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フィジーに育休移住する3つの理由

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なぜフィジーに育休移住しているのかをまとめました。

本来であれば男性が一年間育児休業を取ることが出来たのであれば、ゆっくり日本で過ごすこともできたはずなのに、なぜ私たちはもの好きにフィジーに育休移住しているのでしょう。

育休を一年取得し、家族5人でフィジーにプチ移住する理由を3つの観点で振り返ります。

理由その1 家族と向き合う時間を作りたい

マンゴーを頬張る2歳娘

日本、特に東京で生活していると家族と向き合う時間が極端に短くなります。

多くの社会人であれば、平日はフルタイムで働き、生活を維持するために家事をして、残された時間で子ども達と接することになります。

総務省の調査によると、6歳未満の子供を持つ夫の週全体平均の育児時間は49分です。

http://www.stat.go.jp/data/shakai/2016/pdf/gaiyou2.pdf

驚くことに49分という育児時間は、土日祝日も含まれています。

それに加えて、テレビ・インターネット等、多くの情報に囲まれているために、ほとんどは"ながら育児"(へい、公園でスマホいじってるそこのお父さん見てるかーい?)

はい、完全に過去の私ですね。

それを踏まえると純粋に子供に向き合っている時間は、限りなく短いということがわかります。

また、以下の記事から、色んなことを複数やれていそうな"ながら育児"は、むしろ幸福度が下がるという結果も出ています。

『番外編】子育てが幸福度を下げる?!幸せになるシングルタスク入門』http://ikukyuiju.com/2018/05/04/single-task/

次に、東京に住んでいると「電車の中では静かにしなさい・靴を脱ぎなさい・寝転んじゃダメー!くぁwせdrftgyふじこlp」と周囲の環境が理由で叱るという機会が多くなります。

みんなが快適に過ごせるマナーという観点で必要な教育かもしれませんが、当事者の私は注意するとき、子供でなく周囲の人を意識して叱っています。

申し訳ないと思っているので、親として最大限努力してまっせと背中から伝えたい笑。

また、私たちはマンション暮らしですが、「ジャンプしてドンドンしたら下の階の人たちが迷惑だよー!」「夜は静かにしなさいー!」ということを伝えなければなりません。

その時点で、自分は子どもと向き合って言葉を発しているのかわからなくなってしまいました。

周りの環境ではなく、人間として何がよくて何がいけないのか、本質だけを子供に伝えていく期間を設けたいと考えています。

子どもたちが道端で寄り道しても、道に寝そべっても気長に待てる環境を用意するために。

(これについては、フィジーの車が危なっかしくて実現しませんでしたが苦笑)

理由その2 価値観を広げたい

新しい環境に身を置くことで、子どもと私たち親の価値観を広げたいと考えています。

子どもはもちろん、まだ31歳の私たち夫婦も価値観を広げて人間として成長していければきっと子どもたちに伝えられることも変わるでしょう。

そのために今回は、日本と対極にありそうな『世界幸福度調査』ナンバー1というフィジーの国を選びました(ちなみに日本は2017年25位、2018年18位)。

幸福の秘訣は、分かち合う文化と海外特有の適当さにあるようです。

実際にフィジーに住んでみると、海に行けばピクニックをしているフィジー人に「こっちこっち!」と招かれ、輪の中に入れてもらえたり、帰り際にはたくさんのフルーツをおすそ分けしてもらえます。

0歳の我が子は、輪の中に入るや否や、すぐに抱っこしてもらえて色んな人が代わるがわるあやしてくれます。

どこでも可愛がってもらえる息子

生粋の日本人である私たち夫婦は、「どこかに連れてかれないかな...」とはじめはドキドキでした。

しかし海でも、バスでも、レストランでも、スーパーマーケットでも、我が子の相手をしてもらえる様子を見て、今では心から安心して我が子たちを差し出しています笑。

そんな幸福度ナンバー1のフィジーで約1年間生活した後、自分自身すごく変わっているかもしれないし全く変わっていないかもしれないですが笑

日本人では考えられない、枠外の価値観を仕入れに行ってきます。

理由その3 英語への抵抗をなくしたい

ビーチではしゃぐ6歳息子

そのままです笑。

私たち31歳夫婦・6歳2歳0歳の子どもたちは、英語が不可欠になってきます。

Google翻訳の進歩で英語の壁は低くなりましたが、

世界的に言葉の壁が低くなることによって、英語がハブ言語となるので逆に英語の必要性が高まる可能性も出てきています。

また、人と人との直接的なコミニケーションなど人生を楽しむという観点で身に着けておくに越したことはありません。

テクノロジーの進歩で英語を話さなくても生きていけるけど、英語を話せればより充実した人生を歩めるよねということです。

そのため、今のタイミングで英語への抵抗感をなくしておこうと考えています。

独身時代であれば、英語留学や海外転職などの選択が可能でした。

しかし、家庭を持って子ども3人がいる状況では中々厳しいところ。

教育のために子ども海外のインターナショナルスクールに入れるということも流行っていますが、居住費・インターナショナルスクールの費用であったり、それを捻出するために父親は日本で働かなければいけないので家族ちりじり...など頭を悩ませる項目多数です。

"育休移住"は、私たち子育て世代の課題が解決できる選択肢の1つだと考えています。

こんな選択肢があれば、『結婚はコスパが悪い』とか『子どもが生まれると自分のやりたいことが出来なくなる』という答えも変化してくるはず。

育休移住は世界各国で前代未聞

このように考えると良いこと尽くめではないでしょうか。

ついでに、南の島でのんびり暮らすって夢も叶えられてしまいます!

ちなみに、保育園のパパ友(イタリア人)に育休移住の話をしたら、『そんなのはイタリアでも聞いたことがない』とのこと笑。

フィジーに来てからも、フィジー・ニュージーランド・バヌアツ・イギリス・ドイツ・フィリピン・韓国・中国...様々な方々に私たちの状況を説明しましたが驚いて、ありがたいことに多くの方々が応援してくださいます。

つまり、男性が一年間育児休業を取得して、家族でフィジーに移住するというのは世界でも前代未聞!
男性会社員が一年間の育児休業が取れること自体、恵まれすぎていると理解しています。

しかも、私の場合は、社長がものすごく乗り気でまず初めに応援してくれたという異例中の異例。

(追い出したかったんじゃないの?というのはなしにしてください笑。)

一緒に仕事をしていた同僚も家族でフィジーに遊びに来てくださいました。

ですので、一年間の育児休業の取得も、その期間にフィジーに育休移住することも全く後ろめたさがありません。

だから、たまたま恵まれた立場にいる私が前例主義の日本に前例を作っていけば、"社会の当たり前"も少しずつ広がっていくのではないかと考えています。

忘れ物はプライドだけ。

引き続き、家族一同、フィジーで思いっきり楽しんできます!


吉田沙保里がレスリング引退を表明「33年間の選手生活に区切り」 五輪3連覇の偉業

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吉田沙保里選手

レスリングの吉田沙保里選手が、33年間の現役生活に幕を閉じることになった。 自身のTwitterで1月8日に報告した。

吉田選手は、「ここまで長い間、現役選手として頑張ってこれたのも沢山の方々の応援とサポートのおかげです」と、支えてくれた人たちに感謝をつづった。

これまでに獲得したオリンピックや世界選手権のものとみられるメダルの写真を投稿。輝く17つのメダルは、吉田選手の偉業を表している。

吉田選手は続くツイートで、「改めてみなさんの前で引退のご報告と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います」とつづっている。朝日新聞デジタルによると、10日に記者会見を開くという。

五輪3連覇。世界大会13連覇でギネス世界記録

吉田選手は、元レスリング全日本王者・吉田栄勝さんを父に持ち、3歳でレスリングを始めた。

そこから33年、第一戦で華々しい活躍を続けてきた。2004年のアテネ五輪55キロ級で初の金メダルに輝くと、続く2008年の北京五輪、2012年ロンドン五輪と3連覇を飾り、レスリング界の歴史に名を刻んだ。

世界選手権では、2002年の55キロ級での初出場でいきなり優勝。通算13連覇の偉業を成し遂げた。朝日新聞によると、2012年には、世界大会13連覇でギネス世界記録に認定された。同じ年には、国民栄誉賞を受賞した。

新聞・テレビ、背水の陣 ~2019年を占う~【メディア】

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Youtube Peliculas Movie Netflix Video Digital

安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)

「編集長の眼」

【まとめ】

・新聞の凋落歯止めかからず。ネットメディア好調。
・インターネット広告費がテレビ広告費抜くのは時間の問題

・NHKがテレビ番組のインターネット常時同時配信に動き出す。

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されないことがあります。その場合は、Japan In-depthのサイトでお読みください。】


1年前、「2018年を占う」特集で私は、「ウェブメディア猛攻 新聞の漂流止まず」と題する記事を寄稿した。その中で私は、

・新聞はアーカイブと人材を利活用できておらず、人材流出に歯止めかからず。

・読者が本当に知りたい情報を報じておらず、ウェブメディアの猛攻を許している。

と書いた。

■ 新聞

確かに2018年、新聞は凋落の一途だったと言えよう。一般紙の発行部数推移を見てみよう。部数減に歯止めがかからなっていないのが一目瞭然だ。

一般紙発行部数推移

出典)一般社団法人日本新聞協会資料より作成

確かに紙の新聞を読んでいる人は減った。というか、通勤電車の中でほとんど見かけなくなった。スマホやタブレットで読んでいる人はいるかもしれない。

日本経済新聞電子版の登録会員は400万人を超えた(日本経済新聞調べ)。そのうち筆者のような有料会員は60万人超だという。しかし、この10年で発行部数は約880万部、2割も減ったのだ。

新聞広告費に至っては、2005年に1兆377億円あったものが、2017年には5147億円と、13年間で実に半減しているのだ。(日本新聞協会調べ)その分、インターネット広告に流れているのは言うまでもない。

日本経済新聞の電子版は紙の新聞と一緒に申し込む日経Wプラン(宅配 + 電子版)で月5900円(税込み)だ(朝・夕刊セット版地域:宅配4,900円 + 電子版1,000円)。これは結構な出費だ。ビジネスマンの多くは日経を読んでいるだろう。

仕事で新聞から情報を得る必要がある我々ジャーナリストでも、日経以外の電子版を契約するのはハードルが高い。どの新聞社も苦戦しているに違いないが、こればかりはどうしようもない。

多くの人は無料ニュースアプリで記事を大体は読んでしまっている。それに見合う価値がなければ人はお金を払おうとは思わないのだ。

なにしろ可処分時間は限られている。通勤、通学の時間はNetflixなどで動画を見たり、ゲームをしたり、友達とLINEしたり、Instagramに投稿したりしなくてはいけない。

特に動画配信サービスはほとんどが有料であり、月額数百円から千数百円払っている。それにスマホの月々の支払いもばかにならないはずだ。お金を払って新聞を購読しようという人が減る訳だ。

イメージ

出典)Max Pixel (Public Domain)

しかし、ビジネスパーソンが情報を必要としていない訳ではもちろんない。

経済ニュースに特化した新興ウェブメディアNewsPicksは、だれでも気軽にコメントを投稿できるだけでなく、各分野の専門家のコメントを読むことが出来ることが受けて、今やユーザー数は300万人超、月額1500円の有料会員も8万人を突破した(2018年9月現在:2018年第3四半期決算資料による)。

必要なものにはお金を惜しまないのはデジタルネイティブだけだと思ったら大間違いだ。新聞にはない価値があると認めたら、有料でもちゃんとウェブメディアにお金を払う人がいることが証明されている。

新聞は紙面のみならず、ネット戦略でも大きく発想を変えない限り、ジリ貧の状況は続くだろう。

又、新聞や雑誌出身の編集長を擁するウェブメディア、ハフィントンポスト日本版や、BuzzFeed JapanBUSINESS INSIDER JAPANや調査報道NGOのワセダクロニクルなども独自の視点で記事を編成しており、存在意義を高めつつある。

新聞各社に危機感が見られないのが気にかかる。

■ テレビ

ではテレビ業界はどうだろうか?こちらも停滞しているといっていいだろう。

総務省の情報通信白書を見てみよう。細かくて恐縮だが、要は、全年代でリアルタイム視聴時間(平日)は2013年から2017年の4年間で168.3分から159.4分と、減少傾向だ。率にしてマイナス5%である。

しかし年代別に見てみると60代の減少率がマイナス約1.6%なのに対し、10代、20代はマイナス約28%。若い世代ほどリアルタイムでテレビを見ていないということになる。

しかもその視聴時間を比較してみると、60代が252.9分(4時間12.9分)に比べ、20代は91.8分(1時間31.3分)、10代は73.3分(1時間10.3分)である(2017年)。若者は60代の3割程度の時間しかテレビを見ていないということだ。

だからといって10代、20代がテレビを見ていないというわけではなく、録画やネット配信で見ていることも多い。

「主なメディアの利用時間と行為者率」

出典) 総務省「情報通信白書平成30年度」

広告主もそれを分かっているからマスに訴えるテレビという媒体の価値を無視はできない。業種にもよるがゲームなどを主力とするIT企業などはテレビCMの効果を肌で感じているだろう。CMを頻繁に打っている。

CM枠に限りがあることもあるが、地上波テレビの広告費は、2015年1兆8088億円、2016年1兆8374億円、2017年1兆8178億円、とここのところ横ばいである。増えもしないが減りもしないといった状況が続いている。

一方、インターネット広告費はどうかというと、2015年1兆1594億円、2016年1兆3100億円(対前年比プラス約13%)、2017年1兆5094億円(対前年比プラス約15%)と2ケタ成長が続いている(参考:電通「2017年日本の広告費」)。矢野経済研究所は、2020年に2兆円の大台に乗せ、2021年には約2.4兆円に拡大すると予測する。

テレビ広告費を抜くのも時間の問題だろう。

こうした状況でテレビ局はどんな手を打っているのかとみると、今のところテレビ朝日のAbemaTV以外見るべきものはない。テレビ朝日とサイバーエージェントが2016年4月に開局したネット放送局AbemaTVは、2年半でアプリ3400万ダウンロードを達成している。

地上波では放送出来ないようなテーマを取り上げて、ネットならではのゲストがスタジオでじっくり討論する番組や、中高生をターゲットにしたオリジナルドラマなどを制作し、スマホで手軽に視聴できることも手伝って10代から30代のユーザーに支持されている。

その収益モデルは地上波と同じ広告と月額課金960円の「Abemaプレミアム」の2つだ。今のところ競合は見当たらず独走状態であるが、現段階ではまだ投資が収益を上回っており、今後の事業展開がどうなるか注目される。

■ NHKのネット常時同時配信

そうした中、2019年はいよいよNHKのネット同時配信が本格化する。NHKは既に2015年4月施行の改正放送法に基づき、「インターネット実施基準」に則って、インターネット同時配信を行っている。

具体的には、災害時の緊急ニュースの提供やスポーツ番組などだ。NHK杯フィギュアやリオデジャネイロオリンピック、ピョンチャンオリンピック等も配信された。

それ以外にNHKが重要だと思われるニュースも同時配信されている。例えば、アメリカ中間選挙や、自民党総裁選などだ。どの番組が同時配信されたかNHKはHPで公表している。

一視聴者としては、スマホでニュースの同時配信が視聴できるのは極めて便利だ。移動中でも情報が得られるのは歓迎すべきことだろう。

特に災害情報は停電時などテレビが映らない時にスマホで情報が得られるメリットは大きいと感じる。

こうした中、NHKがいよいよテレビ番組のインターネット常時同時配信に動き出す。そのために必要な放送法改正案が今年の通常国会に提出される見通しなのだ。

NHKは2020年夏の東京オリンピック・パラリンピックまでになんとか常時同時配信を始めたい考えのようだ。その為だけではないだろうが、NHKは2018年11月27日に2020年度までに今年度受信料収入見込み約7060億円の約4.5%相当を値下げすると発表している。

NHK放送センター 東京都渋谷区

出典)Photo by Rs1421 (Public Domain)

そもそも受信料が増え続けていている中で、受信料の値下げ問題はずっとくすぶっていた。ここにきてようやくという感じだが、それはともかく、NHKのネット常時同時配信の持つインパクトは大きい。

特に民放連(一般社団法人民間放送連盟)は民業圧迫としてこれに反対してきた。2018年10月には以下の8項目の要望書を出している。

(1)事業ごとに資産を管理(区分経理:注1)しネット活用業務を見える化すること

(2)ネット活用業務の予算は受信料収入の2.5%を上限とすること

(3)常時同時配信の地域制御

(4)ネット配信事業での民放事業者・NHKの連携

(5)外部監査の強化による事後チェック体制の充実

(6)関連団体への業務受託の透明性向上、子会社の在り方などの見直し

(7)衛星波の整理・削減を含む事業規模の適正化

(8)受信料体系・水準などの見直し

確かに民放のネット同時配信は進んでいない。

2015年に在京民放5社が始めた公式テレビポータルアプリ「TVer(ティーバー)」があるが、あくまで見逃し配信が主だ。2018年には、在京民放5社(日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビジョン)が、「TVer」で各局の地上波放送番組をインターネット同時配信する技術実証を実施した。

が、技術実証と言っているくらいだから、NHKに比べて大分後ろ向きの感がある。

このままではNHKが独走状態になってしまうのではないか。それは決していいことではないだろう。

NHKの肥大化につながるし、そもそもNHKは不祥事のデパートとの汚名を払しょくできているのか、ガバナンスの問題がどうなっているのか気になる視聴者は多かろう。

また、受信料の問題も議論は尽くされていない。ちょっと値下げしたから常時同時配信いいよね、だって便利でしょ?というわけにはいかない。

番組の質の問題もある。最近のNHKは民放ばりの情報番組やバラエティまがいの番組がやたら目に付く。

民放と同じような番組を視聴者は果たして期待しているのだろうか?また、報道番組は政権に忖度せず公平公正な立場で制作されているのか?そんな声にも真摯に耳を傾けるべきだろう。

一方で、民放連のこうした要望の裏には、ネット同時配信が地方局の存在意義を揺るがしかねないとの懸念がある。

地方局は全国ネット番組と自社制作のローカル番組で得た視聴率を基に、CMを販売して収入を得ている。ネット同時配信を解禁することはこうした民放テレビ局と地方局とのネットワークを壊すことにつながることを民放連は懸念している。

しかし、それも10年以上前から議論されてきたこと。ことここにきて、もはや同時配信の流れは止めようもない。視聴者はほっておけばどんどんオーバーザトップ(OTT)サービス(注2)に流れて行ってしまう。

実際筆者は地上波テレビやBSテレビの番組より、OTTの動画サービスを見ている時間の方が圧倒的に多い。

イメージ

出典)Max Pixel (Public Domain)

このし烈なサバイバルゲームの中で、テレビ各局はどのような勝ち残り戦略を立てるのだろうか。2019年はその最後のチャンスとなるだろう。

注1)区分経理

放送事業と切り離して費用を透明化し会計監査の対象にすること。

注2)OTT(オーバーザトップ)

インターネット回線を通じて、メッセージや音声、動画コンテンツなどを提供する通信事業者以外の企業。YouTubeやHulu、Netflix、SkypeやLINE、TwitterやFacebookなど。

昭和四十年男の必需品、最後発FM誌『FMステーション』開局【創刊号ブログ#7 前編】

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最盛期には50万部を記録したFM誌

「FM誌」という雑誌カテゴリーがかつて存在したことを知る世代は、現在40代以上の方々だろう。ここでは私が会社員として「編集者」だった最後の雑誌、『FMステーション』を取り上げる。

ラジオのAMとFMという変調方式の差異によりかつて、AMはトーク、FMは音楽という暗黙の棲み分けがなされていた。

よって「深夜ラジオ」という冠は、かの「オールナイトニッポン」のようにAMのトーク番組にこそふさわしく、FMには無縁の形容詞だったとして過言ではなかろう。

FMではいつも音楽が流れ、懐のさみしい中高生は自身の好きな音楽を、このFMを介して探し、時として手に入れていた。

「手に入れる」際に必要だったのが「FM誌」。

FM誌にはFMラジオの番組表が掲載され、自身の好きなミュージシャン、好きな曲が「何月何日の何時から」オンエアされるかが、可能な限り記されていた。

よってラジカセだろうがコンポだろうが、お目当ての時間に設定し、好みの音源を録音したものだ。

当時の録音「媒体」と言えば、当然「カセットテープ」。「オープン・リールテープ」から格段に進化したとは言え、脆弱な「磁気テープ」に書き込むシステムだ。

フロッピー・ディスクもMDもない、ましてやDVD-ROMやハードディスクなど、少なくとも一般家庭には存在しなかった。「クラウドに保存」など、間違いなく近未来的なソリューションだ。

そんな録音の船頭であるFM誌の最後発『FMステーション』が、ダイヤモンド社から創刊されたのは1981年7月6日。発行人は坪内嘉雄、編集人は高橋直宏。

同誌は同社の自動車誌『CAR&DRIVER(カードラ)』姉妹版として同年3月にプレ創刊号をリリース、この6月に本格創刊となった。

FM誌はすでに共同通信社から『FMfan』、小学館から『FMレコパル』、音楽之友社から『週刊FM』が先行発売されていた。

正式誌名が長いのでそれぞれ「エフステ」、「ファン」、「エフレコ」、「シュウエフ」と略称されていた。なぜか「ファン」だけFMの呼称がつかない。

『エフステ』は創刊から一年ほど赤字続きで「いよいよ休刊か」という憂き目もあったらしい。

しかしその後、神風が吹いたごとく売上を伸ばし、雑誌業界では珍しいことに、最後発の同誌が最盛期には50万部を記録。もっとも名を売ったFM誌となった。

これにはいくつかの理由があろう。

最大の理由は判型。それまですべてB4サイズだったFM誌においてA4サイズでリリース。最大の売りだった「番組表」が他誌と比べ圧倒的に見やすかった。

さらに米音楽チャート誌『キャッシュ・ボックス』と提携したことにより、洋楽全盛だった当時の風を呼び込んだ。加えて表紙には鈴木英人のイラストを起用、「垢抜けた」デザインは物珍しかった。

実際、当時高校1年生だった私はそれまでのダサいFM誌に比べ、「自分たち若い世代に向けた雑誌だ」と感じた。発売日と同時に本屋に足を運び、同誌をゲット。

帰宅後、蛍光ペンで気になる番組をマーカーし、カセットテープに録音した。時代の流れとともに大部分を破棄したが、今でも100本ほどのカセットが残されている。

鈴木英人の手による創刊号の表紙は、シーナ・イーストン。スコットランド出身の彼女は1980年にデビュー。81年6月、アルバム『モダン・ガール』がオリコン洋楽チャートで1位となった、まさに旬のシンガーだった。

英人のイラストを切り抜き用カセットレーベルとして付録に挿入、これが人気を博し、英人のイラストは同誌の顔となる。このカセットレーベル入りのテープが自宅に残されているという40代以上はけっこうな人数に登るに違いない。

創刊前、英人はまだ無名に近かったらしく、「カードラ」の表紙イラストを担当していた小森誠の推薦だった。

誌名も物議を醸し出したという。

昭和な当時は「ステーション=駅」という固定概念があり「FMステーションって、鉄道雑誌?」と揶揄されたらしい。私の入社当時、編集長を務めていた恩藏茂によると「ステーションという言葉をメジャーにしたのは『FMステーション』」とのこと。

「FM局」という意の誌名にそれほどの創意工夫が見られるとも思わないが、時代の流れとはそんなものなのだろう。

TV番組「ニュース・ステーション」、「ミュージック・ステーション」などのネーミングも「エフステ」ありきだったとか。同誌がなかったなら現在の「報道ステーション」も存在しなかったのだろうか...うーん、はて、いかに。

創刊当時は「オーディオ」の全盛期。表2にはTORIOKT900とKT1000というラジオ・チューナーの広告がドーンと見開きになっている。「チューナー」なんて言葉を、今の若者は知らんのではないだろうか。そして女性誌でもないのにこうした広告が8ページまで続く。広告局の大盤振る舞い...だろうか。

目次は右半ページに無意味に小森誠のイラストが掲載されている。ここに着目した読者は皆無だったに違いない。

巻頭は「本誌独占●海外取材喜多郎のエジプト・イメージ紀行」でスタート。独占取材のわりには、書き手が朝日新聞記者であったりする点はご愛嬌。それにしてもエジプト取材からスタートとは、創刊当時のエフステは豪奢だったのだ。

「栄光のオールディーズ大特集」は残念ながら高校生にとってはどうでもよかった。1955年からのポップスの年表が掲載されているが、今の若者が過去の音楽に興味を持たないよう、当時の高校生にとってはそんな古びた音楽に意味はなかった。

私は、これを勝手にビートルズ世代の恩藏の企画だと思いこんでいる。当初、売れ行きが悪かったというのも頷ける。

私が入社した当時も続いていた「WHO'SWHO」では、ノーランズ、ドゥービー・ブラザーズ、アバ、三原順子、クリスタルキングなどを取り上げている。確かにジャンルにこだわる様子はない。

オーディオ・コーナーは「森本哲郎のサウンド教室」として連載エッセイとなっていた。朝日新聞の編集委員まで務めた評論家の森本が、オーディオ解説にまで手をつけていたとは、すっかり忘れていた。私の『週刊宝石』丁稚時代、氏を取材する機会に恵まれた過去も、もはや思い出だ。

中綴じのセンターにはFM誌の「肝」=「2週間FM番組表」が割り当てられている。創刊号では、まだ雑誌を傷物にしたくなかったらしく、私の所持品に蛍光ペンの痕はない。

番組表は本誌のページ数にはカウントされておらず、別冊扱い。その最後には『キャッシュボックス』誌のアルバム・トップ100が転載されている。

1981年6月13日付のランキングは、1位「禁じられた夜(HIINFIDELITY)」REOスピードワゴン、2位「パラダイス・シアター(ParadiseTheater)」スティックス、3位「悪事と地獄(DirtyDeedsDoneDirtCheap)」AC/DC。

以下、キム・カーンズ、スティーブ・ウインウッド、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ、ヴァン・ヘイレン、ケニー・ロジャース、グローバー・ワシントン・ジュニア、ラッシュ...がベスト10。

11位には、前年射殺されたジョン・レノンが顔を見せている。

さらにオリコンのアルバムチャートも掲載。

1位から「リフレクションズ」寺尾聰、「時代をこえて」松山千春、「グレイテスト・ヒッツ」アラベスク、「シルエット」松田聖子、「ロング・バケイション」大滝詠一...時代を感じない者はないだろう。

69ページの編集後記には、キャッシュ・ボックス社長のジョージ・アルバートが祝辞を寄せている。

おっと、そもそも現在の若い層には、キャッシュ・ボックスの解説が必要だ。同誌は、1942年7月にアメリカで創刊されたチャート・マガジン。毎週、すべてのジャンルを総合的にランク付けし、発表していた。

エフステ創刊時、日本では同誌の扱いがなく、そこに着目したエフステは素晴らしかった。しかし、CB誌も時代の波により1996年11月16日号をもって休刊。当時ニューヨークに住んでいた私もその時の衝撃を記憶している。

現在のWEB情報社会となって以来、2006年にはオンラインマガジンとして再生。21世紀の現在も、楽曲をランク付けし続けている。

エフステの編集後記は「ミキシング・ルーム」と命名されており、創刊から9年後には、毎号私のコメントも掲載されることになる。この影響ではないと思いたいが、編集後記がない雑誌は「半人前」という意識が私には植え付けられ、今日でもそう刷り込まれたままだ。

表4は「ハーマン・カードン・ジャパン株式会社」のパワーアンプの広告。「パワーアンプ」なんて言葉を知る10代が現在、どれほど存在するだろうか。

表3には「AUREX(オーレックス)」のミニコンポの広告が見開きで。東芝の別ブランドだったオーレックスなんて「消滅して久しいなぁ...」と考えていたところ、なんと2016年に復活を遂げたのだという。

創刊号だけではなく、こうして過去の雑誌に目を通すだけで、時代の変遷が理解できるだけに、なかなか止められない。創刊号マニアとは、かっぱえびせんみたいなものである。

自身が勤めていただけに、思いの外、長いブログになってしまった。

続きは【後編】で

自信を持って向上心を放棄しよう。36年後の合格報告が私に教えてくれたこと

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business people handshaking

高度1万メートルから目薬が命中するようなご縁がありました。

インド・グルガオンで偶然、出会った機械メーカー現地法人社長イマイさんが、20年来の盟友ガクさんの高校同級生と分かったのです。

自賛しますが私のファインプレーです。岐阜出身、55歳というだけでつなげたのですから。

「〈首都を東京から東濃に〉っていうキャッチフレーズがあって、いまでも19号線の土岐の下りのカーブに巨大な看板があって...」。

あれ、どこかで聞いたな。イマイさんの故郷への自虐を込めた物言いが、新聞社時代の同僚ガクさんとかぶりました。

「岐阜のどちらですか」。返ってきた地名は「瑞浪」でした。

あ、ガクさんと同じ(多治見)じゃない。おまけに私が元朝日記者と言っても「あ、ボクの同級生にもいて...」といった反応はありませんでした。

なら、違うか。

それにしてもイマイさんの会話の引き出しは深く、広かった。武者小路実篤を語ったかと思えば結界の話になり、少女マンガまで転がりました。

翌日の昼休み、Facebookで検索しました。出身高校にピンと来ました。「多治見北」。ガクさんと同じだ。ビンゴでした。

あとでガクさんに言われました。「タダチャンには言ってたよ、同級生がインドにいるって」。ああそう言えば、と思い出しました。

でも私も連絡先を聞こうとしませんでした。ガクさんの口調から近しさを感じなかったから。

「12月29日午後6時、ナナちゃん人形の前で会おうね」。2人は名古屋で約束をしました。36年ぶりです。

会うまでの1カ月で2人の関係が分かりました。

ガクさんいわく「けっこう親しかった」。家にイマイ君が泊まりに来たこと、浪人して迎えた慶応受験時、現役で入ったイマイ君の東京の下宿に泊めてもらったこと。

けっこう、なんて控えめに言う理由はあとから知るのですが、それほどの仲なのに36年間、音信不通だった。「そんなもの」かもしれないけれど...。

どうしてガクさんはイマイ君がインド駐在と知っていたのだろう。知っていたのになぜコンタクトしなかったんだろう。私には伝えていたのに。

邪魔かな、でも見たい。元同僚ヤッシーも誘って36年ぶりの再会に乱入しました。私も一時帰国中でした。12月29日、滞在先の福岡から名古屋に向かいました。

「よう」。ガクさんはトレードマークの帽子を外し、琵琶を弾くナナちゃんの前で手を出しました。着ぶくれしたイマイ君がニコニコと握ります。

えー、それだけー。後ろから叫びました。36年ぶりはあっけなかった。

「で、うかったの」。歩きながらイマイ君が訊きました。下宿に泊めてもらっておきながら、合格を伝えていなかったのです。「きょうは合格報告の会だったんですね、36年後の」。ヤッシーが言いました。

高校時代の話は痛快でした。

授業をサボって高橋惠子の映画を観に行ったこと。柔道では黒帯の小兵ガクさんが身長差18cmのイマイ君を投げ飛ばして勝ったこと。クラスで制作した映画の監督をイマイ君が務めたこと。ガクさんは映画の冒頭、梶井基次郎の小説「檸檬」をモチーフに、レモンを放りながら登場したこと...。

肝心なのは「あんじゃらすか」というグループがあったことです。東濃弁で「どんまい」「たいしたことない、気にするな」といった意味で、自他共に目立つ存在だったそうです。

「イマイは<あんじゃらすか>に近かった」。ガクさんが言いました。クラスで制作した映画の監督を務め、学級委員長で、花形のハンドボール部だったから。

イマイ君がインドにいることは友人からの情報ではなく、単にFacebookで調べて知っていたそうです。じゃあ友達申請すればいいのに。

「いやあ、まあ...」。自分でも分からないふうでした。「いつかタダチャンとつながるだろうと」。デリー・グルガオン界隈に住む日本人は5000人、かなりの楽観です。その通りにはなったのですが。

イマイ君はイマイ君で、ガクさんを気に留めていなかったのかもしれません。何せ「あんじゃらすか」ですから。記者になったとは知っていたようでしたが。

なぜイマイ君に合格を話さなかったのか。下宿に泊めてもらっておいて。さんざん問い詰めたせいでしょう。

翌日、長文が届きました。自分の高校時代も重なって、いとおしさで胸が熱くなりました。

合格を話さなかったのは、もしかしたら高校時代の居心地の悪さを早く忘れて、記憶を一新したかったからかも。

36年ぶりに会って、やっぱりイマイは大きかった。背格好はもっと大きかった記憶だったけど、中身はよりスケールアップしていて、うれしかった。高校当時、ボクはイマイにものすごくコンプレックスを抱いていたんだ。

やっぱりね、多治見北で出会った同級生の中でも、イマイはすべてをひっくるめて1番「大きかった」からね。映画監督だったし。そしてコンプレックスを抱く自分を認められなかった。

相変わらずイマイにはかなわんなあと思うけれど、昔はイマイと比べて自分の器の小ささに自己嫌悪に陥るところもあった。

でもさすがにもう自分の器の小ささは受け入れた。もともと持っているものが違うんだから、しゃあないよねって。

要は向上心を失ったのだけれど、失って楽になった。オレはオレでいいんだな、と自信を持って向上心を放棄できたのは、タダチャンたちがガクさんはいまのままでいいんだよ、と絶えず言ってくれたから。

大学・社会人時代は、もう自分の周囲は自分にはかなわない人だらけ。でも自分がかなわないと思う人が案外、自分のこともどこかで認めてくれているみたいで、いちいちコンプレックスを気にしてたらキリがないということを36年間で覚えたのかな。相当に肩の力は抜けたな。

36年前の自分に「お前、そんなに肩ひじ張っていたら疲れるぞ。お前なんか大したことないんだから肩の力を抜いていけよ」と言ってやりたい。

高校時代のイマイはとりわけ大きくてね、ボクだけじゃなくみんなそう思ってたんじゃないかな。タダチャンは1カ月前に出会ったばかりだけど、何となく片鱗は感じてもらえると思うんだ。

そんなイマイと並んでほめてもらえるようになった。感無量というか。人生は奥深いねえ。

グッときました。

ガク少年にとってイマイ少年はとても大きくて、仲良くし(てもらい)つつもコンプレックスがあり、かなわない相手だった。36年ぶりに再会したイマイ君はさらにスケールアップしていた。

うれしかった、そしてやっぱりかなわない相手だと思った。でもそれを受け入れられた自分もやるじゃん、と思った...。

「あんじゃらすか」な人たち、私の高校時代にも確かにいました。キラキラしていて手の届かない系です。

「イマイ君」はキラキラしつつも、異彩を放つガクさんのよさに気づき、一目置いていた。私には「イマイ君」はいなくて、ただの地味な子でした。

「同じ高校生なんだからそんなに劣等感を持つことはないよ」と、いまなら30年前の私に言えるのに。そしていまだに、ないもの探しをしてしまう。

私も自信を持って向上心を放棄しよう。自分を否定するのはやめよう。無名の知の巨人で、森羅万象を語り合えるガクさんが大丈夫だよ、と言ってくれるのだから。自然体でいこう。

「いやいや私なんか」というのは、大好きな人の言葉をはねつけることになってしまうから。

やはり人生には2つある。性別を超えた友のある人生と、そうでない人生。わたしは前者で本当によかった。人生の滋味を新年早々、かみしめています。

北朝鮮と「コモンズ」共有経済: 新種国家の為の白紙状態なのか?

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新たに浮上する北朝鮮は、持続可能かつ協力的な経済及び社会発展の新たな基準を国際社会に提供することができるだろうか? 地政学的変化と新しい技術のお陰で、共有経済「コモンズ」の考え方は益々実現可能なものに見える。南北の関係が急速度に変わりつつあるため、緊急な問題はもはや次の段階の和解プロセスのにあるのではなく、政治的、経済的及び文化的認識に向かっている。

新しい概念と技術で「隠遁の王国」の制度変容のドアが開きつつある。政府に対する新しいアプローチと新しいインフラ構築は、他の諸国が北朝鮮をモデルとすることができる刺激的な実験になるであろう。

朝鮮半島は未来が期待される発展の中にあるが、メディアの報道によると、多国籍の諸企業が北朝鮮の豊富な鉱物資源の開発と廉価な労働力を搾取し、迅速な富を創出する抽出的経済を計画しているという。

この利益は、貧困な北朝鮮の住民たちに入る訳ではなく、国際的投資家たちに利益をもたらすであろう。 これは戦後のイラクが見せた青写真と同じように、ウォールストリートやそれと類似した日本や中国の投資家たちが北朝鮮経済開発に関与することを示唆している。

しかし、北朝鮮は停滞と貧困をもたらした北朝鮮労働党の後進的な経済政策に従う必要もなく、グローバル投資銀行と彼らがファンディングしたコンサルティング会社によって運営される消費主義的な新自由主義的「開発」 政策を受け容れる必要もない。

ここに代案が存在する。北朝鮮が現状の腐敗政治経済も、国際投資銀行が夢で見ている汚くて搾取的な「成長」も、拒否しながらも依然として持続可能な経済的、政治的成功を達成する第三の道がある。

21世紀のコモンズを受容

北朝鮮の為の「第三の道」とは即ち協力的な経済と社会である。これは、P2P(ピアツーピア)システムとコモンズ基盤の生産物 (例えばLinuxやWikipedia)によって可能になる教育、政治、製造、経済における新しいグローバルコモンズを受け容れることを意味する。本質的に北朝鮮はゼロから始めるため、他の所で行われたよりももっと包括的な方式でブロックチェーン(block-chain)やホログラフィック・インといった「検証インターネット」を採用することができる。

社会主義経済が存在するという前提下では、このような経済革新が共有され試されるだろうし、意思決定プロセスは社会全体に分散されて権威主義政治を避けることが出来るであろうし、コミュニティが優先順位を設定できるように権限を付与されるであろう。

このようなアプローチは北朝鮮が国際金融の指示に従わなくとも国際化から利益を得ることができるようにしてくれるであろう。アムステルダムの P2P財団とソウルのコモンズ財団(Commons Foundation)は搾取的かつ抽出的市場経済に対する実行可能な代案である共有経済の為の具体的な提案を提示した。

韓国を始め世界の仲間たちと連結させるグローバルP2P 経済に北朝鮮の住民たちを包含させることによって、北朝鮮は自らの住民に力を与えることができる。そうして国家やウォールストリートの統制を受けずして、コモンズ基盤のマイクロ生産を通して彼らは潜在力を実現することができる。北朝鮮は廉価な労働力や廉価な鉱物資源で搾取される代わりに、資本ではなく人々によって支えられている肯定的なグローバリゼーションモデルを開発することができる。

要求される根本的な概念転換の例示を近代の韓国において見つけることができる。1910-45年の日帝植民地戦略はかつて韓国の村落で栄えていた相互支援コミュニティを破壊した。大部分の韓国人たちにとって彼らの土地と伝統的な生産手段を奪った日本の「エンクロージャー」行為と言える。

コモンズ財団創立者のチェ・ヨングァンは、コモンズが韓国において新しいアイデアではないとして、「郷村規約(郷約)は地域社会における役割を規定したが、絶対的な所有権を付与しませんでした。郷村規約は日本植民地時代に破壊されました。非人間的な競争から始まった不平等の深刻化とそれによる富の集中が始りました」と説明している。

コモンズは市民たちに焦点を合わせた共有経済を創出することによって、裕福な国々が建設的で非搾取的な方法によって開発途上国と協力することができるのかというテーマに対するモデルを提供することができる。さらにコモンズ経済は外国人投資や労働搾取に関するものではないため、国連の対北制裁に明示された経済的相互作用の標準モデルに該当しない。それゆえ現実的な希望の門戸を示してくれる。

西側のメディアは北朝鮮を奇怪で孤立した神秘な国として描いているが、最近の韓国との交渉は他の開発途上諸国と同じく、金融機関が支配する無慈悲な世界化秩序の中で自分の居場所を探し出す為に北朝鮮が孤軍奮闘していることを見せてくれた。筆者の提案する革新は特定の技術から構成されるのではなく、開放型プラットホームとして、北朝鮮が全世界の知識や技術、専門知識、金融資源にアプローチすることを可能にさせ、寡頭政治に陥ることなく経済的転換を成し遂げることを可能にする。

コモンズ 101:何をするのか

北朝鮮は現代技術がほとんどない一方で、他の諸国の文化を破壊した商業主義や消費主義もほとんどない。したがって、北朝鮮の出発点がゼロであるので、他の国では不可能な制度革新の為の前例の無い機会が存在する。

北朝鮮は全ての建物で太陽エネルギー発電の使用を義務化することができる。この製造は地域単位でのオープンソース革新を可能にする。そのサービスは仲介人なしに家庭間で共有される。また、地方自治体が他国の他の地方自治体と教育及び社会的交流の為の関係を結ぶことができるように許容しなければならない。

北朝鮮は地域経済自治を構築する手段として暗号通貨やクラウドファンディングを使用する地域協同組合を育成する革新的な金融システムを構築できるのみならず、クラウドファンディングの形式で外国人投資を許容したり全世界の支持者たちの少額投資を受け入れることができる。

北朝鮮は清掃機やノコギリから洗濯機や太陽光発電機に至るまで、全てのものをコミュニティに任せる共有経済に含ませることができる。全ての市民の貢献を認めるサービス交換(掃除や料理から児童と老人をケアする労働まで)プログラムを計画することができる。老人たちを若者達と、農民たちを都市住民たちと連結し、新しい文化的、経済的シナジーを創出することもできる。

地域農業とマイクロ製造業に根ざした共有経済のコモンズを導入することは、浪費と経済的格差を促進するのみならず、軍事的軋轢の主要要因でもあった、今日の東アジアの頭痛の種である持続不可能な過剰生産を減らすことにおいて必須である。

北朝鮮は良質の高速道路と自動車に対する依存性が少ない。したがって、輸送手段が全て電気で作動する交通手段が共有される都市、自動車に対する必要性を減らす都市を計画することが可能である。

北朝鮮の開放は健全なP2P 国際化モデルを構築できる貴重な機会となり得る。

コモンズ 101:どのようにするのか

韓国は同じ言語を共有しているだけでなく、P2P経済の強力な前例を確立しているため、重要な役割を果たすべきである。

韓国人は参加型政治に対する物凄い熱意を示してきており、その頂点と言うことができる2016 年の「ロウソク革命」では、数百万の市民たちが共に出て腐敗した政治の終焉を要求した。

ソウル市は4年前に市全域で共有経済の強力なプラットフォームを提供する地方の村を作るプログラムを始めた。また、この都市は最近、ソウル全域にブロックチェーンシステムを構築し、効果的に使用できる新しい世代の専門家を養成する為に 6千億円の予算を投入した。

北朝鮮は短期利益ではなく経済的・技術的変化の倫理的意味に焦点を置いたP2P 諮問委員会が必要である。韓国もこの役割をすることはできるが、新興経済が陥りかねない落とし穴を避ける方法について全世界から助言を求めることもまた重要である。

韓国鉱物資源公社によると、北朝鮮に6兆ドル規模の石炭やウラン、鉄、金、亜鉛及び稀土類鉱物(レアメタル)が大規模に埋蔵されていると言う。P2P諮問委員会の最初の勧告事項中の一つは、北朝鮮が開発の長期的な環境影響を評価できる充分な専門知識を保有するまで地下資源開発を凍結することになるかも知れない。

資源開発、交通インフラ構築、P2P 専門家ネットワークによる都市空間開発に関する全ての提案を検討することは重要な最初の歩みとなり得る。

北朝鮮は開放の初めの段階において過度の負債が生ずることを避けなければならない。投資家の短期収益を保障することを計画の要素としない政策を樹立するように委員会は助けることができ、資本逃避の危険がないように明確化することができる。ソ連崩壊の後に寡頭政治が浮上したのと北朝鮮の状況が類似していくのを防ぐ為に、人々はコミュニティ銀行を作って参加型資金調逹メカニズムを構築しなければならない。

北朝鮮が「先進国」産業化された世界に「追いつく」べき神秘的で閉鎖的で不可逆的な冷戦時代の残在である必要はない。むしろ北朝鮮はブロックチェーン技術、マイクロ製造業、持続可能なエネルギーインフラ及び国際化に対するP2P方式のような新しい時代、東北アジア及び世界を先導する刺激的な実験になり得る。

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この記事はLayne Hartsellと共同執筆しました。彼はP2P財団の構成員として倫理及び技術哲学に焦点を合わせています。また彼は Asia Instituteの技術コンバージェンス及び 3E(エネルギー、環境及び経済)プログラムの理事でもあります。

NGT48の山口真帆さん、命の危険を訴える「殺されてたら...」ファン2人が自宅に押しかけ

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山口真帆さん

アイドルグループNGT48の山口真帆さんが1月9日、命の危険を感じる被害にあったと訴え、波紋が広がっている。

NHKによると、ファンの男2人に新潟市内にある自宅に押しかけられ、顔をつかまれるなどの被害に遭っていたという。ファン2人は25歳の無職と男子大学生で、暴行の疑いで逮捕され、その後不起訴となり釈放されたという。

山口さんは1月9日ごろ、動画配信プラットフォーム「SHOWROOM」やTwitterなどで、この被害を示唆する発言や投稿をしていた。

山口さんはSHOWROOMの配信で「今回私は助かったから良かったけど、殺されてたらどうするんだろうと思う」と告白。詳細な内容は明かさなかったが、暴行事件についての発言とみられる。

「1カ月待ったけど、何も対処してくれなかった」と事務所側の対応に不満を表わし、「なんでこんな怖い目に合わないといけないの?」「生きてる感じがしない」と涙ながらに語った。

山口さんは、Twitterでも「ファンと繋がらなかったことが悪いの?」「(恋愛しない)ルールを守ってことがこのグループでは怖い目に合わないといけないのか」などと、悲痛な思いや不信感を訴えた。

山口さんは、1月6日に予定していた握手会への参加をキャンセル。翌日に投稿でファンへのお詫びツイートで、「笑ってアイドルができなくなったことが本当に悔しい」とつづり、心配の声が上がっていた。

ハフポスト日本版は所属事務所に問い合わせているが、電話が繋がらない状態になっている。

9日の帰り道、全国的に極寒に。防寒対策が必須

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1月9日帰宅時雨雪予想エリア図

2019/01/09 10:51 ウェザーニュース

今日9日(水)午後は冬型の気圧配置がピークを過ぎ、日本海側の雪や雨は小康状態となっていきます。

ただ、晴れる太平洋側も含めて気温がグッと下がり、帰り道は極寒です。

日本海側の雪は小康状態 足下には要注意

午後にかけて冬型の気圧配置は弱まるため、日本海側の雪や雨は弱まっていきます。夕方以降は止むところが増えてきそうです。

昨日から雪が多く積もったところでは路面状況が悪くなっていますので、お帰りの際も足下には十分、ご注意ください。

>>最新の雨雲・雪雲レーダー

帰り道は気温低く、体感は極寒

晴れている太平洋側も含め、全国的に昼間の気温が上がらず、夕方以降はさらに冷え込みが強まります。

帰宅時間帯は厳しい寒さのところが多くなりそうです。北よりの風もやや強めに吹きますので、手袋やマフラーなどを活用し、しっかり防寒をしておきましょう。

>>この先の天気と気温

沖縄はにわか雨も、傘の出番はなし

北東からの湿った風の影響ですっきりしない天気が続き、先島諸島を中心に雨がぱらつきそうです。

強く降ることはなく、傘なしでも問題ないくらいの雨です。

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化石化した韓国政治

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文在寅大統領が9月に平壌を訪れた際、最も印象的だったのは15万人もの平壌市民を動員した巨大な綾羅島メーデー・スタジアムで演説したことである。男女を問わず熱気に包まれた観衆の歓声は多少驚かされるものであったが、文大統領自身もこの熱烈な反応に高揚している様子がはっきりと窺えた。文大統領の述べる言葉のひとつひとつが観衆の歓声でより一層力強さを増したようだった。金正恩委員長について言及する場面では、文大統領と平壌市民はまるで「一体化」しているかのようにも見えた。確かに言えることは、本国の韓国では防弾少年団(BTS)やiKONのコンサートでなければ、このような熱狂的な観衆の姿は見られないということである。

文大統領にとってはとても感極まる瞬間だったことであろう。北朝鮮の演出ではあったが、むしろ、韓国でも支持層集めのために各界の重鎮の前で跪いてお辞儀する意味のない儀式が政治的パフォーマンスになっており、今や慣例になった政治的パフォーマンスは自分がいかに親しみやすい人物であるかを証明するための単なる手段でしかなく、世間の人々の注目を集めるためには全く面識がなくても、また、今後も決して顔を合わせることのない人たちとでも、気軽に一緒にポーズをとる、そんな政治的パフォーマンスはよく使われている。

しかし、文大統領の目に映っていた状況は違う意味のものである。スタジアムに集まった観衆は権力による支配の産物といえるもので、おそらくそう思われてもある程度は仕方がないことではあるが、観衆自体からはみなぎるパワーが感じられた。平凡な北朝鮮市民の政治への献身は単なる独裁政権の証だと一蹴してはならないと私は思っている。大規模な集会や完璧なマスゲームの裏には相当なショーマンシップや心理学的にもただならぬエネルギーが要されるのである。

韓国では今やそういった光景は昔話になってしまったといっても過言ではないだろう。もちろん、2016年に朴槿恵を政権から引きずりおろしたろうそくデモはまだ記憶に新しい。ろうそくデモはハイレベルな政治参加への文化をもたらし、朴槿恵政権を倒すという当初の目標からすれば、成功したといえる。しかし、朴槿恵政権の裏に潜んでいた制度的腐敗、韓国経済に大きな影響力を及ぼすようになり新たに浮上した海外投資銀行、トランプ政権への盲従的な支持や執着、イランと戦争しようとするアメリカ内のネオ・ファシズムに対しての完全沈黙、等の問題は全く改善されていない。文大統領は「ろうそく革命」で誕生した大統領としての神話が消えつつある。

韓国で政治が衰退してしまったのは、人間の経験に基づくファシズム的アプローチや過度な産業主義のせいである。暮らしのありとあらゆる面でサービスが有料提供されるようになった。健全でない文化が韓国の出生率をかつてないほどに低下させてしまい、それに加えて、最近ではイエメン難民への不満が一気に噴き出し、それが移民者への敵対心となった。

結果的に老衰してしまった社会は高齢者が政治をほぼ支配していることを意味している。実際、政財界で決定権を握っているのは70歳以上の男性である。この問題は富の集中によりさらに深刻になってしまった。ほとんどの若者は政治プロセスからは疎外されており、ごく一部の若者しか政治参加への強い意志は見られない。多くの若者は変化への希望を諦めてしまい、スターバックスでコーヒーを飲んだり、ゲームやポルノ等で現実逃避することしか興味を示さなくなってしまった。まさに政治が崩壊してしまったのである。

リベラリズムは80年代の民主化運動や2000年代初めの盧武鉉政権に影響を及ぼした勢いをほぼ失くしてしまった。とりわけ、目につくのはリベラル的な政治論争が狭い範囲のシンボル的問題に限定されてしまったことである。太平洋戦争当時、日本軍が性的虐待を行なった「慰安婦問題」については限りなく議論される一方で、今日、韓国人男性が行なっている移住女性への虐待について関心を示す者はほとんどいない。農民の生計を脅かす自由貿易についてはタブーなテーマになってしまった。

老年期を迎えたリベラル指導者のほとんどが80年代の「民主化運動」の追憶に浸ったままで、今日の労働階級の若者たちが直面している深刻な問題は把握していない。彼らはアメリカの民主党員と同様に、企業との緊密な協力よりは左派からの批判にしか関心を示さない。結局、年老いた指導者たちのほとんどが相当な資産の所有者であり、より公平な社会を作ることよりも自分の身内がよい大学に進学できることにしか余念がないのである。

ところで、つい最近、非常に影響力を持つリベラル系政治家が主催する本のサイン会に招かれた。その会場では今年53歳になる私が最年少参加者であるという事実に衝撃を受けた。絶滅した恐竜のアロサウルスやディメトロドンのように化石化した参加者たちは70、80年代の学生闘争の話を何時間も延々とした後に、その当時の歌を歌いあった。参加者たちは民主主義について語ったり、何人かの保守政治家に対しての批判は行なったが、熾烈な学歴競争社会が支配する悪夢のような世界で必死に生き残ろうと歯を食いしばっている普通の若者たちが直面する現実については一切口にしなかった。

一つ確かなことは、衰退してしまった経済のもとで日々塾通いや仕事に追われる韓国の若者たちはそのイベントについて何も知らなかったということである。しかし、もし、若者たちがそのイベントに招かれたとしても、有意義な時間を持てたと思う者は誰一人としていなかったであろう。

また、先月、リベラル系の書店で友人と一緒にコーヒーを飲む機会があった。その書店に陳列してあった韓国語の教育、経済、社会、文化関連の本はたいへんすばらしかった。書店の社長は現代社会について真剣に考えている知識人であった。しかし、年配の知識人が作った知識空間と現代社会で自分の道を見出そうと孤軍奮闘する一般人の間では埋められない溝があるように見受けられた。韓国各地のカフェやコンビニであくせくと働いている多くの若者は、リベラル系書店にある本を読むことで得られるものがあるはずである。おそらく最近の若者は読書習慣をあまり身に着けていないであろうが、本を読むことで現代社会でも真の価値を見出せることはできるであろう。

確かなことは、若者たちはリベラル系書店が存在することも知らず、書店に埋め尽くされている書籍をあまり身近に感じてないということである。残念ながら、若者たちは自分たちが置かれている大変な境遇への共感を歌謡曲の歌詞から見出そうとしている。よかれと思ってリベラル系書店を営んでいても、高等教育を受けた裕福な経営者には現代社会であくせくする人たちへの接近法はわからないのである。

私は韓国で過ごした11年4ヶ月の間、リベラルな非政府組織(NGO)で活動してきたが、どのNGOでも参加の文化が非常に薄れてきたので、活動からは全部身を引いた。そのNGOからは未だに会費の支払い請求があったり定例会議にも招待を受けたりするが、それ以外の行事には参加する機会もなく、私が積極的に参加して手助けできるものもなかった。会員資格がさほど重要でないことは明らかである。むしろ、定例会議にはリベラルの裕福な寄付者の方が必要に思えた。わかりやすく述べると、リベラルの寄付者はグリンピースの活動家がホッキョクグマを守るキャンペーンを展開するように自分の活動を見守るだけである。グリンピースはホッキョクグマに意見したり会員登録を要請したりすることはなく、リベラル団体は労働階級の人々には加入要請も行なわない。

私が最も力を入れてきたNGOは参与連帯なのだが、ソウルと大田の会員として活動してきた。当時、外国人を含む韓国内の全労働者を対象としたセミナーを開催して、労働者が求める事項についてはよりわかりやすくするべきだと主張してきた。私が求めたのはNGO事務所と参与連帯のホームページにイベントを公示することだけだった。しかし、私の提案は受け入れてもらえなかった。

ところで、4ヶ月前に参与連帯側から脱退理由を問う電話があった。私は理由も説明して、業務担当者に直接会ってもっと積極的に参加できる方法が話し合えたら、また喜んで参加する意志を伝えた。しかし、それに関しての回答は得られなかった。

ならば、韓国の保守主義者の状況はどうかというと、残念なことに、政治の化石化は保守陣営の方がもっと深刻である。光化門広場では保守陣営のデモが定期的に行なわれているのだが、このデモに参加しているのは韓国、アメリカ、イスラエルの国旗を手にする老人たちが大多数である。理由は定かではないが、保守政治家たちが日本との親密な軍事協力を推進しているにもかかわらず、日章旗を手にしている者は見当たらない。

こういった集会では反共、ドナルド・トランプ米大統領のキリスト教界への支援、朴槿恵元大統領の釈放、60、70年代の漢江の奇跡への賞賛、等が主なテーマになっている。デモの参加者の中には朴正煕元大統領の顔写真バッジをつけている老人もよく見かける。韓国が国際貿易依存度を高め、農業を軽視し、化学燃料の大量輸入を推し進めたのは朴正煕元大統領の決定的な大きな過ちだと思っているが、朴正煕元大統領の経済成長へのたゆまない推進力や公教育の整備については未だに大きな成果だと評価されることには理解ができる。

私が理解しがたいのは、一時、左翼の労働党で積極的な活動を行っていた老人たちが経済的自立を主要目標とした朴正煕元大統領と今日の保守政党は関連があると思っていることである。朴正煕元大統領ならば、今日の保守陣営が推進している食品やその他商品の輸入依存度を高めたり、外国の投資銀行が韓国経済を直接干渉できるようにしたとんでもない経済政策は決して認めなかったであろう。保守陣営はマッコーリー・グループのような狙った獲物は決して逃がさない海外金融機関に自国のインフラをやすやすと明け渡している。朴正煕元大統領ならば、社会間接資本施設に対する民間投資法(PPI)を推進したり、韓国経済の中枢を担ってきた自営業者たちが経営難に陥るのを傍観しなかったであろう。

今日の保守主義者は韓国の伝統を破壊して、カジノ宣伝や美容整形の奨励・広告等、女性の役割を性的対象として局限すること以外には何も考えてない破壊的な新自由主義経済の政策だけに執着している。

しかしながら、韓国の保守政治を代表する老人集団にも財産はある。それは米韓同盟である。朝鮮戦争前後の米韓関係は貧しい人たちのために惜しみなく尽くす宣教師や平和支援団体のボランティアたちと民主主義を崩壊させた無慈悲な軍部に挟まれてとても複雑な関係だった。

デモ要員の老人たちはアメリカ政府の実際の政策についてきちんと理解しているわけでもなく、両国の関係が進むべき方向についても実質的な提案ができるようには見受けられない。むしろ、アメリカは急激に発展することよりも、安定かつ予測可能な未来を象徴する対象になった。

保守主義者がアメリカにこういった態度をとるのは、昔、優れた文化や経済力を持ち備えていた明に対して敬意を払って接していた事大主義のやり方を彷彿させるものがある。明は1592年と1598年に豊臣秀吉率いる日本が朝鮮を侵略した際、援軍を出兵させた。明・朝鮮の両国はそういった出来事を通して、関係をさらに確固たるものにした。当時の朝鮮の大多数の知識人にとって明は政治的・文化的権威の源泉になった。しかし、既に加速化していた明の政治・道徳・制度の衰退は17世紀初めには抑えが効かなくなってしまった。朝鮮には明の政治文化の面影が強く残っていたのだが、明自体は国内各地で起こった反乱により一気に弱体化し、結局、1644年には完全に崩壊してしまった。

当時の朝鮮の知識人の大多数はその後も300年にわたって明の文化的権威に忠実に従い、満州族が清王朝を建国してからは誰の目にも朝鮮は窮地に陥っている状況であっても、その当時の保守主義者たちは朝鮮では明の制度を維持したという自負心をもっていた。朝鮮の人々は明末期でも衰退の兆候を認めず、明の権威は明が滅びてからも長い間維持された。韓国には今でも明の最後の皇帝、崇禎帝(1627-1644)の年号を用いる儒教寺院がある。

今日の保守主義者の態度はこれにとても類似しているように見えるのだが、アメリカが朝鮮半島での重要な役割を終えてからも、アメリカに対する忠誠心がずっと維持されるかどうかが気になるところである。保守主義者は自分たちにメリットになるアメリカとの関係が維持されることを望んでいるが、それに関しては今や難しくなった。保守主義者たちは文在寅政権がアメリカとの関係を敬遠していることにとやかく言うよりは、むしろ、北朝鮮指導者と「恋に落ちた」と言うアメリカの大統領に対抗するまでに後退した。

 老人たちが支配するリベラル・保守議論、狭い範囲に限定された議論テーマのせいで、韓国では北朝鮮の開放を上手く活用できる能力が麻痺している。北朝鮮と共に推進できるプロジェクトの提案・実行ができるクリエイティブな若者は多いが、根本的に若者は単なる傍観者でしかなく、若者は自分の生き残りをかけて身を削らなければならない状況に置かれている。北朝鮮は未だに多くの問題を抱えているが、今現在の一番の難題は朝鮮半島の新たな可能性を模索する韓国の人々がどこまで手腕を試せるかどうかである。

今年の干支、イノシシにありがちな3つの誤解

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今年の干支のイノシシ

2019/01/09 10:44 ウェザーニュース

今年の干支はイノシシですが、実はイノシシに対する誤解は少なくないようです。イノシシの正しい習性を知れば、見方が一変するかもしれません。

(1)猪突猛進という誤解

イノシシと言えば「猪突猛進」ですが、「それは誤解です」というのはイノシシを飼ったことがある江口祐輔さんです。

「子どものうちから飼っているイノシシは人なつっこく、ゆっくり歩くし、曲がるのも得意です。私が思うに『猪突猛進』を言い伝えたのは猟師でしょう。イノシシにしてみれば、自分たちを殺しに来た猟師から必死に逃げているだけなのです。猪突猛進というと、何かに向かって真っ直ぐに突進するイメージですが、実は鉄砲から必死に逃げているだけなのです」(江口さん)

江口さんは国立研究開発法人農研機構(西日本農業研究センター畜産・鳥獣害研究領域鳥獣害対策技術グループ)に勤務し、麻布大学獣医学部客員教授を務めるイノシシの専門家です。

(2)豪雪地帯にはいないという誤解

イノシシは積雪深30cm以上の日が70日以上続く地域に生息できないとされてきました。しかし、最近は豪雪地帯でもイノシシの発見が相次いでいます。

「江戸時代、青森県八戸市周辺でイノシシによる農作物被害で多くの人が餓死したという記録があります(八戸飢饉、1749年)。その後、東北地方のイノシシは豚コレラの流行や狩猟で絶滅したとされます。

冬眠しないイノシシは足が短いため、雪深い地域では越冬できないと言われますが、イノシシの親は雪をラッセル車のようにかき分けて突き進み、その後ろを子供達が通ります。餌さえあれば積雪地帯でも越冬できるのです」(江口さん)

北海道にイノシシはいませんが、江口さんは「氷河期に大陸から渡って来なかっただけで、北海道でも生息は可能」と言います。実際、ヨーロッパイノシシは北海道より緯度が高い積雪地帯に生息しています。

(3)イノシシを捕獲すれば獣害が減るという誤解

イノシシは一昨年、農作物被害を減らすために約53万頭が捕獲されました(2017年・環境省)。

「しかし、イノシシによる獣害はいっこうに減りません。それは捕獲されるイノシシは獣害に関して無罪だからです。捕獲されるのは"山のイノシシ"ですが、田畑を荒らすのは"里のイノシシ"なのです。

私はよく"山の10頭より里の1頭"と言っているのですが、農作物被害をもたらす里のイノシシを捕獲する必要があります。しかし、人家に近い里のイノシシには発砲できないので、ワナを仕掛けて捕獲するのが有効です」(江口さん)

江口さんはイノシシなどによる農業被害を防ぐ捕獲指導もしていますが、捕獲に頼らずに耕作放棄地や放任果樹などの環境管理と畑に柵を張ることが基本だと言います。

イノシシをよく知れば農業被害を減らすことができ、人間と共存共栄も可能なのです。

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寒さのせいだけではない!? 冬の「コート肩こり」に要注意

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2019年01月09日

寒い日が続くこの季節、会社に着いた時、家に帰った時、ふと気づくと肩がガチガチにこり固まっている......。そんな症状に日々悩んでいる人も多いのではないでしょうか。

冬は寒さによって血行が滞り、肩もこりやすくなりますが、じつは「重いコート」も肩こりを悪化させる原因のひとつになっているんです。

そこで今回は、冬ならではの肩こりの原因を探りながら、日常生活で実践できる肩こり対策について紹介しましょう。思いあたる人はぜひ試してみてくださいね。

意外な盲点!冬の肩こりの原因のひとつ「重いコート」

ジャケットなどの上着を着ると、その重さはすべて「肩」にかかってきます。とくに厚手で丈の長いコートはジャケットより重量がありますから、肩にかかる負担は想像以上。

コートの重さで肩が引き下げられ、首まわりの筋肉が常に下へ伸ばされている状態になるため、筋肉にテンションがかかってこりが生じやすくなるのです。

実際に整体師の方に話を聞くと、重いコートによる肩こりはよく見られる症状で、筋力の弱い女性だけでなく、若い男性にも多く見られるそうです。コートの重さだけで肩がこってしまうなんて、ちょっと意外ですよね。

とくに、冬は寒さで血管が収縮し、筋肉の血行や老廃物の流れも滞りがち。さらに「寒さから猫背になる」「寒くて運動がおっくう」といった冬の生活習慣も、肩こりを引き起こす原因になります。そもそも肩が凝りやすい状態の上に、重いコートを着たりすれば、肩にかかる負担がますます大きくなって、肩こりを悪化させることになってしまうのです。

コートを着る前にオススメ!肩こりを和らげる簡単ストレッチ

このような肩こりの場合、ストレッチなどで早めに凝りをほぐすことが悪化させないポイント。まずはコートを着る前に実践したい、簡単なストレッチを3つご紹介しましょう。コートを着たままでも簡単にできますので、外出先でこりを感じた時にもオススメですよ。

【こりをほぐす簡単ストレッチ・1】

1・肩をすぼめるようにしてグーっと両肩を上に持ち上げ、そのまま3秒キープします。

2・そのまま脱力しながら(息を吐きながら)肩を下ろします。

3・これを数回繰り返します。

【こりをほぐす簡単ストレッチ・2】

1・左の鎖骨のあたりに右手を置いて、少し下に押し下げます。

2・同じタイミングで、右側に首をゆっくりと倒し、首筋を気持ちがいい程度に伸ばします。

3・逆側も同じようにします。

【こりをほぐす簡単ストレッチ・3】

1・肩を上に持ち上げながら、鎖骨を前に動かすようにゆっくりと数回まわします。

2・後ろ向きにも数回まわします。

日常生活での姿勢や習慣を見直すことも重要

肩こりにならないためには、日常の姿勢や習慣を見直すことも重要です。

普段の生活の中で、以下の点をちょっと意識してみてください。

【正しい姿勢をしているか】

左右どちらかに重心をかける姿勢が多くないか、猫背や首が前に突き出るような姿勢になっていないか、鏡を見て自分の姿勢をチェックしてみましょう。

【同じ姿勢を長く続けていないか】

デスクワークやパソコン操作で長時間座っていることが多い人は、1~2時間に1回は立ち上がって全身をほぐす(血流を促進)ようにしましょう。また、首に負担のかかる前かがみの姿勢で、スマホを長時間見続けるのもNGです。

【運動不足を解消する】

適度な運動やストレッチなどで全身の血流を促進し、肩のこりにくい体質づくりを心がけましょう。

【ストレスをためない】

人間はストレスを感じると、身体の一部に力が入ってしまうことがあります。ストレスを解消するのはなかなか難しいですが、まずは自分の体の中で、変に力が入っている場所はないかを意識してみましょう。こうして「自分自身の体の○○部分がストレスを感じている」と自覚することも、ストレス解消方法のひとつとなります。

── 重いコートが肩こりの原因のひとつとはいえ、真冬の外出にはやはりコートが欠かせませんよね。だからこそ、日々のストレッチや生活習慣の見直しなどを積極的に実践して、肩こり対策も万全にしたいものです。可能であれば、ダウンなど軽めのコートに替えてみるのもいいでしょう。

また、単に肩こりといっても意外な病気が隠れていることもあります。あまりにも症状がつらい場合は、一度、整形外科などの医療機関を受診することをおすすめします。

参考・公益財団法人長寿科学振興財団、健康長寿ネットより

ヘアメイク・美容室TRUEマネージャー

近藤澄代

渋谷にある美容室TRUEとTRUEsouthの2店舗マネージャー。 テレビ、ライブ、広告、雑誌等でヘアメイクとしても活動。 オーガニックシャンプーやまつ毛美容液の開発プロデュースをして、髪の事、皮膚の事、メイクの事、研究しています。 メンダル心理カウンセラーの資格もあり、心についても勉強中です。 サロンホームページ http://www.true-hp.com https://twitter.com/sumiyoo


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馬毛島ってどんな島? 防衛省が約160億円で買収して、在日米軍の訓練地へ

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防衛省が鹿児島県の馬毛島(まげしま)を買収することになった。島の大半を所有する開発会社から約160億円で買収する契約を結ぶことで大筋合意したと、NHKニュースなどが1月9日に報じた。

馬毛島は現在、在日米軍の空母艦載機訓練の移転候補地となっている。政府は引き渡しを受けたあと、自衛隊とアメリカ軍が共同で使用できる施設を整備する方針だという。

西之表市の「馬毛島活用計画」より

■20億円が政界に?馬毛島事件とは

馬毛島は、種子島の西方12キロにある約8平方キロの小さな島。種子島に市役所を置く西之表市に所属。最高地点は71メートルと平坦な土地だ。マゲシカと呼ばれる野生のシカが生息している。

西之表市の「馬毛島活用計画」によると、戦前はトビウオ漁の漁師の漁業基地に使われるくらいだったが、戦後は入植が進んだ。最盛期の1959年には113世帯528人が住んでいた。小・中学校もあったという。平和相互銀行の関連会社「馬毛島開発」がレジャー基地にするために、ほぼ全島を買収して、1980年4月に無人島化した。

しかし、レジャー基地計画はオイルショックで挫折。代わって石油備蓄基地や、核燃料廃棄物処理場、防衛庁の超地平線レーダー基地として名前が挙がったが、いずれも実現しなかった。

超地平線レーダー基地をめぐっては、朝日新聞1987年4月28日朝刊によると、元右翼の男性が、「平和相互銀行から20億円の工作資金を受け取り、政界工作として十余人の国会議員に配った」と東京地検特捜部に供述した。国会で問題になるなど、「馬毛島事件」と呼ばれた。

  

■普天間基地の代替え地の候補になったことも

平和相互銀行が吸収合併で消滅した後、島を所有する馬毛島開発は、1995年に東京の立石建設の子会社となった。島の中心部に巨大な滑走路を建設し、社名も「タストン・エアポート」と改名した。

2000年ごろには日本版スペースシャトル(HOPE)の着陸場、2009〜2010年の鳩山政権では普天間基地の移設候補地として名前が挙がったが、やはり実現しなかった。

その後、米軍厚木基地から岩国基地への空母艦載機部隊の移駐に伴い、小笠原諸島の硫黄島で実施されている空母艦載機の発着訓練の代替地として、2011年の日米の合意文書に馬毛島が明記された

NHKニュースによると、防衛省は、土地の価格を約45億円と鑑定し、タストン・エアポート側が買い取り額として求めた数百億円と大きな開きがあった。しかし、訓練施設の移転を早期に実現する必要があると判断し、鑑定額に100億円以上上積みし、約160億円で買収することで地権者と大筋で合意したという。

参考記事:コトバンク「馬毛島」、朝日新聞1987年4月28日朝刊、2007年02月18日朝刊

児童虐待を親として捉え直す

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新たな年を迎えました。年男になった本年は期するところがあります。

昨年、最重要テーマとして取り組んできた児童虐待防止について、今年もこの問題にしっかり取り組む決意です。

■無所属の時間を生きる

無所属となって半年が経った。城山三郎氏は、『無所属の時間を生きる』という随筆の中で、「無所属の時間というのは、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間ということではないだろうか」と記している。到底、その境地には達していないが、全ての採決を自らの責任で行う中で、政治家としての理念・政策を再確認することができた貴重な時間ではあった。

(1) 内政は弱い者の立場に立つ

(2) 外国人やLGBTを含め、多様性(ダイバーシティ)を大切にする

(3) 外交安保は現実主義に立つ

私が大切にしてきた政治理念だ。一昨年、この理念を実現するために、安保法制違憲論に舵を切った民進党を離れ、希望の党を立ち上げた。現実的な二大政党の実現を目指してチャレンジしたことに悔いはない。希望の党の解党は無念ではあったが、国民が野党第一党として立憲民主党を選んだ以上、やむを得ない。

無所属議員には、国会の本会議や委員会での発言機会はほとんど与えられない。しかし、国会に議席を得ている以上、無為な時間を過ごすことは許されない。私は、テーマを絞り込み、超党派の議員連盟などを通じて政策の実現を図る方法を取った。党の会議は皆無、支援団体の会合に呼ばれる機会も減った。その時間を「弱き者」のために役立たせたいと考えた。

児童虐待を親として捉え直す

虐待を受けていた5歳の女の子が、「おねがいゆるして――」と書き残して、亡くなるという痛ましい事件が起きた。結愛ちゃんのノートの存在が明らかになった昨年6月と比較すると報道は激減したが、熱心な議員が集まり対応を議論してきた。

取り組みを続ける中で、コーポレート・ペアレンツ(社会的共同親)という概念を知った。京都府立大学の津崎哲雄教授によると、『家庭生活をはく奪された子らに国家・社会が提供すべき支援は、実親が子に行う親業と同等でなければならず、それを自治体が責任を持って提供する』というものだ。

実践されている英国では、地方議員が選挙民子弟の社会的養育状況、委託児名・委託先などを把握しておらねばならず、随時委託先を訪問し最善の利益が確保されているかどうか掌握するよう求められているとのこと。徹底している。

目を開かれる思いがした。私が児童養護施設、虐待、子どもの貧困などに取り組むようになったのは、超低体重のため生後10日で命を落とした娘のことがあったからだ。票と資金がものをいう政治の世界にあって、こうした問題に取り組む議員は多くない。結愛ちゃんのようなケースがあると世論は沸騰するが、長続きしない。私自身には明確な動機があり、継続して取り組んできたが、「コーポレート・ペアレンツ」、すなわち、子どもたちの親と同等の気持ちで関わってきたかと問われれば、そうではなかった。今度こそ、結愛ちゃんの犠牲を絶対に無駄にすることはできない。

児童相談所をもっと身近に

政府は、社会保障審議会の社会的養育専門委員会「市町村・都道府県における子ども家庭相談支援体制の強化等に向けたワーキンググループ」を立ち上げ、児童相談所改革や自治体の体制などについて昨年末取りまとめた。(https://www.mhlw.go.jp/content/11901000/000465189.pdf)議連では、頻繁に厚生労働省と意見交換を重ねてきた。

最優先課題は、虐待にあった子どもの最初の窓口となる児童相談所の増強だ。児相が開いているのはウィークデーのみで、土日や夜間は窓口が閉ざされている。児童相談所にたどり着いたとしても、一人の児童福祉司が抱える子どもの数は平均50人ほど、多いところでは100人近くになる。とても親代わりができる体制ではない。

まずは、児相をできる限り身近なところに設置することを考えるべきだ。南青山の児相の設置について、反対する声があることに危機感を持つ。欧米では、社会的な成功者が里親をしているケースが少なくない。反対は一部の声であって、日本のセレブがそこまで堕ちたわけではないと信じたいが。

子育て支援を担当するのは市町村で、児相を持つのは都道府県と政令市という地方における縦割りを解消していくべきだ。住民と最も身近に接しているのは市町村なのだが、児相を持たないため、児童虐待については当事者意識がどうしても薄くなる。

明石市は、今年4月に児相を設置し、子育て部門と一体的な運用を開始する。他の中核市も続いて欲しいと思うが、残念ながら動きは鈍い。まずは、中核市への児相の設置の義務付けが必要だ。一般市については、政府のワーキンググループで、全市区町村に「子ども家庭総合支援拠点」を設置する方向性が示されたことは評価できる。ここが市町村の虐待に関する拠点にもなり、要保護児童対策地域協議会を通じて児相と一体となって対応する体制を早急に作る必要がある。

児童相談所の機能強化を

児相の現場の声を聞くと、個々の児童相談所の機能強化は待ったなしだと感じる。緊急通報への対応が続き、親との面談の際は、身の危険を感じることもあるという。児相で働く皆さんは頑張っておられる。しかし、「実親と同等の支援」ができているかと問われれば、答えはノーだ。複雑な事情を抱えた家庭と向き合い、虐待に合っている子どもを親から引き離し、里親や特別養子縁組を行うだけの時間的、精神的余裕は到底ない。

結愛ちゃんは、父親に虐待されている事実を訴え、「家に帰りたくない」と話していた。5歳の女の子が勇気を振り絞って自らの意思を伝えたにも関わらず、彼女は家庭に返され、その結果として命を奪われたのだ。

私は、児童相談所への弁護士の常駐は必須だと考えている。児相は、虐待などで子どもが危険な状態にあると判断した時、親が同意しなくても、児童福祉法28条に基づいて児相が裁判所に申し立てて認められれば、子どもを一時的に親元から引き離す「一時保護」ができる。しかし、親との関係を気にして、子どもを親から引き離すことを躊躇するケースも少なくない。私が会った児相の職員も、その判断が最も難しいと話していた。

数は少ないが、弁護士がケースワーカーとして常駐している児相がある。そうした児相では、日常的に法律家に相談できる体制ができている。必要な予算は国ですでに整備されており、期限付きの任用形式を取れば、常勤スタッフとして児相で働くことを希望する弁護士は全国にいる。しかし、ここでも地方の動きは鈍い。

同時に、児童福祉司の専門資格化も急がれる。現在の児童福祉司は、地方自治体による「任用資格」となっており、専門性のない都道府県の職員が、児相に配置されるケースもある。子どもの状況把握、親とのコミュニケーションなど、児相の職員に求められる能力は多岐にわたる。早急に国家資格化を実現すべきだ。

また、家庭との関係を重視して、子どもの保護を後回しにする傾向を改めるためには、児相の中で、「初期対応」と「支援」の機能を分ける必要がある。虐待への初期対応において最も優先されるべきは、当然にして子どもの安全だ。両者の連携は必要だとしても、トレードオフの関係になりえる両機能を同じ職員が担当するのは望ましくない。

これらの課題を解決するためには、児童福祉法などの抜本改正が必要だ。当然、予算も増やさねばならない。心ある議員と力を合わせて、できるだけ早く結果を出さなければならない。

幼稚園にも保育園にも通っていない子どもたち

潜在的な虐待にも目を向ける必要がある。結愛ちゃんが亡くなったのは5歳。彼女は幼稚園にも保育園にも通わせてもらえず、社会的にも家庭の中でも孤立していた。3歳までは、母子保健法で健診が義務付けられているため、自治体が子どもの状況を把握することができる。また、義務教育となる就学前には、自治体が子どもの状況を把握することができる。問題はその間の3年間だ。

3歳から5歳児の中で、幼稚園にも保育園にも通っていない子どもの数は約20万人。おそらく、ほとんどの方はその存在に気が付いていないのではないだろうか。実は、行政もこれまで、こうした子どもの実情を把握していなかったのだ。私の提案で、昨年7月に全国の自治体に通達がだされ、12月5日までに調査が実施された。政府の実態把握はこれからだ。

児童相談所がケースとして関与する3歳から5歳の子どもの中で、幼稚園にも保育園にも通っていない割合は2割から3割とのこと。これは相当に高い。20万人の中には、無認可保育所や病院にいる子どもも含まれるが、虐待が潜んでいる可能性が高い。幼稚園の先生や保育園の保育士と話すと、子どもが虐待されていれば、ほぼ分かるという。すべての子どもが幼稚園か保育園に通うことができれば、通報の迅速化や虐待の予防につながるだろう。

今の時代に、幼児期の教育の機会を与られていない子どもが20万人もいること自体、見過ごすことができないと思う。人生の出発点ぐらいは、平等が確保されて然るべきだ。幼稚園、保育園は実質的に無償になりつつある。これを機に、3歳を迎えた家庭については、市町村が幼稚園か保育園に通うことを強く促すべきだと私は考えている。

強すぎる親権について考える

虐待や児童養護施設を見ていく中で、問題の根本にあるのは「強すぎる親権」だと感じてきた。一般に、親権とは、未成年者に達しない子を監護、教育し、その財産を管理するため、その父母に与えられた身分上および財産上の権利・義務のことを言う。わが国では、親の「子に対する支配権」として親権を捉える向きがあるが、私は、親権は、子どもを保護し、その人権を守るためのものであり、その目的が達成されないのであれば、制限されるべきだと考えている。

親権の最たるものは、体罰を容認する懲戒権だろう。親権の規定の変更は、民法改正に関わる重たいテーマだ。当面は、児童福祉法改正などが優先されるとしても、並行して、親権規定の変更についても議論する必要がある。

現実の親権は強い。児童養護施設に入る際も、里親や特別養子縁組の家庭に入る場合も、家庭裁判所の勧告がある例外的なケース以外では、親権を持つ親の同意が必要だ。行先の決まらない子どもは一時保護所に入れられ、その間、学校に行くことすらできない。

児童相談所や児童養護施設では、「虐待されている子どもも、親と会いたがる」という話をよく耳にする。どんな親であっても、子どもにとっては特別な存在なのだ。子どもはそれ以外の選択肢があることを知らないのだ。

しかし、子どもは親の持ち物ではないはずだ。2016年、わが国の親権停止は、わずかに83件に過ぎない。ドイツでは毎年1万以上、英国では毎年5万以上の親の親権が停止され、ほとんどの子どもは、新しい親と共に生活している。

一昨年、策定された「新しい社会的養育ビジョン」では、里親委託率を3歳未満児は概ね5年以内に75%、それ以上の就学前は概ね7年以内に75%、学童期以降は概ね10年以内に50%という目標が明示された。現在、都道府県が計画を策定中だが、自治体によって温度差がある。英国は地方の責任とされているようだが、地方の現状を考えると、わが国ではもっと国が強く働きかけるべきだ。

親とは何か。家族とは血のつながりを言うのか。私は違うと思う。育てられない親、育てる資格のない親が現実にいる。そのようなケースでは、乳児を含めて子どもたちに、それ以外の選択肢を示すのが、社会の責任だと私は思う。

私が政治理念として掲げているダイバーシティに関わる問題がここにもある。

環境アートの第一人者・池田一さんが「アースアートのトリセツ」出版へ。クラウドファンディングで支援募る

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池田一さんが鹿児島・枕崎で手がけた花渡川アートプロジェクト「五輪の浮島が漂着する日」(2008年)

 約100万人が訪れたという東京・上野の「不忍池環境アートプロジェクト」など、アートを通じて環境問題と向き合ってきた「アースアーティスト」の池田一さん(75)が、これまでの自身の取り組みをベースにした著書の出版準備を進めている。

 3部作で、第1弾は「アースアートのトリセツ」。製作プロセスなどを細かく紹介し、読者がアースアートを追体験できる内容にする予定だ。朝日新聞社が運営するクラウドファンディングサイト「A-port」(https://a-port.asahi.com/projects/earth-art/)で出版への支援を募っている。

 アースアートとはどんなものか。まずは作品を見ていただきたい。

鹿児島・枕崎の「地球の家」。平均年齢70歳という木口屋集落から「集落を丸ごとアートに」という依頼を受けて制作された(2011年)

カナダ・バーリントンの植物園に作られたアート。園にある様々な種類の枝を集めて作ったという(2009年)

 いずれの作品も、まるで以前からあったもののように、その場所に馴染んでいる。そこには、自然を素材として造形するよりも、自然の中にあるものを「出現」させたいという池田さんの意志が垣間見える。

 池田さんの表現活動は京都大学在学時の1960年代、演劇から始まった。

 前衛的な舞台も数多く作り出したが、「人をイメージ通りに動かそうという『演出家』という立場がいやになった」と80年代になって演出家廃業を宣言。活動の軸をパフォーマンスやアートに移した。

 「水のアーティスト」とも呼ばれる池田さんが自身のアートの「原点」と位置づけるのが、1984年に福島の檜枝岐パフォーマンス・フェスティバルで披露した「水ピアノ」だ。水槽に入り、水面をピアノに見立てて約1時間演奏するというものだった。

「水面は音が思うように出ないで、なかなか大変なんですよ。ぴしゃぴしゃという音しかしなくて、起こることに全くの即興で対応していかなくちゃいけない」

「水は人間にとって、最も手に負えないものです。その水をあらかじめ使おうとしても思い通りにはならない。そこにあるのは自然と人間との共生で、自然との対話をしなくちゃいけない。倫理的に地球に向き合うことをしないとダメなんです。そこに今までにはない考え方や発想、『新しい言語』ともいうべきものが出てきます」

第21回サンパウロ・ビエンナーレのメイン・フロアでの展示(1991年)

 アーティストとしての池田さんの活動は華々しい。

 1991年のサンパウロ・ビエンナーレでは、日本人で初めて特別招待アーティストとしてメインフロアでの展示を担当。オープニングパフォーマンスには3000人を超える観客が集まったという。95年には国連50周年記念アートカレンダーの「世界の12人のアーティスト」に選ばれた。

 2012年には全国都市緑化フェアの一環で上野公園の不忍池で約600人のボランティアらとともにプロジェクトを展開。蓮を刈って4本の道をつくり、池全体を活用した巨大な作品を生みだした。東京都の報告では1カ月で100万人超が訪れたといい、「100年に一度のビッグプロジェクト」とも評された。

不忍池環境アートプロジェクト『不忍・緑・五景』(2012年)

 国連本部での環境セミナーに招待され、「地球環境をWater's-Eye 水の眼でとらえる」ことの重要性について講演したこともある(2008年)。そのときに池田さんは、自身が考案した「80リットルの水箱」について説明した。43cm×43cm×43cmの箱で、1人の人間が文化的な生活をするために必要とされる1日の水の量を表現した作品だ。

 すると、聴衆の一人だった高校生から、「一家に一台、水箱があるといい」という意見が出たという。

「水不足のデータがいっぱい出てきても、なかなか頭に入らないが、実際に目で見れば意識が変わる。アートでないとできない仕事が、すごくあると思う。『アートの未来』ではなく、『未来のためのアート』を考えていかなくてはならない」

「80リットルの水箱」を運ぶ人たち(2006年)

 そうした意識の中で出てきたのが、今回の出版プロジェクトだ。3部作となる予定の第1部は「Earth Art Manual アースアートのトリセツ」。図面や写真などを中心に、材料の調達や制作プロセスなどを細かく紹介し、読者がアースアートを追体験できるようにしている。

「国や地域は競争意識が強く、公共という概念がどんどんなくなっている。唯一残っている公共は『地球』しかない。『トリセツ』を通じてアースアートに触れることで、誰しもがそれぞれのやり方で『地球』を考えることができると思う」

 クラウドファンディングでは、1月11日まで支援を受け付けている。リターン(返礼品)には、「アースアートのトリセツ」の巻末への名前掲載や、池田さんのアースアートのカタログなどが用意されている。

 詳細は、https://a-port.asahi.com/projects/earth-art/

(伊勢剛)

サンドラ・オーさんが、ゴールデングローブ受賞式で伝えたかったこと

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ゴールデングローブ賞授賞式が1月6日夜、アメリカ・ロサンゼルスの「ザ・ビバリー・ヒルトン」で開かれた。カナダ出身の女優サンドラ・オーさんは、受賞コメントの一部を韓国語で述べた。

サンドラ・オーさんは、BBCアメリカで放映中の「Killing Eve」でドラマ部門主演女優賞を受賞した。アジア系の女優としては島田陽子さん以来、38年ぶりに成し遂げた快挙だ。

サンドラ・オーさん。2019年1月6日、アメリカ・カリフォルニア (Photo by George Pimentel/WireImage,)

彼女はまず、「Killing Eve」出演者と制作陣に言及した。つづいて、会場に来ていた韓国人移民である両親に韓国語で「お母さん、お父さん愛しています」と感謝の思いを伝えた。

サンドラ・オーさんは、2018年9月に開催された第70回エミー賞授賞式にも両親と出席している。母親のオ・ヨンナムさんが着ていた韓国の伝統服「韓服」が、現地メディアの注目を浴びて大きな話題となった。

サンドラ・オーさんはこの日、アジア系俳優としては初めてゴールデングローブ賞授賞式の司会を勤めた。俳優アンディ・サムバーグと一緒に進行役を務めた彼女は「今夜、舞台に立つのが怖かったが、皆さんの前に立って変化の瞬間を見守りたかった」と語った。

ハフポスト韓国版から翻訳・編集・加筆しました。


週刊SPA!に5大学すべてが「女性蔑視」と抗議  「ヤレる女子大RANKING」の特集

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問題の特集が組まれていた週刊SPA!12月25日号

扶桑社が発行する「週刊SPA!」の12月25日号の特集記事に対し、「ヤレる女子大学生RANKING」などという内容が掲載された問題で、記事に名前が出た大学が次々と抗議を表明した。

記事に大学名を掲載、5大学すべてが抗議の意

法政大は1月9日、田中優子学総長名でコメントを掲載。週刊誌編集部に、再発防止を求める厳重な申し入れをしたことを報告した。

2018年12月25日発行の週刊誌に、本学女子学生を含む女性の名誉と尊厳を貶める記事が掲載されました。その内容は、該当する大学学生の安全を著しく脅かすものでもあります。本学では、この記事について深く憂慮し、週刊誌編集部に、再発防止を求める厳重な申し入れをおこないました。

「ダイバーシティ宣言」を発し、「人びとの権利を重んじ、多様性を認め合う『自由な校風』」(法政大学憲章)を掲げる大学として、本学では今後も、学生の安全を守り、女性を含めたあらゆる人の権利と尊厳が重んじられる社会の構築に貢献してまいります。

2019年1月9日

法政大学総長 田中優子

実践女子大も、大学のホームページ上で「雑誌記事への厳重抗議について」と題して更新。1月8日に学長名で扶桑社へ厳重抗議した経緯をつづった。

12月18日発売の雑誌の記事において、女性軽視、女性蔑視といえる内容が掲載され、本学及び本学学生の名誉及び尊厳を損なう記載がありました。

本学は出版社に対し、1月8日に学長名で厳重に抗議しました。

本学は、「品格高雅にして自立自営しうる女性の育成」を教育理念として、「男女共同参画」、「ダイバーシティ」の社会の中で活躍する人材を育成して来ました。

本記事の内容について、強く遺憾の意を表明します。

実践女子大学・実践女子大学短期大学部

学長 城島 栄一郎

また、 「横浜方面に住んでいて終電が早い」といった理由でランキングに入れられたフェリス女学院大は、ホームページでこの記事を「女性の名誉と尊厳を傷つける」と断じ、遺憾の意を表明した。

扶桑社の発行する『週刊SPA!』2018年12月25日号において、女性軽視、女性蔑視といえる内容の特集記事が掲載されました。

女性の名誉と尊厳を傷つける今回の記事や同様の記事に対し、本学は、ここに強く遺憾の意を表明いたします。

フェリス女学院大学

大妻女子大は「女性の名誉と尊厳を著しく傷つけ、安全を脅かす」と記事に対する危機感を示し、厳重抗議。

株式会社扶桑社発行の週刊誌『週刊SPA!』2018年12月25日号において、女性軽視、女性蔑視につながる内容の記事が掲載されました。

本学は、女性の名誉と尊厳を著しく傷つけ、安全を脅かす記事に対し、深い憂慮を表明するとともに、本学、本学学生及び卒業生を代表し、出版社に対し、厳重に抗議いたします。

大妻女子大学

中央大はこの特集について「前時代的な考え方に基づく記事が、本学の女子学生のみならず広く若者の尊厳を損ない安全を脅かすものである」とし、女性蔑視に基づくものだとして見解を出した。

2018年12月25日号掲載記事の女性蔑視に基づく内容について深い憂慮を表明します。

 本学は、個人の尊厳を尊重する教育環境を提供するため、人権講演会、ハラスメント防止啓発活動、ダイバーシティ推進など、さまざまな形で学内外の皆さまとともにより良い社会の実現に向けた取り組みを教育機関として推進しております。

  このたびの前時代的な考え方に基づく記事が、本学の女子学生のみならず広く若者の尊厳を損ない安全を脅かすものであることを、出版社が重く受け止めるよう要望します。

中央大学

週刊SPA!「読者の皆様の気分を害する可能性のある特集になってしまった」

週刊SPA!の12月25日号では、インターネットマッチングサービス運営者の見解として「ヤレる女子大学生RANKING」と題して5大学の実名を掲載。記事では「ヤレる『ギャラ飲み』」として、男性が女性に金銭を支払って行う飲み会について書かれていた。

この他、過去には「女性の"お持ち帰り率"がアップするお酒は? テキーラがNGなワケ」などという特集を組んだり、「ちょいちょいおバカで親しみやすい」などの理由を挙げて「ヤリマン生息数RANKING」として大学名を掲載したりしていた。

これらの記事に対し、ネット上では「準強姦罪を推奨しているようにみえる」「女性軽視だ」と批判の声が噴出。

12月25日号に対しては署名サイトで1月4日に「女性を軽視した出版を取り下げて謝って下さい」という呼びかけが始まった。

問題となっている特集について、週刊SPA!編集部は「読者の皆様の気分を害する可能性のある特集になってしまったことはお詫びしたいと思います」などと報道各社にコメントを出した。

リンゴ病とは? 過去10年で最も流行。妊娠中は大変な症状になる恐れも

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画像はリンゴ病のイメージ画像です。

風邪のような症状が出たり、両頬が赤くなるリンゴ病(伝染性紅斑)が近年で最も流行している。

国立感染症研究所がまとめた12月17日~23日の週の患者報告(小児科定点医療機関約3000カ所、速報値)によると、過去10年の同期と比べて、最も多い報告数になっている。

夏以降の数値では、大流行した2015年よりも冬にかけて報告数が多くなっている。

近年のリンゴ病の報告数。過去2年はあまり発生が無かったが、2018年は大流行した2015年よりも増えてきている。

微熱や発疹のみの軽い疾患と捉えられがちだが、妊娠中に感染すると流産や胎児にむくみが出るなどの症状につながる恐れがあり、注意が必要だ。

リンゴ病とは?

国立感染症研究所によると、リンゴ病は、子どもを中心にしてみられる流行性の発疹性疾患。発疹は特に害はなく、痛みや苦痛はない。

原因は、ヒトパルボウイルスB19。咳やくしゃみなどから出る飛沫や、排せつ物などを触ったことによる接触感染でうつる。

ウイルスに感染してから、10~20日の潜伏期間があり、潜伏期間を終えると、両側のほっぺたが赤くなり、 続いて手や足に発疹がみられる。

リンゴ病にかかり、発疹が出た患者

発疹は、お腹や背中にも出ることがある。こうした発疹は1週間前後で消える。

しかしなかには長引いたり、一度消えた発疹がすぐに再発する症状もみられる。

子どもの病気として知られているが、成人でもかかることがある。

成人の場合、関節痛や頭痛などの症状が出て、関節が痛くなることにより1~2日歩けなることも。ほとんどは合併症も起きずに自然に回復する。

一番ウイルスをうつしてしまう時期は?

ほっぺたが赤くなる7〜10日くらい前に、微熱や風邪のような症状が見られることが多い。

この時期、体内ではウイルス血症を起こしているため、ウイルスを周りに振りまいている量が最も多くなっている。

発疹などが現れたときにはウイルス血症はすでに終息しているため、その状態では感染力はほぼない。

また、リンゴ病は症状がでない不顕性感染があり、特に成人に多い。さらに、 成人では発症しても典型的な発疹を伴う頻度が低く、風疹と診断されている例もある。

妊婦や胎児にはどう影響するの?

pregnant woman

リンゴ病の感染で特に注意が必要なのは、妊娠中の人だ。

妊娠中にこのウイルスに感染すると、お腹のなかにいる赤ちゃんの全身がむくんでしまう胎児水腫になってしまったり、流産の危険性が増したりする。

妊娠初期の感染の方がより危険だが、妊娠後期でも胎児感染が生じた例もあり、安全な時期について特定することはできない。

ただ、妊娠中にリンゴ病になったことで、お腹のなかの赤ちゃんに即感染するというわけではなく、同じ時期に流行する風疹感染よりは危険性は少ない。

妊娠している人は、流行時期に風邪のような症状が出ている人に近づくことを避け、万一感染した場合には、胎児の状態を注意深く観察することが重要だ。

予防法がないリンゴ病

リンゴ病には、特に効果的な治療法がない。そのため、治療は対症療法のみという。

ワクチンはなく、紅斑の時期にはほとんど感染力がないので、その時期は二次感染予防策の必要はない。

また、ウイルス排泄期には特徴的な症状を示さないので、実際的な二次感染のための予防策がない。

平沢勝栄氏「LGBT、国はつぶれる」発言が物議。本人は「タブー視していては議論進まない」と説明

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衆院本会議で出入国管理法改正案に賛成討論する自民党の平沢勝栄氏=11月27日、国会内

自民党の平沢勝栄・衆院議員が「LGBTばかりになったら、国はつぶれる」と発言した問題について、同氏は「同性婚は憲法に保障された権利」とした上で、LGBT批判が発言の真意ではなかったと説明した。ハフポスト日本版の電話取材に1月7日に答えた。

1月3日に山梨県で開かれた集会の模様を、日本テレビ系列のニュースサイト「日テレNEWS24」が報じていた。この中で、平沢氏は「LGBTで同性婚で男と男、女と女の結婚。これは批判したら変なことになるから、いいんですよ。もちろんいいんですよ。でも、この人たちばっかりになったら国はつぶれちゃうんですよ」と発言している。

また、同じニュースの中で、平沢氏はその他に、渋谷区などの同性婚へ証明書を発行している自治体に触れ、「先進区だとか自慢しているが、私にはその考え方はよくわからない」とも述べている。

ハフポスト日本版による電話取材に応じた平沢氏は「入管法の話から、日本の人口減少や人手不足について言及した。その中での発言だった」と説明している。

同性婚の証明書を出している自治体について言及した部分については、「区だけの問題ではなく国の問題であり、国会で議論すべき」という趣旨で、自治体を批判したわけではないと話した。

同性婚については、自身の考えとして「憲法に保障された権利で、そもそも賛成・反対の話ではない。『やめろ』ということはできない」と語った。

国会での議論が進んでいない現状に対して「同性婚などの話題はタブー視され過ぎていて議論が進まない。これがおかしい」と指摘した。

LGBT法連合会が発言撤回求める

平沢氏の発言が報じられると、ネット上では批判の声が続出した。

ロバート・キャンベルさんはTwitterで「平沢さん、少しは勉強してくださいよ」と苦言を呈した

LGBTアクティビストの東小雪さんも「少子化とLGBTの権利を守ることは全く別の問題」と投稿。「どのような文化的背景、宗教の国にも性的マイノリティの人々は一定の数います。可視化が進んでも"LGBTばかりになる"ことはありえません」と批判した

LGBT法連合会は「平沢氏の発言は、性的指向および性自認等により困難を抱えている当事者に対する、存在の否定ともいえる発言であり、このような主張は到底許容できない」として、この発言を批判。平沢氏に対し、発言の撤回と謝罪を求めている。

LGBTと政治家発言をめぐっては、2018年にも、自民党の杉田水脈議員が「新潮45」に寄稿した論考で、同性カップルについて「生産性がない」などと主張。海外メディアでも批判的に報じられた。

企業のダイバーシティ推進は「優秀な人材を確保するため」

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人事向け総合情報サイト『人事のミカタ』上で、サイトを利用している企業を対象に「ダイバーシティ(多様性)推進」についてアンケート調査を実施。563社から回答を得ました。以下、概要をご報告します。

■調査結果 概要

★ ダイバーシティ推進の取り組み、過半数が「未実施」と回答。推進に取り組んでいる企業の特徴、業種は「広告・出版・マスコミ」、企業規模は「1000名以上」。

★ ダイバーシティ推進を行なう理由、「優秀な人材の確保」「働きやすい職場づくり」「多様化する市場への対応」。

★ ダイバーシティ推進の具体的な取り組み、第1位は「多様性のある人材の採用」。積極的に採用している人材、最も多いのは「女性」、最も少ないのは「LGBT」。

■調査結果 詳細

1:ダイバーシティ推進の取り組み、過半数が「未実施」と回答。推進に取り組んでいる企業の特徴、業種は「広告・出版・マスコミ」、企業規模は「1000名以上」。(図1、図2、図3)

企業の経営者・人事担当者に「自社でダイバーシティ推進の取り組みを実施していますか?」と伺ったところ、「実施している」(32%)に比べ、「実施していない」(59%)が2倍という結果でした。

業種別で見ると、取り組みを実施しているのは「広告・出版・マスコミ関連」(50%)、実施していないのは「不動産・建設関連」(77%)がそれぞれ最多でした。企業規模別では、実施していると回答したのは「1000名以上」(58%)が最多でした。企業規模が小さいほど、実施率が低下していくことが分かります。

【図1】自社でダイバーシティ(多様性)推進の取り組みを実施していますか?

【図2】自社でダイバーシティ(多様性)推進の取り組みを実施していますか?(業種別)

【図3】自社でダイバーシティ(多様性)推進の取り組みを実施していますか?(企業規模別)

2:ダイバーシティ推進を行なう理由、「優秀な人材の確保」「働きやすい職場づくり」「多様化する市場への対応」。(図4)

「ダイバーシティ推進を実施している」と回答した企業に理由を伺ったところ、多かった回答トップ3は「優秀な人材を確保するため」(58%)、「働きやすい職場にするため」(52%)、「多様化する市場に対応するため」(49%)でした。

【図4】「ダイバーシティ(多様性)推進を実施している」と回答した企業に伺います。実施する理由は何ですか?(複数回答可)

3:ダイバーシティ推進の具体的な取り組み、第1位は「多様性のある人材の採用」。積極的に採用している人材、最も多いのは「女性」、最も少ないのは「LGBT」。(図5、図6)

「ダイバーシティ推進を実施している」と回答した企業に具体的な取り組みを伺うと、「多様性のある人材の採用」(77%)が最多でした。積極的に採用を進めている人材を伺うと、最も多かったのは「女性」(79%)、最も少なかったのは「LGBT」(12%)でした。ダイバーシティ推進についての具体的な悩みも紹介します。

【図5】「ダイバーシティ(多様性)推進を実施している」と回答した企業に伺います。どのような取り組みを行なっていますか?(複数回答可)

【図6】「多様性のある人材の採用」と回答した企業に伺います。採用を進めている人材はどのような方ですか?(複数回答可)

ダイバーシティ(多様性)推進についての悩み

LGBT社員についての悩み

・表に出していないだけで、もしかしたらすでにLGBT社員を雇用している可能性もあるが、なかなか確認をしづらい。(流通・小売関連/1~9名)

・LGBTについては会社から社員に確認することは出来ないため、現時点で在籍しているかは不明です。しかし、自己申告された時に、会社としてどのような対応が必要かがわかりません。

(IT・情報処理・インターネット関連/50~99名)

・事務所が自社ビルでないため、「だれでもトイレ」などの設置が難しい。同フロアに多数の会社が入っているので、自社の方針だけで「女子トイレ(男子トイレ)を使っていいよ」とも

言えない。(メーカー/50~99名)

・中小企業だと、環境のインフラ整備や制服など、すぐに対応できないことが多く、LGBT社員に

不便を感じさせてしまわないか不安。(商社/30~49名)

・どのように対応すべきか社外事例を知りたいが、同業の具体的な事例はまだないと思う。

(不動産・建設関連/300~999名)

【調査概要】

■調査方法:インターネットによるアンケート

■調査対象:『人事のミカタ』を利用している企業

■有効回答数:563社

■調査期間:2018年9月26日~10月30日

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寿町の火災から、「寄せ場化する」この国を思う

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この年末も、都内や横浜の炊き出し現場を回った。

渋谷、池袋、横浜寿町、山谷。

役所が閉まる年末年始、住む場所を失うなど生活に困窮した人々に食事を振る舞い、生活相談に乗るなどの取り組みが全国各地で行われている。そんな場所を訪れたのだ。

渋谷では公園で集団野営するための毛布が足りなくなりそうとのことで寄付を呼びかけ(寄付してくれた皆さん、ありがとうございます!)、池袋では、生活相談、医療相談に多くの人が列を作り、衣類配布にもたくさんの人が並んでいた。寿町ではなんと1200食の年越しそばが完食。少しだけ配食を手伝ったのだが、行列が続いているのに途中で天かすが切れ、ネギもなくなるという事態に焦ったものの、具なしのお蕎麦に誰も文句も言わず喜んでくれたのが救いだった。大晦日の夜は、山谷の路上でみんなで年越しそばを食べた。

そうして年が明けた1月4日、あるニュースが飛び込んできた。大晦日に訪れた横浜・寿町の簡易宿泊所で火災があり、2人が死亡したというのだ。亡くなったのは、60代男性と80代の女性。男性3人が重傷を負うなど、計13人が負傷したという。

もしかしたらあの日、年越しそばに並んでいた人の中に亡くなった人や負傷した人がいたのかもしれない...。そう思うと、目の前が暗くなった。同時に、「またしても簡易宿泊所か...」という思いが込み上げた。

なぜなら、ここ数年、簡易宿泊所や類似施設での火災が相次いでいるからである。2015年5月には、川崎の簡易宿泊所で火災が起き、11人が死亡。17年5月には、北九州のアパートが全焼して6人が死亡。アパートは実質、簡易宿泊所だったようである。また、18年5月には、秋田県横手市のアパート火災で4人が死亡。住人24人のうち17人が精神科に通院しながら社会復帰を目指し、12人は生活保護を利用していたという。そして18年1月には、生活困窮者が住む北海道・札幌市の共同住宅が全焼し、入居者16人のうち11人が死亡。

これらの火災に共通するのは、高齢、単身男性が多く住む場所であること。その多くが生活保護を利用していること。また多くが身寄りがなく、亡くなったあとの遺体・遺骨の引き取り手がないケースも珍しくないということなどだ。

火災の一報を聞いた時、大晦日の寿町の公園で目にしたある光景を思い出した。それは炊き出しの手伝いを終え、トイレを借りようと公園から近いボートレース場外舟券売り場が入る建物を訪れた際のこと。

大晦日の夕方だというのに、そこは大賑わいだった。雰囲気は、室内の場外馬券場といった趣。レースの様子がテレビに映し出され、集まった人々は画面を食い入るように見つめている。圧倒されたのは、そこにいるほぼ全員が高齢の男性だったこと。車椅子の人もいれば、杖をついた人もいるものの、圧倒的に「高齢男性」ばかり。

その光景を見て、改めて、寿町には「高度経済成長」の矛盾が凝縮されていることを痛感した。もちろん、寿町の炊き出しに並んでいた人も多くが高齢の男性だった。しかし、炊き出し現場には老若男女のボランティアが多くいるし、学生もいれば子どももいる。行列に並ぶ中には若い世代もいれば、高齢女性の姿もちらほらある。が、大晦日の夕方の場外舟券売り場には本当に高齢男性の姿しかなく、なんだか圧倒されたのだ。

寿町は、山谷、大阪の釜ヶ崎と並ぶ「ドヤ街」のひとつである。ドヤ街とは、日雇い労働者が多く住む街で、簡易宿泊所が多く立ち並ぶところだ。山谷、寿町、釜ヶ崎は日本三大寄せ場とも呼ばれ、高度経済成長の頃は、建設現場などで働く日雇い労働者が大量に必要とされたことから多くの人が集まった。しかし、景気が悪くなると、日雇い労働者たちは切り捨てられた。それだけではない。怪我をしたら、病気になったら、高齢になったら切り捨てられた。そして今、そんな元日雇い労働者がドヤ街に多く暮らしている。

神奈川新聞の「寿町火災 超高齢化・日本の縮図 集合住宅共通の課題」によると、寿町の簡易宿泊所の宿泊者数は17年11月1日時点で5728人。うち60歳以上は3894人(67.9%)、身体障害者数は387人(6.7%)。宿泊者の大半が単身高齢の男性で、8割以上が生活保護を利用しているという。「日雇い労働者の街」から「福祉の街」へと変貌していった寿町。これは何も寿町だけの話ではなく、山谷でも釜ヶ崎でも同じことが起きている。ちなみに、今回の火災で亡くなった60代の男性と80代の女性も身体が不自由だったと報道されている。

そんな状況を見て強烈に思うのは、これは他人事ではまったくなく、ロスジェネ世代に今後起きうる「未来予想図」そのままかもしれないということだ。家族形成、資産形成の機会のないまま、そして非正規のまま40代に突入したロスジェネたちは私の周りにも多くいるからだ。

私が貧困問題に関わり始めた13年前(06年)、よく耳にしたのは「都市が寄せ場化している」という言葉だった。山谷、寿町、釜ヶ崎で起きてきたような「日雇い労働者のホームレス化」という問題が、若者たちの間で進んでいるという問題意識を多くの人が持っていた。特に当時は「日雇い派遣」が問題視されていた頃。若者たちはドヤではなくネットカフェに泊まり、寄せ場の手配師からではなく、携帯で仕事を受けて日雇い派遣に出かけていく。

すでに賃貸物件などの住む場所を失った彼らは広義のホームレスであり、「都市がモザイク状にスラム化している」ことをさまざまな人が指摘していた。それから、10年以上。現在、日雇い派遣の規制は厳しくなったものの、雇用の安定化は一向に進まず、非正規雇用率は13年前の33%から37.3%に増加。十数年前までは一部の寄せ場のみで起きていたことは今、当たり前に全般化した。現在、この国では、ネットカフェに住む場所を失った人たちが一定数存在することを多くの人が知っているし、それは都市の普通の光景になっている。

そんな「都市の寄せ場化」が指摘されて10年以上。巷では「景気回復」と言われ、新卒の雇用状況が改善された、正社員数が微増した、と言われるが、その恩恵はロスジェネにはなかなか届かない。今回まわった炊き出しにも、30〜40代と思われるロスジェネの姿が目立った。実際、年末年始の支援を終えた「世界の医療団」も、Twitterにて「目立ったのは30〜40代、路上生活の経験が浅い方たちが寒さをしのぐ術を知らず、話すうちに選択肢のない環境で生きづらさを抱えていることに気付く」と書いている。

なぜ、毎年、炊き出しを回るのですか、とよく聞かれる。自分でもよくわからない。だけど私は、自分たちロスジェネが生き延びるヒントを模索するために、毎年現場をめぐるのかもしれないと、ふと思った。

(2019年1月9日 雨宮処凛がゆく!より転載)

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