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MaaSって何?進む交通革命 課題解決の手段として普及に期待

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タクシー配車サービス、相乗り、ライドシェアなど、交通領域のサービスが次々に誕生。これら複数のサービスを統合し、より良い移動体験を目指す動き・サービスを総称し「MaaS(Mobility as a Service)」と呼ぶ。関連企業の動きを求人と共に見ていこう。

進む、交通革命

MaaSとは、ユーザー一人ひとりに最適な移動手段を提供するサービスの総称。バス・電車・タクシー・飛行機など、あらゆる交通手段を組み合わせ、ユーザーの「移動体験」を軸にサービス設計を行なう。

代表例で言えば、フィンランドの首都ヘルシンキで提供される「Whim(ウィム)」というサービスがある。スマートフォンアプリに移動先を入力すれば、最適なルート・交通手段が表示され、アプリ内ですべての手配・決済ができる。乗車はアプリの画面を見せるだけという「シンプルさ」が注目される。

さらに台湾の高雄市でも2018年9月、公共交通乗り放題サービス「Men-Go(メンゴー)」がはじまった。地下鉄・バス・フェリー・シェアサイクルなどが定額で乗り放題となるもの。官民連携のプロジェクトとして進められている。

MaaSの普及で期待されるのは、ただ移動体験の効率化にとどまらない。

たとえば、「自家用車の所有」という価値観が大きく変わるかもしれない。「持たない」ことで経済的な負担軽減、さらに都市部における交通渋滞解消、排気ガス削減、過疎地域の交通問題解決…こういったさまざまな課題解決の手段として普及が期待される。

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MaaSを推し進めていく、日本の企業たち

日本でも「MaaS」を体現するサービスの導入、実証実験など、動きが活発となってきた。

たとえば、ライドシェア大手のUber、DiDiなども次々に日本進出。国内企業としてもJapanTaxi、DeNAなどが配車サービスを、オリックス、タイムズなどがカーシェアサービスをリリースしている。

さらに、国家としても新たな交通サービスの実現に向け、本格的な動きを見せ始めた。たとえば、2019年4月には、トヨタ・ホンダ・ソフトバンクなどとの連携を発表。カーシェアリングや自動運転車による無人配送などの実証実験を手がけていく方針だ。

特に注目したいのが、2019年3月にトヨタとソフトバンクの合弁会社「MONET Technologies」が立ち上げた「MONETコンソーシアム」。

ホンダ、ヤマトホールディングス、ファーストリテイリング、伊藤忠商事など88社が名を連ね、MaaS創出を目的に掲げている。物流、小売、商社、IT、金融、不動産などのリーディングカンパニーが参加。業界・業種の垣根を超えた企業間連携による「MaaS」の推進も加速していきそうだ。

こういった市場の動きを受け、求人も活況に。たとえば、「交通×テクノロジー」企業のJapanTaxi、DeNAのオートモーティブ事業部、さらに中国の最大手ライドシェア企業なども募集を行なっていた。

人々の生活の根幹に関わる“移動”。「データ」と「体験」を紐づけ、さらなる利便向上を推し進める「MaaS」の領域。新たな時代における「キャリアの選択肢」としても注目しておきたい業界だ。

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カラテカ入江慎也、謝罪コメント全文 「詐欺グループの忘年会であるとは本当に知りませんでした」

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吉本興業との契約を解除されたお笑いコンビ「カラテカ」の入江慎也が6月7日、公式Twitterに謝罪コメントを掲載した。「世間をお騒がせし、御迷惑をおかけすることとなり、大変申し訳ございません」としている。

同日発売の写真週刊誌『FRIDAY』が、入江が仲介する形で2018年12月に、宮迫博之やレイザーラモンHGら、吉本興業に所属する複数の芸人が、振り込め詐欺グループの忘年会に出席したと報じていた。

『FRIDAY』によると、この忘年会に参加した詐欺グループの元メンバーは、「入江が俺たちのことを詐欺グループと知っていたか?間違いなく知ってましたよ」と話していたという。

発売に先んじて、6月4日付で吉本興業との契約を解除された入江。今回の謝罪コメントの中で「『FRIDAY』の記事にある忘年会に出席したことは事実」とした上で、「詐欺グループの忘年会であるとは本当に知りませんでした」と元メンバーの証言を否定した。

その上で「吉本興業を通さずに芸人の先輩や後輩をこのような場に誘い、巻き込んでしまったのは私の危機管理能力の不十分さ、認識の甘さ」として謝罪している。

 

■入江慎也のコメント全文

私、入江慎也は吉本興業の所属契約を解消となりました。

世間をお騒がせし、御迷惑をおかけすることとなり、大変申し訳ございません。 この状況を真撃に受け止め、反省しております。

本日発売の雑誌『FRIDAY』の記事にある忘年会に出席したことは事実です。しかし、その会が、詐欺グループの忘年会であるとは本当に知りませんでした。

知り合いの広告代理店の方から、エステティックサロンの経営や健康食品の販売をしている会社のパーティーがあると聞いていました。

ただ、たとえそのような認識だったとしても、吉本興業を通さずに芸人の先輩や後輩をこのような場に誘い、巻き込んでしまったのは私の危機管理能力の不十分さ、認識の甘さが招いてしまったことです。

誠に申し訳ありませんでした。

2018年に発売された入江の著書「入江式 のしあがる力」

パラダイス鎖国に生きるミレニアル世代・Z世代。世界とは「ちょっとズレた」キャリア・人生観とは?

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「現在の勤務先を2年以内に辞める」と考えるミレニアル世代は約5割、Z世代は約6割。
人生の目標は「高収入を得ること」。

 日本のミレニアル世代・Z世代を対象とした意識調査が5月末、発表された

 調査からは、終身雇用など伝統的な働き方とは一線を画するミレニアル世代・Z世代のキャリア観や、世界と比較して日本のミレニアル世代が持つ特有の人生観が明らかになった。

 調査の対象は、1983年〜1994年に生まれたミレニアル世代319人と、1995 年~2002 年生まれのZ世代301人。同じ調査は、日本だけではなく、世界42カ国(Z世代は10カ国)で一斉に行われた。

 「とりあえず3年」の価値観は終わり。1つの企業に長く勤める人はもはやマイノリティー

 調査からは、日本・世界ともに約5割のミレニアル世代が「2年以内の退職」を考えていることがわかった。Z世代に関してはこの割合が6割以上とさらに高かった。

 「現在の勤務先を2年以内に辞める」との回答

ミレニアル世代

日本:49%

世界:49%

Z世代

日本:64%

世界:61%

さらに、「今の勤務先に5年以上勤続する」と答えた日本のミレニアル世代は25%、Z世代に至ってはわずか10%だった。世界平均はそれぞれの世代で28%と19%のため、日本のミレニアル世代・Z世代が短期離職を考える傾向は、世界平均と比べても高いことがわかった。

 「辛くてもとりあえず3年は勤めよう」「3年以内に会社を辞める若手は根性がない」など、誰もが一度は聞いたことがあるであろう「とりあえず3年」の価値観も、ミレニアル世代・Z世代では、もはや消えつつあることが明らかだ。

 こうしたミレニアル世代・Z世代のキャリア観の背景には、どのような社会の変化があるのだろうか。今回の調査を行ったデロイト トーマツ コンサルティング執行役員・キャメル・ヤマモトさん、シニアマネジャー・澤田修一さんにお話を聞いた。

ヤマモトさんによると、①海外では主流である「特定の分野で専門性を極める働き方」が日本にも浸透し始めたこと ②労働人口減少の影響で転職市場が売り手であり、中途入社の障壁が以前と比べてかなり低くなったこと、などが主な要因として考えられるという。

 ヤマモトさんは、「専門性を武器にした働き方が増えたことで、実力が上がるに応じて、更なるスキルアップと収入アップを求めて転職する人が増えています」と話す。

 「パラダイス鎖国」に生きるミレニアル世代の「内向き」志向

 ミレニアル世代に「人生の目標」を問う項目では、日本のミレニアル世代が持つ特有の人生観が明らかになった。世界では「世界を旅する」との回答が最も多かったが、日本では「高収入を得ること」と答えた人が最も多かった。

 調査は「次のような目標がありますか」という問いに対して、7つの選択肢と「わからない」から当てはまるもの全てを選ぶという形式。日本のミレニアル世代の上位と最下位の回答は以下の通り。

日本のミレニアル世代の人生の目標トップ3

1. 高収入を得る 59%

2. 世界を旅する 36%

3. 子供/家庭を持つ 32%

ワースト 社会に影響力をもたらす 18%

 これを世界のミレニアル世代の結果と比較してみる。世界でのトップは、「世界を旅する」(57%)。また、「社会に影響力をもたらす」が46%で、日本の18%を大きく上回った。その他にも「幹部になる」「自分のビジネスを始める」と答えた割合は、日本より約10%ほど高い。

 こうした結果から、日本のミレニアル世代が世界の同世代に比べて、「海外への関心が低い」「経験にそれほど価値を置いていない」「出世欲が少ない」など、全体的に「内向き」傾向であることが読み取れる。

 澤田さんは、こうした内向き傾向について、「海外に目を向けたり、成長するために経験を積んだりしなくとも生き延びられる『日本社会の豊かさ・労働市場での競争の低さ』が背景にある」と指摘する。

 「中国・インド・ブラジルなどの新興国では、優秀な人材ほど、高収入の仕事を求めて海外に出て行きます。他方、彼らの受け皿である欧米諸国では、外国人から『仕事を奪われる』危機感がある。一方で、日本は裕福であると同時に、人口減少の影響もあり、海外に目を向けなくとも国内で好待遇の仕事に就くことができる状況があります」

ヤマモトさんによると、こんな日本の状況はパラダイス鎖国と表現されることもあるという。

しかし、「こうした状況も長くは続かないだろう」とヤマモトさんは指摘する。すでに、日本の大手企業は優秀な人材を求めて海外に進出し始めており、一部の企業・業界では「外国人との仕事の奪い合い」が起きているという。

「今後、こうした潮流はますます加速するでしょう。いままでのように『内向き』では、海外の優秀な人材に太刀打ちできない時代がやってきます」ヤマモトさんはこう述べ、ミレニアル世代の「内向き」志向が岐路に立つ時代が近くやってくることを示唆した。

♢♢♢

調査は、デロイト トーマツ グループが2018 年 12 月~2019 月 1 月に行ったもの。世界 42 カ国13,416人のミレニアル世代、10 カ国 3009人のZ世代が対象。調査は各世代の全体傾向を反映するため、調査対象者の男女比はほぼ1:1で、雇用状況や教育レベル・職位などは偏りのないよう調整されている。

田中将大さん、出産立ち合いでヤンキース遠征先から離れる。

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田中将大さんと里田まいさん夫妻

 アメリカ・メジャーリーグのヤンキースで活躍する田中将大投手が6月6日、妻・里田まいさんの出産に立ち会うためトロントを離れ、ニューヨークへ戻った。共同通信などが報じた。

田中投手は、2019年3月に、夫婦に第2子を授かったことを発表、出産は6月ごろの予定だと伝えていた。 

ヤンキースはブルージェイズ戦のため、現地時間6月4日からカナダ・トロント入りしている。

田中投手は4日に先発を務めたが、6回を4失点で5敗目を喫していた。 

ブルージェイズ戦に先発、力投するヤンキースの田中将大投手=6月4日、カナダ・トロント

 球団は当初、9日にあるインディアンズ戦(オハイオ州クリーブランド)で、田中投手が先発予定と発表していたが、変更になる可能性もある。

2016年2月に第1子が生まれたときも、里田まいさんの出産に立ち会うため、田中投手は自主トレーニング中だったフロリダ州タンパからニューヨークへ戻り、数日間を共に過ごしていた。

梅雨入り、気象庁が発表。関東甲信、東海、北陸、東北南部

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2019/06/07 11:04 ウェザーニュース

今日6月7日(金)11時、気象庁は、関東甲信地方、東海地方、北陸地方、東北南部が梅雨入りしたとみられると発表しました。

関東甲信や東海ではほぼ平年と同時期で、北陸や東北南部では5日ほど早い梅雨入りです。

関東甲信は昨年より1日遅い梅雨入りに

各地の梅雨入り日


▼気象庁の発表
関東甲信地方の梅雨入り
 平年より1日ほど早く、昨年より1日ほど遅い
東海地方の梅雨入り
 平年より1日ほど早く、昨年より2日ほど遅い
北陸地方の梅雨入り
 平年より5日ほど早く、昨年より2日ほど早い
東北南部の梅雨入り
 平年より5日ほど早く、昨年より3日ほど早い

今年は東北南部の梅雨入りが、九州北部や中国、四国、近畿などよりも早くなりました。

東北南部の梅雨入りが近畿地方よりも早くなるのは、1974年以来45年ぶりです。

この先の天気予報

10日間天気予報

梅雨前線は週末以降、南に離れるものの、関東や東北には東からの湿った冷たい空気が吹き込むことで、曇りや雨のすっきりしない天気が続くことから、梅雨入りしたと見られます。

関東、東北の太平洋沿岸はいわゆる梅雨寒のパターンとなり、気温が上がりにくい状況が続きそうです。体調管理にお気をつけください。

関東甲信地方の平年の梅雨明けは7月後半で、今年の7月の降水量は平年よりも多くなる可能性があります。6月中から前線の活動が活発になって、大雨となることもありますので、しっかりと雨への備えを行ってください。
» ピンポイント週間天気予報

各地の梅雨入り予想

この先一週間は梅雨前線が本州の南に停滞するため、西日本や東北北部でも雲の広がりやすい日が多い予想です。ただ、前線からの距離によって、晴れる日もある予想で、これらの地域では梅雨入りはしばらく先となりそうです。

平年の梅雨入りは6月上旬から中旬のところが多いので、平年より遅い梅雨入りとなる所が多そうです。
» この先3か月の天候予測・梅雨見解

「生理は恥」の抑圧にサヨナラを。ハヤカワ五味・Minaが手がける生理のセレクトショップとは。

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グレー一色のシンプルなパッケージに包まれた生理用品のナプキン。

デザイナーのMinaさんが卒業した美大の卒業制作として提案したアイデアだ。その後、アパレルブランドを展開する「ウツワ」経営者のハヤカワ五味さんらとともに、「illuminate」を立ち上げ、生理に革命を起こすための活動に取り組んでいる。

その理由は「女性が生理に恥を感じる必要はない」と体験を通じて訴えたいから。生理用品のデザインやセレクトショップなど様々な取り組みを進めている2人に話を聞いた。

 「初めての生理。ドラッグストアの売り場に行ったら、今までの人生で身に付けたことのない色だらけで、立ってるだけで不気味な気持ちがした。買ったら紙袋に入れられてお店の人に隠された。生まれて初めて、女性として生きることは、恥ずかしいことなんだ、嫌だなと思った」

これは、Minaさんが卒業制作のヒアリングで集めた女性たちの声の一つだ。

Mina:生理用品って本来は、転んだ時の絆創膏や、咳が出た時のマスクなど、そういうのと同じ、身体の機能に対してのただの対処のはず。なぜ、生理用品だけが、過剰に「社会規範的な女性性」を強調したデザインで、しかもそれを隠されないといけないのか。まるで「女性らしく身体の機能を持ちなさい、そしてそれは恥ずべきものです」と言われているようで、疑問に思うようになった。

「生理用品のコーナーにいるのがつらい」

生理が来るのは女性だけではない。「生理用品のコーナーにいるのがつらい」と話すトランスジェンダーの男性からも、Minaさんは話を聞いた。

Mina:女性ですらピンク色やパステルカラー、レースにハートが支配するドラッグストアの棚に、「女性」を押し付けられる気持ちになるというのに、男性でありながら毎月そんな体験をしなければならない人は、どれだけの違和を持つのだろうと思いました。

ハヤカワ五味:そもそも、生理用品って家のトイレでも隠して置いたり、外ではコソコソ持っていかないといけなかったり。女性の一つの身体の機能なのに「恥」を社会が強要してくるのがイヤだなと思いました。長く滞在する恥ずかしさから、売り場でもササって立ち去る人が多いと思う。そうすると、自分にあった商品がどれなのかじっくり選ぶことも難しい。良い商品とのマッチングを妨げているなとも思います。

ハヤカワ五味さんは、大学在学中、女性の小さな胸を「シンデレラバスト」と名付け、選べる商品がないという女性の悩みやコンプレックスを解決するランジェリーブランドをを立ち上げたことで注目される起業家だ。

偶然、同じ大学の同級生だった2人。友人の紹介で出会ったのは大学卒業後の2018年5月だった。意気投合した2人は、まずオリジナルの生理用品の製造・販売を目指して活動を始めた。

しかし、すぐに困難に突き当たった。国内では限られた工場でしか生理用品の製造はできず、その工場は既存メーカーの商品以外を製造する余裕はなかった。

そこで、ハヤカワさんはSNS上で大手メーカーに呼びかけ、製造はユニ・チャームが手がける共同のプロジェクトが誕生した。商品の第一弾となるのはタンポンで、2019年中の同社からの発売を目指して開発を進めている。

しかし、同社の現在のラインナップにも、実はデザインにこだわったと銘打たれているものもある。その中で、2人はどんな商品を作るのか?

Mina:私たちは、生理という在り方そのものをまるで違うものにしたい。だから、デザインを良くするのは通過点で、社会の中の生理というものの捉えかたを変えるのがゴール。今までの商品から想像できないぐらい、ただ必要とする要素だけがあって、誰にも何も押し付けず、持っていても見えても恥ずかしくないようなものを作りたい。例えば、透明なバッグに入れても堂々と持ち歩けるものだったり。

5月に同社が開催した、生理用品の未来を語る同社とのトークイベントでハヤカワ五味さんが登壇。同社や他のインフルエンサーとも共同で新しい生理用品をデザインするプロジェクトは 「#NoBagForMe」 として発表された。

「私は紙袋いりません」。生理用品は隠さなくていいという意思表示をしていくという意味が込められている。 

 

会場ではもちろん歓迎ムード。しかし、反響が広がったTwitter上では、例えば「生理用品を隠すのはマナーだ」といったような批判や戸惑いの声もみられた。また、「活動には賛同するけど、自分はオープンに持ち歩いたり発言したりはやっぱりできない」という人も。

Mina:「生理はけがれ」と言われて女性が抑圧されてきた歴史もある。だから、そう思ってしまう人がいるのは仕方ない部分もある。ただ、そういう自分の価値観を若い人に押し付けるのはやめて欲しい。「生理が恥ずかしいもののように言われてた時代もあったよねー」って、もう過去のものにしたんです。

ハヤカワ五味:確かに公の場でこういう主張をしたりすることってとてもハードルが高い。でも、商品って買うことで売ってる人を応援できるんですよ。私は「推しは推せる時に推せ!」って言ってるんですけど、それが小売のいいところ。もし、私達の言うことがいいな、面白いなって思ったら、小さな選挙みたいに、投票するように私達の商品を推してもらえたらいいなって思う。その小さな投票・選択を私たちは大切にして、大企業さんをはじめとして様々な人を巻き込んでより自由な社会になっていけばいいと思っています。 

 生理用品のセレクトショップ「illuminate」は、商品のデザインやショップ以外にも女性に関わる商品のプロデュースやコンサルティング業務などを手がけていく予定だという。

ポップアップストアは、青山ブックセンターで6月20日から開催予定。その後、大阪でも夏頃開催予定だ。月経カップなど新しい生理用品の現物を見て買うことができるほか、illuminateメンバーが厳選したフェミニズムや女性に関する本も併せて販売される。


ハフポスト日本版では、「女性のカラダについてもっとオープンに話せる社会になって欲しい」という思いから、特集『Ladies Be Open』を立ち上げました。

カラダはデリケートで、一人ひとりがみんな違う。だからこそ、その声を形にしたい。そして、みんなが話しやすい空気や会話できる場所を創っていきたいと思っています。

みなさんの「生理」に関する体験や思いを聞かせてください。 #ladiesbeopen

東京新聞の望月衣塑子記者や元官僚の前川喜平氏らが憂う、報道のいま。映画「新聞記者」の記念対談【動画】

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国家権力の闇を暴こうとする女性新聞記者の奮闘を描く映画「新聞記者」(藤井道人監督)が6月28日、全国一斉に公開される。

韓国の若手女優シム・ウンギョンが新聞記者、松坂桃李が若手官僚をそれぞれ主演する。

作品はフィクションだが、東京新聞の望月衣塑子記者の自伝「新聞記者」を原案としているほか、安倍政権が追及された加計学園問題など、実際に起きた出来事を意識した作りになっている。

作品に合わせ、望月記者が元文部科学省事務次官の前川喜平氏、新聞労連委員長で朝日新聞記者の南彰氏、元ニューヨークタイムズ東京支局長でジャーナリストのマーティン・ファクラー氏と対談した。その模様は作中でも一部登場する。

ハフポストは対談の主要部分をまとめた動画を制作側から提供を受け、独占的に掲載する。最後となる3回目のテーマは、「これからのメディア」だ。

対談の主な内容は以下の通り(敬称略)。

 政治の側が、平成の30年をかけて、どんどん(首相)官邸に権力を集めるという改革をやってきた。

これに対して、メディアの側がどう対抗するかという改革が遅れてきたというのが、現場にいる僕の実感です。

マーティンさんからみて、今の日本のメディアはどこに課題がありますか。

ファクラー 本当に今、勝負の時代だと思います。メディアの存在理由が問われている時代です。

これは政治的な変化だけではなくて、技術的な変化、デジタルメディアの普及など、いろんな問題が同時に発生し、メディアが生き残れるかどうか、本当に生存できるかどうかという大きな危機だと思う。

メディアの中では大雑把に言うと、危機意識、問題意識が不十分と感じます。どうしても昔のやり方に戻ろうとしている。

現状、客観的状況が変わってしまったんですよ。だから元に戻れないんですよ。

だとすると、今後どういうビジネスモデルで生き残るか、どういう形のジャーナリズムで生き残るか、倫理観、価値観、使命感を考え直す時代になっている。

この答えによって、日本のメディアが生存できるかどうか、そういう時代になってきたと思う。

 前川さんはいかがでしょうか。

前川 僕はある大新聞からひどい目にあったことがありまして、政治権力の手先になったんじゃないかと思われるような動きがあったわけですよね。

これは私自身が対象になったということを置いて考えてもね、非常に危ないことだと思います。政治権力に使われてしまっている大手メディアなんていうものが実際に出てきてしまったわけで。

これはものすごく危険なことだろうなと。

前川喜平氏

メディアというものが政治権力のプロパガンダのために使われるってことはね、これはどんどん進んでいけば、それはもう1930年代のドイツのようになってしまうんじゃないかと。そういう心配を持っていますね。

テレビにしても新聞にしても、権力寄りなのか、あるいは権力を批判する側に立つのかという色分けがはっきりしてきちゃってると。これが非常に問題だと思う。

是々非々であればいいんですけど、是々々々のところと、非々々々のところ。まあときには是のところもあるかもしれないけど。そういう分断、二極化が起こっている。

でもこれ、二極化って言うんだろうかと。政権の言うことを全部、大本営発表のように報道するようなメディアはメディアって言えるのかと。真剣に問う必要があると思いますね。

 望月さんはどうですか。

望月 私自身の経験でやっぱり、官邸の記者クラブの記者たちは会見で、シーンと静かなわけですね。(そこに自分が出席するようになって)「ああ、なんかいつもと全然違うムードでこの記者やっちゃってる」と。

記者会見で挙手する東京新聞の望月衣塑子記者(中央下)を指す菅義偉官房長官=2019年3月、首相官邸

でも一番力になったのは、あれを見ている市民一人ひとりです。「ようやく質問してくれるやつが一人出たか」と。今、会見がネットで見れますから、それを切り取りながら、ネット上で拡散する。

そうして反響が会社に届く。「色々官邸サイドから言われることがあるかもしれないけど、やっぱり望月さんを行かせてください。守り続けてください。助けてください」と。

すごく反響が出て、これはSNSが発達したことによって、私が一人ひとりの読者や視聴者の方々にある意味、支えてもらっている。

この反響のおかけで、「視聴者や読者の(求めるように)きっちり聞く必要があるんだ」と会社も判断してくれて、今も行き続けられるようになったんですけど。

SNSの弊害っていっぱいあって、トランプさんしかり、政治家がマスに頼らなくても個人個人で発信できるようになった。

マスの力が弱まったという一方で、一人ひとりがいろんな形で発信できるようになった。記者と市民の方たちが問題意識を共有して、物事を考えたり見たりできるようになる時代になった。

そうするとこれまでは記者クラブの中で、「じゃあ、今日はこれぐらいのコメントということにしておこう」とか、もしかしたらできたかもしれないけど、色んなことが可視化されてできなくなった。

そうするとやっぱり、問われてくるのは、どこの会社かではなくて、やっぱりそこにいる記者さんが何をどういう問題意識を持ち、どんな物事をみて取材しているのか、一人ひとりの「個」が問われる流れになったと思うんですね。

望月衣塑子記者

私最近、たまたま大学で4回ぐらい集中して話す機会があって。みなさん、新聞読まなくなっている世代なんですけど、「今新聞社は斜陽になってますけど、私たちに何を期待しますか」って若者に聞いたんですね。

そうしたら、みんなが「ネットが発達しているけど、私たちが記者に求めるのは、時の権力をどうチェックしてウォッチしているのか、どういう時代になっても、きっちり追及してみてもらいたい」と。

ネットになって新聞という紙面は減っていったとしても、やっぱり記者が求められる、ジャーナリストが求められるのはやっぱり変わっていかないんだろうなっていう気がする。

しかも若者もやっぱり求めてくれているんだっていう。これが一つの私の励みにもなりましたし、だからこそ個を確立して、ジャーナリズムとは何なのかと。常に記者が問い続けなきゃいけないのかなと思いますね。

トランスとパンセクのふたりが出会ってできたかけがえのない家族、そして子育て

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「こんにちは」。土曜の午後、まきさんと悠さんは待ち合わせの場所に笑顔でやってきた。ふたりはパートナー同士で、娘の琴音さん(仮名)と一緒に東京都内で暮らす。

まきさん、悠さん、琴音さんは、LGBTQファミリーだ。

家族写真

トランスジェンダーの悠さんは、自認する性別は男性だが、女性の体で生まれてきた。恋愛対象は女性だ。

まきさんはパンセクシュアルの女性で、恋愛対象は性別を問わない。

ふたりの娘の琴音さんは、まきさんが以前に男性と結婚していた時に生まれた。3月に高校を卒業し、現在18歳だ。

この20年で、同性同士が結婚できる地域は世界で26に増え、社会の中でLGBTQのファミリーの存在が見えるようになってきた。InstagramなどのSNSには、子育て中のレズビアンやゲイ、トランスジェンダーの人たちの家族写真がたくさん投稿されている。

それでも、日本ではまだLGBTQファミリーのことはあまり知られていない。

職場や親戚には家族のことを話しにくい、と感じているまきさんと悠さん。ふたりに、LGBTQファミリーとして感じている喜びや不安を聞いた。

🌈3人が家族になるまで

まきさんと悠さんが出会ったのは2013年。その後、九州に住んでいた悠さんをまきさんが東京に呼び寄せる形で、琴音さんとの3人生活がスタートした。

多感な年頃の琴音さんに配慮して、まきさんは最初悠さんのことを「友人」と紹介した。

悠さんのセクシュアリティは伝えなかったが、「どこかの時点で気づいたんじゃないかな」と悠さんは感じている。

これまで子供を育てた経験がない悠さんにとって、中学生の琴音さんとの接し方は、試行錯誤だった。

「悩みというほどでもないけれど、日々の距離感のつかめなさはありました。『これをした方がいい』とか伝えたいことはあるけれど、生活のスタイルが違うから、向こうからしたら余計なお節介だったりするわけですよ(笑)」

ただそれは、悠さんが思ったことを遠慮なく話せる関係を築こうとしてきた、ということでもある。

受験を控えた琴音さんの家庭教師をしたり、好きなアニメを一緒に見たりして、悠さんは琴音さんとの距離を少しずつ縮めた。

🇨🇦カナダで結婚。だけど日本では…

一緒に暮らしていくうちに、正式にパートナーになりたいという気持ちが強まったまきさんと悠さん。

琴音さんが中学校を卒業する時、まきさんは思い切って「悠さんも家族として卒業式に出たい。だから家族になってもいい?」と琴音さんに聞いた。返事は、まきさんも驚くくらいあっさり「いいよ」だった。

その後、今度は「悠さんと結婚したいと思っている」と伝えた。琴音さんは少し身構えるような姿勢を見せたが、「わかった」と頭を縦に振った。

2017年8月、まきさんと悠さんはカナダで結婚式を挙げた。

カナダでは正式な家族になったものの、日本ではふたりの結婚は認められない。職場などで嫌な思いをしたり、不安を感じたりすることも少なくない。

まきさんは、職場でのLGBTQに対する偏見のある言動に、不快な思いをしている。

「差別的なことを平気で口にする人たちがいて、心の中でそれは私を傷つけているんだよって思っています」

税理士事務所を知人と共同経営している悠さんは、開業前に収入がない時期があった。結婚した夫婦であれば相手の扶養に入れるが、悠さんにその選択肢はなかった。

「あなたは単身でしかない。一人で頑張れよと言われている気持ちになりました」と悠さんは振り返る。

多くのLGBTQファミリー同様、何より心配なのは病気や事故が起きた時に、家族として認めてもらえるかどうかだ。

数年前に悠さんが手術をした時には、病院と話し合ってまきさんを配偶者として認めてもらえた。

しかし、手術の同意は「実家のご家族に十分に説明を」と言われ、日本では手術の同意書にサインする権利がない現実を、改めて突きつけられた。

もしどちらかが倒れてICUに入るようなことがあったら、相手のそばにいられるのだろうか。不安は絶えない。

💥琴音さん爆発事件。親子として、家族として

まきさんと悠さんが相手のことを語る言葉には、出会えたことへの感謝と相手の思いやりが込められている。

まきさんは悠さんのことを「こんなに居心地がいい相手は初めて。10年後や20年後を一緒に考えていける相手がいて、これまでで一番幸せだなと感じています」と話す。

悠さんは、相手の気持ちをさりげなく汲みとってくれるまきさんに、これまで味わったことのない安心感を感じている。

「女性の体を持って男性として生活するって結構しんどいんですよ。毎月来るものの処理をどうするかということは、パートナーにも知られたくない」

「でも彼女は、私が女性の体で相手と対峙することにとても居心地よく振舞ってくれる。だから、全然無理しなくてよかった。頑張って男らしく振舞ったり、作ったりしなくていい人は初めてでした」

娘の琴音さんの存在も大きい。悠さんと会うまで、LGBTQの人についてほとんど知らなかったが、お母さんのパートナーとして突然現れた悠さんに対して、戸惑いや嫌がる様子を見せたことはないという。

悠さんは、自分は琴音さんにとって必ずしも「親」という立場ではなくてもいいと感じている。

「私の立場は、親とはちょっと違うと思うんです。琴音さんの父親になってって言われたら、自分ももっと身構えていたと思うんです」

「彼女にとってのパパは、血の繋がった父親。だからこの子にとって、もう一人サポートできるような大人がいるのがいいんじゃないかなと思っています。自分にとっても、そういうポジションがちょうどいいなと思います」

時々、琴音さんがまきさんには秘密にしていることを、悠さんにこっそり話してくれることもあるという。

「パパとかママとかに言えないこともあるのかもしれません。そういうのを聞ける大人が一人いればいいいかな、と思って」

そんな琴音さんが、一度だけ爆発したことがある。

「一年くらい前かな。それまで何も言わなかったのに突然爆発して、『離婚したのは、本当は悠さんと付き合っていたからじゃないか』とまで言いました」とまきさんは振り返る。

そんな琴音さんを見て、「実は我慢させてしまっていたのでは」と悠さんは感じた。

「10歳の時に両親が離婚して、寂しい思いもしたんじゃないかなと思います」

「(まきさんと悠さんが再婚したことに)多分文句もいっぱいあっただろうに、それはあんまり出したことがないから。(自分が家族になって)『本当は嫌だったよね?』と聞いたら『うん』というかも(笑)」

爆発したのは、その一度だけ。あとは以前と変わらず、悠さん、まきさんと接している琴音さん。

15歳の時に、ママにトランスジェンダーのパートナーができたことを、本当はどう感じていたのだろう。一度だけ爆発した時は、何を感じていたの?

琴音さんにも、気持ちを聞いた。

👉後半「15歳のとき、ママにトランスジェンダーのパートナーができた。LGBTQファミリーになって感じたこと

家族のかたち」という言葉を聞いて、あなたの頭に浮かぶのはどんな景色ですか?

お父さんとお母さん? きょうだい? シングルぺアレント? 同性のパートナー? それとも、ペット?

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15歳のとき、ママにトランスジェンダーのパートナーができた。LGBTQファミリーになって感じたこと

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お母さんの新しいパートナー、悠さんが引っ越してきたのは、琴音さん(仮名)が中学校3年生の時だった。

悠さんはトランスジェンダー。生まれ持った体は女性だが、自認する性別は男性だ。性別を変える手術は受けていないものの、着ている洋服や振る舞い方から、男性と認識されることがある。

LGBTQという言葉を聞いたことはあったけれど、「それはテレビの向こう側の話だろうと思っていた」琴音さんは話す。

大好きなお母さんにトランスジェンダーのパートナーができたことを、当時15歳だった彼女はどう受け止めたのだろうか。

3人で撮った、家族写真

🏳️‍🌈ママのパートナーがトランスジェンダーというのは、気になった?

悠さんがやってきた時、琴音さんのお母さんのまきさんは琴音さんに、悠さんを「友人」と紹介しトランスジェンダー男性ということは伝えなかった。

そのことをどう感じていたの、と尋ねると「なんか最初、(悠さんの体が女性だということに)気づかなくて。男性だと思ってました」と、琴音さんは振り返った。

あれ?と思ったのは、一緒に人生ゲームをしている時だった。ゲームで使うピンを選ぶ時「悠さんのは青いピン?」と尋ねると、「うーん、どうだろうね」と悠さんは曖昧な答え方をした。

その時に初めて「あれ、悠さんはもしかしたら男性ではない?」と、琴音さんは思ったという。

「LGBTの人たちをあんまり知らなかったから、思いつかなくて。芸能人とかでそういった人がいるのは知っていたけれど、テレビの向こうにいる人と思っていました」

ただ、悠さんのセクシュアリティは「全然気にならなかった」と、琴音さんは話す。それには、幼い頃から好きだったアニメの影響がある。

「色々な人が自分でアニメのキャラクターを作って、インターネット上で好きなキャラ同士をくっつける、カップリングっていうのがあるんです」

「男性同士や女性同士のキャラのカップリングをネットでたくさん見ていたから、あんまり気にならなかったかな」

💭「モヤモヤ」の正体は?

琴音さんと悠さんは仲がいい。一緒にテレビをみたり、琴音さんが好きなアニメの話をしたり、「悠さんと話すのは楽しい」と琴音さんは話す。

一方で琴音さんは、悠さんが家に来た時から、モヤモヤした気持ちを抱えていた。

心に引っかかっていたのは、お母さんから悠さんを「友人」と、紹介されたことだ。

琴音さんの両親は、琴音さんが10歳の時に離婚している。まきさんは、琴音さんが離婚で大きなショックを受けたことを知っていた。だから、まずは母の友人として悠さんに馴染んでもらってから徐々に距離を縮めて欲しいと思って「友人」と紹介した。

まきさんと琴音さん

しかし琴音さんは、初めから悠さんとお母さんが、特別な関係だと感じていた。

「一緒に暮らし始める時から、なんか付き合ってる感じなのかなって思っていたんです。だけどお母さんは何も言わないから、本当はどうなんだろう?なんで言わないんだろう?と、モヤモヤしていました」

お母さんから「悠さんとパートナーになりたい」と言われたのは、一緒に暮らし始めて約1年後だった。

「どうして、最初から言ってくれなかったんだろう」。モヤモヤした気持ちが少しずつ自分の中にたまっていった。だけど琴音さんは、モヤモヤした気持ちに蓋をし、まきさんにも悠さんにも何も言わなかった。

🗯溜まっていた気持ち、思い切ってぶつけた

「高校三年生の夏ぐらいだったかな、耐えきれなくなって父親に思わず愚痴ったんです。そしたら、そういうのはお母さんとちゃんと話した方がいいんじゃない、今のうちに話さないと爆発しちゃうよ、って言われて」

信頼している小学校からの親友からも同じことを言われた琴音さんは、思い切ってそれまで溜め込んできたことを、まきさんにぶつけた。

何で最初から、悠さんがパートナーだと話してくれなかったのか、お父さんと離婚したのは、実は悠さんと付き合っていたからじゃないか…。

不平や不満をあまり口にしない琴音さんが感情を爆発させたことにまきさんは驚きつつ、ぶつけた思いの一つ一つにきちんと向き合ってくれた。

「『琴音の気持ちはわかった、でもお父さんと一緒にはもうなれない』って言われました。今まで私が知らなかった、お父さんに対して思っていた気持ちも聞けて、なんだかスッキリしました」と、琴音さんは振り返る。

思い切って気持ちをぶつけたことで、それまでお母さんには話しにくいと感じていた、離婚したお父さんのことも話せるようになった。

琴音さんは、高校の卒業式にお父さんも呼びたいと思っていたが、まきさんに遠慮して切り出すことができなかった。

だけど思いを伝えたことで「気持ちを抑えなくていい」と思えるようになり、卒業式にお父さんも誘って欲しいと伝えられた。

「卒業式に参加する人数を学校に伝える時、お母さんが、お父さんと父方の祖父母を加えた人数を書いてくれました。それがすごく嬉しかったです」

📖学校でも、LGBTQの授業をして欲しい?

悠さんと一緒に暮らすようになるまで、身近にLGBTの人たちがいると思っていなかった琴音さん。

当事者の家族になった今、もっと学校でもLGBTQの授業をしたらいいのにと感じている。

「(LGBTQの人たちがいても)害があるわけでも損があるわけでもないです。学校で授業を受けていれば、LGBTQに対してのネガティブな反応はなくなるんじゃないかな」

学校にLGBTQを公表している人はいないけれど、言いづらいと感じている人もいるかもしれない、と琴音さんは感じている。

「性別をチェックするところを、女の方につけたくないって言ってる友達もいました。性別のチェックが無くなったり、知識が広がったらいいなと思います」

🏠悠さんはどんな存在?

琴音さんは、3月に高校を卒業した。卒業式には、悠さんも家族として出席した。

一人っ子の琴音さんは、悠さんのことを年の離れたきょうだいのようにも感じている。時々、まきさんに秘密にしていることを、悠さんに話すこともある。

「お母さんに話すと、おばあちゃんまで伝わっちゃうこともあるから。悠さんは口が固いから、言いづらいことを話すのはすごく良いです(笑)」

琴音さんと悠さん

大好きなアニメの話を、悠さんが聞いてくれるのも嬉しい。3人の生活でどんな時が楽しいか尋ねると、笑いながらこう答えた。

「うーん、いつでも楽しいかな。怒られる時以外は、楽しいなって思う(笑)」

 👈前半「トランスとパンセクのふたりが出会ってできたかけがえのない家族、そして子育て」

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岩屋防衛相、韓国国防相と笑顔で握手して批判⇒「やり取りと挨拶は全く別物」と反論

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第18回IISSアジア安全保障会議で韓国の鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防相と握手を交わす岩屋防衛相(左)=6月1日、シンガポール

シンガポールで開かれていた第18回IISSアジア安全保障会議(5月31日~6月2日)に出席した岩屋毅防衛相。

日程中の6月1日に日韓防衛相による非公式会談に臨んだことや、笑顔で韓国の鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防相と握手を交わしたことなどが、自民党の一部の議員から「怒りに身が震えている」などと批判されていた。

この批判について岩屋防衛相は6月7日、閣議後の会見で「やり取りと挨拶は全く別物なのではないでしょうか」と反論した

 さらに、これらの挨拶が問題視されている点について「会うときも別れるときも気持ちよくというのが、私のモットーでございます。全く問題はなかったと思っております」と語った。

どんな批判が出ていたの?

岩屋防衛相は、どんな点で自民党内から批判されていたのだろうか。

6月5日の自民党の本部で開かれた安全保障調査会と国防部会の合同会合では、日韓の非公式会談の内容が話し合われた。 

意見交換する岩屋毅防衛相(右端)と韓国の鄭景斗国防相(左端)=6月1日午後、シンガポール[防衛省提供]

朝日新聞などによると、日韓の非公式会談では、2018年12月に起きた韓国海軍駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射問題について話し合われたという。岩屋防衛相は再発防止を求めたが、韓国側は照射を否定し、平行線に終わった。

会談後、岩屋防衛相は記者団に「私どもの見解に全く変わりはないが、未来志向の日韓防衛当局間の関係を作っていくため一歩前に踏み出したい」と述べ「北朝鮮の核・ミサイル問題がある中で、日韓両国間の防衛協力は極めて重要だ。協力していくことを確認できた」と説明した。

出席者からは、レーダー照射問題の議論が平行線をたどったことで、韓国側がこの問題に適切に対応しないかぎり、安易に会談すべきではなかったと批判が噴出

小野寺前防衛大臣は「レーダー照射問題で、韓国側は日本の反論を恣意(しい)的に使ってきた。そういう相手だということを十分認識して対応してほしい」と語っていた。

また、6月6日には元航空自衛官で自民党の宇都隆史参院議員が動画を公開し、「(非公式会談で)自分で握手をしてにっこり笑って、おそらく本人は今回の件で、何が悪かったなんて到底思ってないんでしょうね」「バカじゃないか」など岩屋防衛相が韓国国防相と笑顔で握手したことなどを否定的に語っていた。

40年だれも開けられなかった金庫、観光客が一発で開けちゃった「100%勘です」

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※金庫のイメージ写真

40年間、誰も開けることができなかった金庫が、観光客によって開けられた。それも一発で。

CNNによると、カナダ・アルバータ州にあるバーミリオン博物館に、長年開かない金庫があった。博物館は鍛冶工を雇い、製造元に確認し、以前勤務していた職員にも連絡した。博物館を訪れた客にも挑戦してもらっていたが、一向に開く気配がなかった。

ところが5月、博物館の訪問した観光客の男性が試したところ、一発で暗証番号を解読した。

男性は家族でキャンプ旅行に来ていた際に、ボランティアに博物館を案内してもらい、金庫のある地下室にも通された。 

金庫はもともと、1900年初頭に博物館と同じ街にオープンしたホテルで使用されていたが、1970年代に閉業となった際に、博物館に移されたという。

男性はCNNの取材に「20-40-60とセットして、右に3回、左に2回、右に1回でハンドルを試すと、開いたんだ!100%勘です」と興奮気味に話した。

立ち会ったボランティアは、CBCニュースの取材に「彼が金庫をいじって空けるまで、2分とかかりませんでした。私は衝撃を受けましたし、彼自身もそうでした」と振り返っている。

男性さんは、機械工だった。

肝心の中身は、期待はずれのものだった。CBCニュースによると、1970年代の古びた給料支払い表や、レストランの注文書だったという。

「美女と野獣」実写版が地上波初登場、 エマ・ワトソンのベルは必見! 見どころは?

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2017年に公開された実写版「美女と野獣」が6月7日、地上波に初登場する。日本テレビ系列「金曜ロードSHOW!」で午後9時から放送される。

「美女と野獣」は、魔女の呪いで野獣の姿に変えられた王子と美しく聡明なヒロインのベルが出会い、惹かれ合っていく物語。1991年にディズニーの長編アニメーションとして公開された。実写版では、アニメーションの世界観とアラン・メンケンによる美しい音楽が圧倒的な映像美でそのままスクリーンに再現され、大ヒットとなった。

 

フェミニスト、エマ・ワトソンならではのシーンに注目!

実写版で主人公ベルを演じるのは、エマ・ワトソンさん。「ハリー・ポッター」シリーズのハーマイオニー役のイメージから完全に抜け出した演技が見事。

 ストーリー冒頭、「あの子は変わりもの」「美しい娘だ」と周囲から注がれる視線をものともせずに散歩をしながら歌う「朝の風景」の歌声にびっくりするはず。

大好きな本を読むために発明した洗濯機を回したり、近所の子どもに文字を教えたり、フェミニストの彼女ならではのシーンも必見。雪景色の中で野獣と心を通わせていく「愛の芽生え」のデュエットシーンも美しく、有名な黄色いドレスでのダンスシーンもアニメファンの期待を裏切らない。

ワトソンさんはベル役で、2017年5月にロサンゼルスで開催された「MTV Movie & TV Awards」で、「男優賞」「女優賞」という性別の壁を取り払った初めての演技賞「最優秀俳優賞」を受賞している

 

同性愛を描いたシーンも

実写版「美女と野獣」では、腕力が取り柄の村の人気者・ガストン(ルーク・エヴァンス)に対して子分ル・フウ(ジョシュ・ギャッド)が恋心を寄せるシーンも描かれ、話題となった。

アニメではなかったキャラクター設定で、マレーシアでは公開が中止されるなどの波紋も広がった

同作に登場するガストンとル・フウのキャラクター画像。

豪華な吹き替えキャストもぜひ!

ちなみに、日本語吹き替え版では、ガストン役をミュージカル俳優の吉原光夫さん、ル・フウ役を藤井隆さんが熱演している。

放送は2ヶ国語放送。ベルの昆夏美さんと野獣の山崎育三郎さんをはじめ、濱田めぐみさんや島田歌穂さんなど、ミュージカルの実力派人気俳優たちの素晴らしい歌声と演技にも注目したい。

キャストは以下の通り。

<ベル> エマ・ワトソン(昆夏美)

<野獣> ダン・スティーヴンス(山崎育三郎)

<ガストン> ルーク・エヴァンス(吉原光夫)

<ル・フウ> ジョシュ・ギャッド(藤井隆)

<モーリス> ケヴィン・クライン(村井國夫)

<アガット/魔女> ハティ・モラハン(戸田恵子)

<ルミエール> ユアン・マクレガー(成河)

<コグスワース> イアン・マッケラン(小倉久寛)

<ポット夫人> エマ・トンプソン(岩崎宏美)

<チップ> ネイサン・マック(池田優斗)

<マダム・ド・ガルドローブ> オードラ・マクドナルド(濱田めぐみ)

<カデンツァ> スタンリー・トゥッチ(松澤重雄)

<プリュメット> ググ・バサ=ロー(島田歌穂)

ほぼアップルストア…?アップルストアのデザイナーがノートルダム大聖堂の再建案を提案

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デザイン会社であるEight Inc.は、Apple Storeや最近ではニューヨーク五番街の象徴となりつつある巨大ガラスキューブのコンセプトを作ったことで知られている。その同社が、焼失したノートルダム大聖堂の屋根と尖塔の再建案を提示した。その内容は巨大なガラス製の屋根と尖塔だ。フランスがこれを採用するとは私には思えない。

これは、建物の上部全体を構造用ガラスで再構築するもので、通常のガラスより頑強なため内部の骨格がなくても自身を支えられるという考えだ。

この提案をどう判断すればいいのか私にはわからない。あまりに突飛でジョークと紙一重に思える。ガラスをきれいに保つことや、破損した場合などにとをやって一部を交換するかなどの日常的な心配は別にして、ほぼ全体が石で造られているゴシック様式の大聖堂を、巨大なサンルーフで覆うというアイデアは、教会を建てた人たちが望んでいたこととは正反対に思える。

EightのファウンダーであるTim Kobe氏の考えは違う。「フランスのゴシック建築を代表するこの建造物に対しては、当初のデザインの歴史と意図への深い感謝の意が必要だ」と建築デザイン誌Dezeenの取材に答えて語った。「新奇な建築表現のエゴを押し出すのではなく、この歴史的建造物を尊重するソリューションでなくてはならない」

この発言、中でも新しい建築表現のエゴに関する部分は、今回の提案が千年近く前の大聖堂をアップルストア風に建て直すものであることを思うと、少々受け入れがたい。

彼はガラスの屋根と尖塔を「神聖で啓発的」であり「建築の非永久性と命の非永久性」を想起させると称している。

なんとも奇妙な目標に思える。私は宗教的な人間ではないが、大聖堂の目的が、絶対的永遠の存在である神と永遠に続く王国の、永遠で確固たる表現の創造であることは理解している。人の命はたしかにつかの間だが、帝国よりも長く続く巨大な石の大聖堂は、その事実を表現していない。

もちろん、この都市にある伝統主義者たちが忌み嫌う派手なガラス建造物はこれだけではない。ルーブル美術館のピラミッドは長年大きな怒りを買い続けている。しかも(ずっと)小さい。

ディズニーに加えてデートアプリのBadooもノートルダム修復に寄付を約束

フランス議会は(その他多くも)大聖堂をできる限り元の状態に近く再建したい意向を表明している(できれば、数百年前の乾燥した焚き木よりも良いもので屋根を支えることも)。しかし、マクロン大統領は単なる再構築以上のものを求めており、フィリップ首相もそれを支持している。特に尖塔に関しては、比較的遅く追加されたものであり、ほかの部分ほど歴史的ではないと考えている。

デザインコンペは、「我々の時代の技術と挑戦に順応する」新しい尖塔を作るために行われる。これはさまざまな意味を持ち、さまざまな興味深いアイデアを呼び起こすテーマだ。これより少しは良いデザインが出てくることを期待したい。

(翻訳:Nob Takahashi / facebook )

(2019年6月7日TechCrunch Japan「アップルストアのデザイナーが提案するノートルダム大聖堂の再建案はほぼアップルストア」より転載)

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13歳の女性プロレーサー、野田樹潤(Juju)の挑戦 「誰も到達したことのない世界を見たい」

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F1などでおなじみのフォーミュラカーレースは、最高時速が300キロを超える。そんな“世界最速”のモータースポーツの舞台で戦う中学生がいる。13歳のプロレーサー、野田樹潤(Juju)さんだ。

野田樹潤さん

元F1レーサーの父の元で、4歳でカートデビューすると、わずか10歳でフォーミュラカーの舞台に登りつめた。

あまりに若すぎて、公式レースに参加できる年齢に達していない。特例として参加を許された国内レースや海外サーキットで経験を積むなど、前例のない道を自ら切り開いてきた。

「誰も到達したことのない世界を見てみたい」 

F1という、日本人女性が誰も到達したことのない舞台を目指している。

岡山国際サーキットで走行する野田樹潤さん

3歳で初カート、10歳でF4デビュー 前例のない道ばかりを歩んできた

わずか3歳。父親がプロレーサーだったJujuさんは、レーサーになるための小さな一歩を踏み出した。誕生日に買ってもらったカートに乗った時の楽しかった感覚を、かすかに覚えている。

始めは遊びだったカートは、みるみるうちに上達し、4歳のクリスマスに出場したキッズカートレースで初優勝。

「いつもは3位とか低い順位だったのですが、そのとき1位になったのがすごく嬉しくて、また勝ちたいと思いました」

楽しかったカートが、レーサーを目指すための武器へと変わった瞬間だった。さらにキッズカートのチャンピオンとなった5歳、プロレーサーになることを決意した。

「自分もお父さんみたいにレーサーになって、お父さんを超えたい」

プロレーサーの父の背中を見て育ったJujuさんがそう思うのは、当然の成り行きだったのかもしれない。 そこからは、前例のない道ばかりを歩んできたと、父親の野田英樹さんは語る。

「子供が出られるレースは限られています。Jujuの場合は、本人がプロを目指していたので、子供用ではなくて大人用の速いカートに乗せたりしていました」

「ゴルフでいえば、子供にプロが持つようなクラブを持たせてラウンドさせているようなものですね」

大人用のカートレースは、15歳までは出ることができない。そのため、主催者から特例として出場を認められたレースに“飛び級”で参加し、スキルを磨いてきたという。 

そして10歳。F1をトップとするフォーミュラカーの世界に飛び込んだ。小学生でのフォーミュラ4(F4)デビューは、世界でも例がないことだった。 

F4デビュー「ちょっと夢に近づけた」

フォーミュラの世界は、4輪自動車レースの最高峰の一つフォーミュラ1(F1)をトップに、エンジンの排気量や車両に関するルールに応じてフォーミュラ2(F2)、フォーミュラ3(F3)とピラミッド構造になっている。

Jujuさんは、10歳で初めてフォーミュラカーに乗った時のことを、こう振り返る。

「新しいステージ。どんどん速いカートには乗ってきたけれど、カートということには変わりがなかった。そこからF4のフォーミュラカーになったのがすごく大きな変化でした」

「やっぱり、F1を目指しているので、フォーミュラに入れたことはすごく嬉しかったですね」

喜びを隠さなかったが、それでもJujuさんにとっては大きな夢への通過点の一つだ。

「私が行きたいところは、まだ全然ここじゃない。やっと、ちょっと夢に近づけたなという感じです」 

野田樹潤さん

F1「誰も到達したことがない世界を見てみたい」

Jujuさんの夢は、世界最高峰の4輪自動車レースで活躍すること。そのひとつがF1の舞台だ。

「やっぱり大きいレースに勝てたときは、小さいレースに勝てたときよりも何倍も嬉しい。だからやっぱりF1で勝って、その嬉しさを味わいたい」

だが、これまでに女性レーサーでF1の舞台に立った日本人はいない。世界でも数えるほどで、グランプリを制覇した女性レーサーは存在しない。

そんな高い壁にも、「日本人で誰も到達したことがない世界を見てみたい」とひるむことはない。

日本ではF1が浸透しているが、海外には他にも、インディカー・シリーズ(アメリカ)やルマンの自動車耐久レース(フランス)など、世界三大カーレースを開催する名だたるカテゴリーが存在している。

「F1の他にも、いろいろな車に乗って、いろんなレースに出て優勝したい」と、他のカテゴリーにも興味を示している。

父・英樹さんがこう付け加える。

「彼女が本当にもっと経験を積んで、いろんなカテゴリーでのぼりつめていったときに、その時代の選択肢がF1なのか、インディーカーなのかは分かりません。レースで勝って、世界のトップレーサーになることを目指しているわけです」

つきまとう年齢の壁

若くして一線で活躍するJujuさんには、年齢の壁が常につきまとう。

日本自動車連盟(JAF)によると、日本では、普通自動車免許が取得できる18歳になるまで、本格的な四輪レースに参加できるA級ライセンスが取得できない。

8歳から参加できるジュニアのレーシングカートで実績を残したドライバーは、16歳で一部の四輪レースに参戦できるライセンスを取得できるが、13歳のJujuさんは、すでにトップクラスに匹敵する実力があるのに、今から約3年は待たなければならない。

現在は特例という形で、拠点としている岡山国際サーキットで練習走行や、一部のレースに参戦していると、父・英樹さんは話す。

「岡山国際サーキットも、普通に『いいよ』と言ってくれたわけではありません。本当にフォーミュラを乗りこなせる体力や能力があるのか、サーキット側にいろんなことを試験され、彼女がそれを乗り越えて許可をもらっていいます」

今では、F4の上位カテゴリーのF3の車両を乗りこなしているが、岡山国際サーキット以外では、年齢を理由に国内では練習場所もままならない。 

そのため、より環境の整っている海外に目を向けている。

「今後Jujuが目指すのは、彼女の活動を理解し、受け入れてくれる国のレースに参加する。それが今後の流れになってくると思います」(英樹さん) 

2018年末はマレーシア、今年はアメリカに渡り、世界各国から集まった若手トップレーサーに混じって、レース形式の練習走行も経験したという。

海外デビューとなったマレーシアでは、世界のサーキットや走りに戸惑いながらも、トップ3に入る走行もあり、本人も「もっと頑張れば絶対に勝てると思う」と手応えを感じている。

Jujuさんは海外の公式レースに参戦できる年齢にも達していないが、若手レーサーに対する理解が深く、遠征先のサーキットで練習走行が認められたという。

父・英樹さんは言う。

「これだけの実力を身につけて、ようやく海外であればそろそろレースに出られます。14、15歳は海外でも特例ですが、その中に入れてもらえそうな状況にようやくなってきました。もっと台数が多くて、色々なサーキットで開催される海外のレースに出ていく。そこで結果を残して、頂点のカテゴリーに参加できるようになるのが目標です」

父・野田英樹さん。1994年11月F1日本グランプリ。スポット参戦ながら活躍が期待されるラルース・フォードの野田英樹(三重県・鈴鹿サーキット)

「バカにされても、逆に燃える」

3月に岡山国際サーキットの練習走行を見学させてもらうと、Jujuさんの走りは、素人の私から見ても、群を抜いていた。 

小さい頃からスピードに慣れているというJujuさんは、「スピードへの恐怖心はない」と小さな笑顔を見せる。

高速コーナーに対する恐怖心は残っているが、「それよりも、勝ちたい、できるようになりたい、というほうが強いです」と臆さない。

練習走行する野田樹潤さん

まだまだ男性が中心のレーサー界で、Jujuさんの存在は異彩を放っている。

そんなイメージから、『女の人でレースをやっているの?』『危なくない?』と聞かれることもあるという。

「女性だからと、ちょっとバカにされたりとかも。それを言われたら、逆にもっと燃えるというか。勝てばいい話だから、考えていても何もならない。口で言うよりも、勝ったほうが逆に証明できるから、それだけ」

多くのスポーツで男女が直接対戦する機会はないが、カーレース界は原則男女混走で、同じレースに参加する。

一方で、トップレベルで活躍できる女性ドライバーの発掘や、そのための機会を増やそうと、女性レーサーのみの選手権が始まっている。 

日本国内では、『競争女子選手権KYOJO CUP』が世界初の試みとして2017年に誕生。海外では今年5月、F1レーサー発掘を目指すフォーミュラ選手権「Wシリーズ」が開幕した。

女性に特化した新しいカテゴリーの発足を、Jujuさんはどう捉えているのか。

「女性レーサーも頑張っているんだと注目されるのでいいと思います。でも、そういうカテゴリーが増えてほしいというよりは、私が目指しているのはもっと上のカテゴリーで、そこに行ったら結局は男女が一緒になる。女性のみのレースカテゴリーを目指すよりも、男女混合の上位カテゴリーに向けてもっと練習、トレーニングするだけです」 

野田樹潤さん

お友だちに怪我をさせられて、傷ついた息子の心。我が子をどうやって守るのか?

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総勢6人の子どもたちが大集合

愛する我が子がお友だちに怪我をさせてしまったり、怪我をさせられてしまったとき、親としてどう向き合えばいいか? そんなことを考える、ある事件が起こりました。今回は、そんなお話。

 

このあいだ親戚の集まりがあり、20人もの「村橋家」が集合したんです。兄弟やいとこなど子ども連れの親戚もいるので、まあうるさい。大人のための用事なため、1時間もすると、「あきたー」「つまんないー」と案の定、子どもたちが騒ぎ出した。そのため6人いた子どもたちを、僕も含めた親3人で近隣の公園に連れて行き、遊ばせることにした。

子どもたちがキャッキャ遊んでいる姿を眺めていると、ウチの子が親戚のユウくんと楽しそうにじゃれていた。ウチの子は4歳の男の子で、ユウくんは5歳。ウチの子は親戚の子ども達のなかでも特にユウくんが大好きで、集まりがあるといつも「ユウくん、ユウくん」といって背中を追っているほど。

 

我が子のおでこからぴゅ~っと鮮血が!

ヤンチャになってきたふたりは、この年代のお約束、「たたかいごっこ」で遊んでいたのですが、1歳違いとはいえ、見ているとやはりユウくんのほうが力が強い。興奮してきたユウくんはウチの子の背中をドン! と押すと、我が子は顔面から思いっきり地面に。ここまではよくあることですが、息子が顔を上げると、おでこからぴゅ~っと鮮血が!

息子:「いた~い! いたいよ~~!」

僕:「大丈夫かっ!?」

その後、すぐに医者に連れて行ったところ、先生いわく「縫う寸前」という、かなりのケガでした。

 「ごめんなさいね~! ほらユウ! 謝りなさい!」

 驚いたのはユウくんのママも同じで、困惑気味に力ない笑顔をこちらに向けてきました。(でもあんまオオゴトにしないでよ。だって親戚じゃない…)という心の声が聞こえてしまったのは、我が子がケガをしたことに対するとっさの怒りだったのか。

 しかしもちろん、ユウくんも、ユウくんのママも恨んでいないですよ。子ども同士の小競り合いですから、誰が悪いという問題ではなく、責める気なんてさらさらありません。

 ただ、問題は我が子です。医者から戻ってきた息子は…それはもう、どんよりと塞ぎこんでしまったのです。普段、すっ転んでも何しても「でへへ」と笑っているのに、「誰かに傷つけられた」、しかも「ユウくんが大好きなのに、お医者に行くほどの怪我をした」ことがよっぽどショックだったのでしょう。

いつも騒がしい息子が、何ひとつ喋らず、ずっと下を向いている。心の傷は額に負った傷より深く、そのことが親である僕の心にも深くのしかかり、彼の塞ぎこんだ表情を見るだけでこちらも泣けてきました。

 

 傷ついた心を取り戻すことが大事

 彼は、とても気が弱い。もっと小さいときから公園のお砂場で、そこらのキッズスペースで、おもちゃを持ってるお友だちに、「かーしーてー」が言えない。そんなとき決まって「ぱぱがとってきてよ」とばかりに、僕の手をぐいっと引っ張る。

 気性が荒く言いたいことは全部言わないと気が済まない性分の僕からすれば、「もうちょっと頑張れよ!」という思いもあり、「自分で取ってきなさい!」と、突っぱねていた。そのため、いつかこの子もお友だちとモメ、喧嘩になることもあるだろう。そんな日がきたら「負けて悔しくないのか?」とどやしつけてやろうと思っていたのだが……、現実、大好きだったお兄ちゃんと遊んでいて怪我をし塞ぎこんでいる我が子を目の前にしたら、そんなことは言えなかった。

 「いったん、おうちに帰ろうか」。

そう言うと、息子を電動チャリの後部座席に乗せた。いつもなら「仮面ライダー ジオウ!」「ライダーキック!」とひとりでも騒がしくはしゃぐ息子が、無言のまま。

そして、ぽつりとこう言った。

「もう、おくち、ききたくない」。

ユウくんとはもう喋りたくもない、と。僕は「そうだ、別に喋りたくないなら喋らなくていいんだぞ」と返し、ふと思った。

 そう、戦う必要なんてないんだ。逃げたっていいんだ。やられたらやり返す、ではなく、やり返さなくたって、そんなの負けじゃない。とりあえず逃げて、その傷ついた心を取り戻すことのほうが大事。

立ち向かっていったら、今度は愛する息子が「ケガをさせてしまう側」になってしまうかもしれない。何かの歌詞にあったが、大切な人を“被害者にも加害者にもしたくない”。それが多くの人の願いなのだから。

「ぶった・ぶたれた」ならまだしも、この先我が子はネットやSNSといった底なしの悪意に叩きつけられるかもしれない。そうなった場合、どう我が子を守ってあげられるのか? 僕は「やられたら、やり返してこい!」側の人間だったが、このような場面に実際に出くわすと、その考えは崩れ、100%消えていった。

もう息子に強さを求めすぎるのはやめよう。彼には彼の強度というものがある。それより彼に少しの時間の逃げ道を与え、そこでずっと寄り添っていられる親でありたい。

 こんなふうに珍しく真面目なことを考えていたら、何だか頭がグチャグチャになってきた。

「パパ、何だか疲れちゃったよ」

 そう後部座席の息子に漏らすと、こう返ってきた。

 「ねえぱぱ、あとでぼくのきゃんでーあげるね。きゃんでーたべると、つかれがとれるんだよ」

 そう、この子はやさしい。強くなんかならなくていい。

 「そうだ! 仮面ライダー・ジオウのゲーム、やりに行くか!?」

 「じおうのげーむ、やりたい! いく~!」

 やっと息子に笑顔が戻った。

 

■村橋ゴローの育児連載

第1回 妻はきっと知らない。ボクが家事・育児の“ワンオペ夫“を14年続けられる理由。

第2回 不妊治療の末に授かった赤ちゃん。出ないおっぱい。ボクたちが経験した「産後うつ」

第3回 「この子捨てていい?」――地獄のような「産後うつ」乗り越え、ふたりで涙した夜

第4回 【週5で銭湯】子どもに社会を知ってもらう「湯育」(とういく)のススメ

第5回 結婚のきっかけは「あなたの子どもが産みたい」。借金地獄を救ってくれた妻のために、ボクができること

第6回 男の子がピンクを選んだっていい。4歳の息子が感じた「性別と色」の世界

第7回 「子育てやめます」妻に宛てた一通の手紙。ボクはあの時、育児うつになっていた

第8回 親にとって最高の「ぷじぇれんと」 言い間違いは、子どもが成長している証だ

第9回  42歳おっさんの「孤育て」 平日の昼間、公園にいたらヘンですか?

第10回 「ちゅんちゅんこわい」気弱な息子と動物園に出かけたら……?

第11回 保育園で“バズ“ったら、何が起きる? ワンオペパパが見た、園児が過ごす大人の世界

親も、子どもも、ひとりの人間。

100人いたら100通りの子育てがあり、正解はありません。 

初めての子育てで不安。子どもの教育はどうしよう。

つい眉間にしわを寄せながら、慌ただしく世話してしまう。

そんな声もよく聞こえてきます。 

親が安心して子育てできて、子どもの時間を大切にする地域や社会にーー。

ハッシュタグ #子どものじかん で、みなさんの声を聞かせてください。


サニブラウン・ハキームが9秒97で日本新記録を樹立 陸上男子100メートル

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陸上男子100メートルでサニブラウン・ハキーム選手(フロリダ大)が9秒97を記録し、日本新記録を樹立した。追い風0.8メートル。NHKなどが報じた。

サニブラウン・ハキーム選手(6月5日)

アメリカのテキサス州で行われていた全米大学選手権決勝で記録した。

日刊スポーツによると、これまでの記録は桐生祥秀選手(日本生命)の持つ9秒98だった。

ATMの破壊に集中しすぎた強盗犯、警察官が来ても全く気付かず御用

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中国・河南省で抜群の(?)集中力を持つ強盗犯が逮捕された。地元テレビ局などが報じた

事件が起きたのは2019年の6月2日深夜。金を奪い取ろうと、一人の男がハンマーを手に街中に設置されたATMを訪れた。

男は「工事中です」と書かれたプレートを設置すると、ATM目掛けて一心不乱にハンマーを振り下ろしていった。

ATMの金属性のカバーはみるみる壊れていったが、この様子を目撃した人が警察に通報。警察官が現場に駆けつけた。

だが、男はそれにも気付かない。警察官が現場に到着した後も黙々と「作業」を続けていたという。

結局、抵抗する間も無く御用に。身柄を確保した警察官は「大声で威嚇するとこちらを振り向き、すごく驚いた様子だったので、その間に身柄をおさえた」と話している。

現地メディア新京報の動画には、男がATMの破壊を開始してから警察官に逮捕されるまでの様子が捉えられている。

男は仕事が見つからず、貯蓄も底をついたため犯行に及んだと話しているという。

 

心斎橋刺殺事件から7年 被害者のバンドメンバーが続ける「ロックフェス」

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南野信吾さん

2012年6月10日、大阪・心斎橋の路上で通行人2人が男に刺され死亡する事件が起きた。

2012年6月11日の朝日新聞夕刊によると、男は当時36歳。大阪府警の調べに対し、「自殺しようと思って、事件を起こす前に現場近くで包丁を買った。死にきれず、人を殺してしまえば死刑になると思って刺した」と供述したという。男は2人と面識はなかった。

犠牲になった1人が、東京都の音楽プロデューサー南野信吾さん(当時42歳)だ。事件の日は、仕事で大阪を訪れていた。

毎年6月、南野さんのバンドメンバーが、南野さんの名前をつけたライブを続けている。事件から7年となる2019年6月10日にも「MINAMINO ROCK FESTIVAL 2019」が新宿のライブハウス「新宿LOFT」で開かれる。

■「大阪から帰ったら、また連絡します」

ライブを運営してきたのは、バンドメンバーの柳沼宏孝さん(50)だ。

柳沼宏孝さん

南野さんとの出会いは30年ほど前。別のバンドでベースとして活動していた柳沼さんを、南野さんは自身がボーカルを務めるバンドに誘ってきた。誘い文句は「僕が絶対に武道館に連れていきます」だった。

1996年春にロックバンド「4-STiCKS」の名前でメジャーデビュー。解散後も、2人は別のバンドで一緒に音楽を続けてきた。

「楽しいことをするのが好きで、突然やってくる人だった」と柳沼さんは話す。ふらりと現れて日帰り温泉に誘ってきたり、サイパン行きの航空券を持ってきて「みんなで行きましょう」と言ったりしたこともあった。柳沼さんが仕事で関わるイベントに、南野さんが子どもたちを連れて遊びにきた姿が目に焼き付いているという。

最後に会ったのは事件の一週間前だった。車のバッテリーが上がったとSNSに書き込むと、駆けつけてくれた。

「大阪から帰ったら、また連絡します」と南野さんは言った。

4-STiCKS

■毎年6月10日を「彼の話をする楽しい夜に」

事件の後、2012年秋に、音楽仲間の声を受けて遺族を支援するライブを行った。以降は毎年6月10日にライブを続けている。

追悼ライブとして続けてきたが、数年前から「ロックフェス」に名前を変えた。「『フェス』としてやることで、『前を向いている』と感じられるようになった。事件当時を知らないアーティストも『できることがあれば』と協力してくれている」

「色んな人に慕われていた人。彼の話をする、楽しい夜にしたい」

一方で事件を「風化させたくない」との思いもある。産経新聞などによると、無期懲役とした大阪高裁判決を不服とし、大阪高検が最高裁に上告している。

「よく『裁判終わってないの?』と聞かれる。それって風化ですよね。世の中として、こういう事件で亡くなった命を無駄にしてはいけないと思う」

柳沼さん自身も、事件を受けて変わったことを感じている。「悔いを残さないようにしようと思うようになった。それは今もめちゃくちゃ思っている。いろんな気持ちがあるけど、前を向いていくしかない。彼の分も生きていく」

「MINAMINO ROCK FESTIVAL 2019」
日時:2019年6月10日(月)OPEN 16:30 START 17:00
場所:新宿LOFT(東京都新宿区歌舞伎町1-12-9 タテハナビルB2)
チケット:当日3500円

20組以上のアーティストが出演する。経費を除く売上は南野信吾さんの家族に寄付される。

ゲイの高校生の絶望と希望。「腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。」で金子大地さんはどう届けたのか

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ゲイの高校生・純を演じた金子大地さん

2019年4月から放送されているNHKドラマ、よるドラ『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』。ラブコメなのかと誤解されそうなタイトルだが、内容はゲイの高校生の複雑な心情や成長を、真正面から描くストーリーだ。

ネットの投稿サイトから書籍化された小説「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」(浅原ナオト著、KADOKAWA)を実写化した作品で、放送を重ねるごとに反響が広がっている。6月8日の最終回を前に、主演の金子大地さんにインタビューした。

 

 「届けたい」という強い気持ちが生まれた

ドラマの中心は、ゲイであることを隠して生きる主人公・安藤純と、同級生で「腐女子」の三浦さんの関係だ。「腐女子」とは、BL(ボーイズ・ラブ、男性同士の恋愛)を扱った漫画や小説を好む女性のこと。純が書店でBL本を買う三浦さんを目撃したことをきっかけに、2人の距離は近づく。やがて、三浦さんは純に恋をする。一方、ゲイでありながら「異性と結婚し、子どもを持って家庭を築く」という“普通の幸せ”を欲望する純は、自身のセクシュアリティーを隠して三浦さんと付き合うことにする――。そこから、物語は大きく動き出す。

「同性愛という難しいテーマを取り上げた作品だと知ったときは、自分に務まるのかという不安はありました」

金子さんは出演が決まったときのことを、そう振り返る。

「LGBT、といった言葉はもちろん聞いたことがありました。でも、身近にそういう人がいることは想像したことがなかったですし、あまり知らなかったというのが正直なところです」

それでも挑戦する決意を固めたのは、原作を読み込んでいく中で、純という一人の「人」に惹かれていったからだという。

「純には、三浦さんと付き合う前から男性の恋人がいます。そして、そういう自分の内面を、周囲に対して壁をつくって隠している。僕には男性を好きになる気持ちは分からないけど、すごく人を好きになったことはあります。苦しみの重さは違うかもしれないけど、あまり自分をさらけ出せない気持ちには共感できる部分があります。難しい役ですが、この共通点を手掛かりにしたら純に近づくことができるかもしれない、と思いました」

ゲイやトランスジェンダーの人たちが登壇する講演会にも足を運び、当事者の話に耳を傾けた。

「性的マイノリティーの人はこんなにもたくさんいるんだ、という事実を知って、まず驚きました。そして、自分のことを安心して話せる居場所がないんだということにも。作品のメッセージを『きちんと届けたい』という気持ちは、これまでにないくらい強かったです」

 

演じた後も自問し続けた第5話

純は第5話(5月18日放送)で、自身がゲイであることを三浦さんに告白する。しかし、盗み聞きしていた男子学生が周囲に言いふらしたことで孤立を深め、遂には教室のベランダから飛び降り自殺を図るという衝撃的なシーンへと展開してしまう。

NHKドラマ「腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。」第5話より

 友人からぶつけられる「気持ち悪い」という言葉。「(純の)仲間か」と迫られ、「違う」と口走ってしまった親友の強張った表情。自分がどう眼差されているのかを悟った純の瞳から、ぽつり、ぽつりと落ちる涙には、マイノリティーとしての痛みや悲しみ、悔しさがいっぱいに詰まっていた。

純を追い込んだのは、分かりやすい「悪者」ではない。男なら女、女なら男を好きになるもの――そう信じて疑わないだけの「普通」の人たちだ。飛び降りながら純が心の中で呟く「ああ、欲しかったな……フツウが」という言葉は、純自身もその偏見を内面化していることを物語っている。

金子さんはこのシーンで、演じる自分と純との間に埋められない「距離」を感じていたことを打ち明けてくれた。

「何度も、何度もリハーサルを繰り返して、監督とも他のキャストとも話し合いを重ねて、気持ちをつくっていきました。でも、撮り終わった後、ずっと不安だったんです。どうして純は、死にたいと思ったんだろう。なぜこんな展開にならなければいけないんだろう。演じる前も、演じている時も、その後も……、答えが分からなくて、ずっと自問していました」

演じた金子さんでさえ、純の痛みを丸ごと理解することは難しかった。純が身を投げた直後、差し込まれた10秒以上のブラックアウト(暗転)は、マジョリティーとマイノリティーの間に横たわる深い溝を、視聴者に突き付けてくるようだった。

 

「どん底」から立ち上がる

金子さんも「どん底まで行った」と言う5話。でも、絶望して終わらないのがこのドラマの凄みでもある。

一命を取り留めて入院生活を送る純に、三浦さんは「お見舞い」として大量のBL本を持ち込み、純に読ませるというユニークな方法で寄り添う。

性的指向が男性であることと、BLを「嗜好」することはもちろん別だ。でも、「ゲイだから」「(異性愛者で)腐女子だから」という属性を取り払って、自分たちなりのやり方で生身のお互いを知ろうとし始める2人の姿には希望がある。

「普段テレビを見ていても、例えば『女性はこう』『男性はこう』って、個人にラベルを付けて語るような番組を目にして、ちょっとイライラすることがあるんです。ゲイとか腐女子とかもそうですけど、その人のほんの一部を全てみたいに語るのではなくて、もっとフラットに、人間対人間として、向き合えたらいいなって考えるようになりました」

 第7話(6月1日放送)。高校の終業式の日、三浦さんは体育館のステージの上から、2人に起きたことをありのままに語る。そして、他者に対して「透明な壁」を築いている純のことを、こんな言葉で解放して見せた。

自分を守っているんじゃなくって、私たちを守っているんです。僕がここから出たら、君たちはきっと困ってしまう。(筆者注:物理の問題で)摩擦をゼロにするように、空気抵抗を無視するように、僕を無かったことにしないと、世界を簡単にして解いている問題が解けなくなってしまう。だから、僕はこっち側で大人しくしているよ。そう言ってるんです。彼は自分が嫌いで、私たちが好きなんです。

そう訴えて、涙で言葉を継げなくなる三浦さんに、駆け寄った純はキスをする。

全校生徒を前にしてのこの展開に、視聴者からは「アウティングなのでは」といった批判もあった。5話の騒動で、既に2人のことがほぼ全校に広まっている前提があったとはいえ、セックスしようとしたができなかったことなどを大勢の前で言われることに抵抗を覚えるという意見は、確かに分かる。

だが、丁寧に繊細に純の苦しみを描いてきた制作側は、その批判の可能性も織り込み済みで、伝えたいことがあった。三浦さんの「演説」は、「自分たちとは違う何か」という枠の中に押し込めて純を扱うようになった周囲の視線に、2人が向き合ってきた軌跡をあえて明らかにすることで抵抗するものだ。

金子さんは7話を「すごく、好きです。純と三浦さんが『人と人』として向き合う、大事な回です」と言い切る。「三浦さんを好きかどうかとか、好きが何かとか、言葉では表しにくい。でも確かに、純の『気持ち』がこもったキスでした」

「純はずっと『ゲイだから、ゲイだから』と自分自身を苦しめてきたから。あそこで三浦さんが頑張ってくれて、その壁の外にやっと少し、出られたから。ありがとう、っていう気持ちに近かったかもしれない」

「人それぞれだよね」と呟いてみるだけでは、無くなってくれない差別。世界を簡単にする「ラベル」に傷つけられながら、同時にそこへ逃げ込みたくなってしまう私たち。ゆっくりと、一言ひとことを丁寧に語ってくれる金子さんの姿には、役を通してその現実と戦ったからこそ生まれた、真摯さと優しさが滲んでいた。

6月8日、最終回。純たちは、どんな一歩を踏み出すのだろうか。ぜひ、一人でも多くの人に見届けてほしい。

 【最終回・放送情報】

よるドラ『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』

NHK総合  2019年6月8日(土)23時30分~23時59分

「弥助」ってどんな人? 織田信長に仕えた黒人武士の生涯を歴史資料で追った

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漫画に描かれた弥助の姿。山田芳裕「へうげもの」第3服より

ブラックパンサー』で黒人ヒーローを演じたチャドウィック・ボーズマンの新作映画の報道が話題だ。織田信長に仕えたという記録が残る、黒人の武士「弥助(やすけ)」を描いたハリウッド映画が制作されるというのだ。

5月7日付けのアメリカのエンタメサイト「DEADLINE」に対して、ボーズマンさんは「弥助の伝説は、世界史の謎の一つだ。アジア系以外でサムライになった唯一の存在だよ。単なるアクション映画ではなく文化事業であり、異文化交流だから、僕はそれに参加できて興奮しているよ」と語っている。

果たして弥助とは、いかなる人物なのか。

謎に包まれた弥助の生涯を歴史資料から追った。

 

■イエズス会の宣教師が連れていた黒人奴隷だった。

弥助について触れた一次資料は非常に少ない。

ただ、弥助が信長の最晩年、天下統一にあと一歩まで迫った時期に宣教師の黒人奴隷として出会い、その後に家臣になったということまでは、はっきりしている。

 宣教師に随行する黒人たち。狩野内膳が描いた南蛮屏風(左隻)より

 天正9年(西暦1581年)2月23日に、イエズス会の宣教師オルガンティノが、京都で織田信長に面会した際に、黒人奴隷の従者を連れていった。これは日本側とイエズス会の報告の両方に記録がある。

<キリシタンの国から黒人がやって来た。年齢は26~27歳ぐらいのようだ。全身がウシのように黒い。この男は健康で力が強く、10人がかりにも勝てそうだ。バテレンが連れてきて、(信長様に)挨拶させた(太田牛一「信長公記」)> 

<信長も黒人奴隷を見ることを望んでいたため、宣教師のオルガンティノが連れていったところ、信長はその色が生まれつきで、後から塗ったものでないことを信じようとせず、帯から上の着物を脱がせた>(ルイス・フロイスの報告「イエズス会の1581年の日本年報」)>

そして翌1582年5月11日、徳川家康の家臣である松平家忠の日記に「信長には弥助という名前の黒人の家来がいる」という記述がある。信長が家康と組んで武田勝頼を攻め滅ぼした「甲州征伐」の際に、信長に随行していたようだ。

「信長様が、宣教師から進呈されて召し抱えたという、黒人を連れておられた。身は墨のようで、身長は6尺2分(約1メートル82センチ)。名は弥助(原文ママ)という」(家忠日記)

これらを総合して、オルガンティノが引き合わせた黒人奴隷を信長が召し抱えて武士となった。そして「弥助」という名前を付けられたというのが定説となっている。

 

■「短刀と屋敷なども与えられた」との記述も

織田信長の肖像画

宣教師たちの記録から、初対面の出来事を補足しよう。当時、日本人にとって黒人の姿は非常に珍しく各地で人だかりができて、負傷者まで出る騒ぎになったようだ。

珍しい物が好きな信長といえども、黒人の存在をにわかには信じることができなかったらしい。

上半身の服を脱がせて半裸にしただけでなく、体を洗わせたというエピソードもある。アレッサンドロ・ヴァリニャーノは「信長は黒人奴隷の服を脱がせて体を洗わせたところ、洗い擦るほど一層肌が黒くなった」と記述している。

しかし、その後、信長は、この黒人をすごく気に入ったようだ。

フロイスは「黒人奴隷は少し日本語が分かったので、信長は彼と話して飽きることがなかった。また、彼が力強く、芸も少しできたので、信長は多いに喜んで庇護し、人を付けて京都市中を歩き回らせたので、『信長は彼をトノ(武将)とするのでは』という声もあった」と振り返っている。

また、「信長公記」のうち、太田牛一の子孫に伝わった「尊経閣本」と呼ばれるバージョンでは、上記に続いて「黒人は信長様から家臣として召し抱えられて俸禄を得た。名前は弥助とされた。短刀と屋敷なども与えられた。時折、信長様の道具を運ばされた」とする記述がある。

もし、この記述が事実であれば、信長に側近として仕えたことになる。

 

■「本能寺の変」で奮戦

弥助はアフリカ南部のモザンビーク出身だったと言われている。

大航海時代の当時、ヨーロッパからインドに向かう船は、アフリカ南端の喜望峰を通過する際に、モザンビークに寄港して食料や飲料水の補給のほか、現地で奴隷を購入することが多かった。

弥助もモザンビークからインドに運ばれたが、そこで宣教師に同行して来日していたようだ。

信長が「甲州征伐」に同行させるほどの信頼を置かれていた弥助だが、その運命は暗転する。甲州征伐を終えて信長が安土城に帰還したのが1582年4月21日だった。その約1カ月後の6月2日、主君である信長が「本能寺の変」で明智光秀に討たれたのだ。

弥助は信長の死んだ後も、息子の織田信忠が籠もる二条城に駆けつけて刀を振るって奮戦したが、最終的に降伏したという。フロイスの報告を引こう。

<巡察師(ヴァリニャーノのこと)が信長に送った黒人奴隷が、信長の死後、息子の家に行き、相当長い間、戦っていたところ、明智の家臣が近づいて「恐れることなくその刀を差し出せ」といったので、刀を渡した。家臣は、この黒人奴隷をどのように処分すべきか明智に尋ねたところ、「黒人奴隷は動物で何も知らず、また日本人でないため殺すのはやめて、インドのパードレ(司祭)の聖堂に置け」と言った>

明智の「黒人奴隷は動物で何も知らず」という説明は、あまりにも人種差別的だ。しかし東北大学の藤田みどり教授は著書の中で、殺さないための方便だったのでは推測している。

「皮膚の色こそ異なるものの、若干言葉を解し、最後まで主人への忠誠を果たした従者を殺すのは忍びないと光秀が思ったとしても不思議ではない」 

弥助は解放直後、イエズス会の宣教師から治療を受けたらしいことまでは分かっている。しかし、その後の消息はぷっつりと途絶えている。

 

■サブカルチャーの世界でアイコンに

「くろ助」の書影(大阪国際児童文学振興財団のサイトより)

歴史の世界から姿を消した弥助だったが、20世紀以降にサブカルチャーの世界で再評価が進むことになった。

1968年に来栖良夫が出版した児童文学『くろ助』で主人公として描かれたほか、1971年の遠藤周作によるユーモア小説『黒ん坊』の主人公のモデルとなった。

安土桃山時代を描いた漫画で取り上げられることも多く、山田芳裕が描き、アニメ化もされた「へうげもの」では、信長殺害の真犯人を目撃した重要人物として描かれている。

 ハリウッド映画で、弥助の生涯がどのように映像化されるのか。今から楽しみだ。

【参考文献

・藤田みどり『アフリカ「発見」日本におけるアフリカ像の変遷』岩波書店

・ロックリー・トーマス著、不二淑子訳 『信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍――』 太田出版

・村上直次郎訳『イエズス会日本年報 上』 雄松堂出版

・金子拓『織田信長という歴史―「信長記」の彼方へ 』勉誠出版

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