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普天間基地はどこへ行くのか? 沖縄の難航を極めた18年を振り返る

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沖縄県知事選が11月16日に投開票される。焦点は沖縄本島の中心部に位置するアメリカ軍普天間飛行場の移設問題だ。

移設合意から18年、手続きは難航を重ね、2014年8月に動き出したものの、県民の反発は収まっていない。

そもそも普天間飛行場の移設問題とは何なのか。18年の経緯を整理した。


沖縄戦で侵攻するアメリカ軍の戦車。(Photo by Keystone/Getty Images)

■1945~1972年、沖縄はアメリカ統治下に

1941~45年の太平洋戦争で、日本で大規模な地上戦が行われたのが沖縄だった。1945年4月1日、アメリカ軍は沖縄本島に上陸。両軍と民間人合わせて約20万人が犠牲になったとされる。


サンフランシスコ講和条約に署名する吉田茂首相。(Photo by Keystone-France/Gamma-Keystone via Getty Images)

1945年8月15日、日本は敗戦、アメリカに占領された。独立を回復した1951年9月8日以降も、沖縄はアメリカ統治下に残った。


1972年5月15日、東京で開かれた「沖縄復帰記念式典」で涙をぬぐう佐藤栄作首相(右)。(Photo by Underwood Archives/Getty Images)

(c)沖縄県

■1972年、沖縄返還。しかし基地は残った

1972年5月15日、沖縄は日本に返還された。しかし、冷戦やベトナム戦争への介入で、アメリカはすでに沖縄に膨大な軍事基地を建設していた。2013年3月末時点でも、2万3千haの米軍施設が沖縄にあり、日本にあるアメリカ軍専用施設の73.8%が沖縄県内に集中している


1995年10月21日、宜野湾市で開かれた抗議集会。(Photo credit should read TORU YAMANAKA/AFP/Getty Images)

■1995年、沖縄県民の怒り爆発

1995年9月、アメリカ兵3人による少女強姦事件が起き、米兵の犯罪や事故に悩まされてきた沖縄県民の怒りが爆発した。10月21日には宜野湾市で8万5千人(主催者発表)を動員する集会が開かれ、怒りの矛先は米軍基地問題を解決しない日本政府にも向かった。


1996年4月12日、普天間移設合意を発表する橋本龍太郎首相とモンデール駐日アメリカ大使。(c)時事通信社

■1996年、移設合意

解決を迫られた日米両政府は1996年4月、沖縄本島の中心部にある普天間飛行場を返還することで合意した。移転先はのちに、沖縄本島東沖の海上ヘリポートとされた。


普天間飛行場。2010年撮影。(Photo credit should read TOSHIFUMI KITAMURA/AFP/Getty Images)

普天間飛行場は住宅密集地の中にあり、以前から騒音や事故の危険性が指摘されていた。この案を拒否した大田昌秀知事が1998年の知事選で敗れ、日本政府の経済振興策と引き換えに「15年限定、軍民共用飛行場」での県内移設受け入れを掲げる稲嶺恵一氏が当選した。


沖縄サミットのレセプションで、テーマソング「NEVER END」を歌う安室奈美恵さん。(Photo credit should read KAZUHIRO NOGI/AFP/Getty Images)

■1999年、沖縄サミット

日本政府は、沖縄振興予算を増額した。1999年には沖縄サミット(先進国首脳会議)や2000円札発行などもあった。2002年には、名護市辺野古付近を埋め立てて建設することが決まった。しかし、普天間基地の移転は遅々として進まなかった。メガフロート、海上ヘリポート、県外、海外移設などが候補として浮上したが、海上基地は技術的な問題で、県外、海外移設は沖縄の戦略的位置を重視するアメリカが難色を示したといわれる。


2006年5月、稲嶺恵一知事と会談する小泉純一郎首相

■2006年、米軍再編で振り出しに

2001年に発足したアメリカのブッシュ政権は、世界に展開するアメリカ軍の再編、そして在日米軍の再編を始める。2006年、辺野古沖を埋め立てて新基地を建設することで、日本政府と名護市が合意した。しかし、県の頭越しに「15年限定、軍民共用」がほごにされた稲嶺知事はこの案を拒否した。


2010年5月7日、移設先の候補地の一つとされた鹿児島県徳之島を訪れ、地元自治体首長らに協力を要請する鳩山由紀夫首相。(Photo credit should read TOSHIFUMI KITAMURA/AFP/Getty Images)

■2009年「最低でも県外」挫折

2009年、民主党は普天間基地の移設先について「最低でも県外」を掲げ、総選挙で圧勝した。しかし、政権発足後、具体的な移設先を示すことができず、2010年5月、移設先を従来の辺野古地区とする日米共同声明を発表。鳩山由紀夫首相は引責辞任した。


2013年12月25日、普天間移設の問題で仲井真弘多知事(右)と会談する安倍晋三首相。(Photo credit should read TORU YAMANAKA/AFP/Getty Images)

■2013年、3000億円の振興予算

2013年12月、自民党政権の安倍晋三首相は、8年間で3000億円の沖縄振興予算や、新型輸送機オスプレイの拠点分散検討などを約束した。仲井間弘多知事は「県外移設」とする自身の主張を覆し、政府から出された辺野古沖の埋め立て申請を許可した。


エメラルド色の海に、オレンジ色のフロートが張り巡らされている「臨時制限区域」。向こう側にキャンプ・シュワブがある。 (c)Ari Hatsuzawa

2014年8月、政府は辺野古沖の埋め立て工事のため、ボーリング調査に向けたフロート設置を始めた

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