終報告書をまとめ、こう結論づけた。「食料を地元にすべて依存するのを前提とすれば、永続的な再定住は勧められない。再定住を可能にするには何らかの改善措置が必要だ」

核実験から60年たった今、ビキニには施設の維持管理などに当たる作業員5人ほどが暮らすだけだ。

除染、そして再定住。ビキニが映し出す現実には、福島が直面する課題が重なって見える。(中崎太郎)

     ◇

〈ビキニの核実験〉 ビキニ環礁が属するマーシャル諸島は日本の敗戦後、米国の信託統治領になった。広島、長崎への原爆投下の翌1946年、米国は住民を強制移住させた上で原水爆実験を開始。ソ連との核開発競争の中で58年まで計23回実施した。中でも54年3月1日の水爆実験は最大規模とされ、大気の放射能汚染は地球規模に及んだ。第五福竜丸の被害は広島・長崎に続く「3度目の核惨事」として衝撃を与え、日本の反核運動のきっかけになった。被爆国・日本が「原子力の平和利用」に踏み出す時期とも重なった。

asahi shimbun logo

(朝日新聞社提供) 




Viewing all articles
Browse latest Browse all 61718

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>